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禅と少林寺拳法の意外な関係。

前回書いた洛陽トリップの続きです↓

洛陽から車で1時間半ほどかけて東に走ると、段々と山々が連なる景色の中に入っていく。
登封ドンファンと呼ばれるこの市には、中国で有名な泰山(道教の聖地のひとつ)とともに五岳ごがくと称され信仰の対象となってきた、嵩山すうざんがある。標高は1500mほど。
ここに、禅宗発祥の地であり、少林寺拳法で有名な少林寺がある。


1月に行ったので、ところどころ雪が積もっており極寒


①禅宗ってなに?

禅と聞くと、「あれ、これって日本が世界に誇る文化のひとつじゃなかったの?」なんて、不勉強な私は思ってしまったのだが。
日本でどう発展してきたのかはさておき…。

禅宗とは、インド発祥の仏教の一派のことである。
座禅を通じて座ったまま自力で悟りを開いていくのが禅宗のスタイル。
仏陀自身が瞑想を通じて悟りを開いたとされていることを踏まえると、これまでの仏教と何が違うの?と思ってしまうのだが。
どうやら初期仏教(上座部仏教=自己完結型、個人の救済が目的)とは異なり、大乗仏教(=大衆の救済が目的)の思想に基づいている点が異なるそう。

そして、これ以上の詳細は専門家に頼るとして…


②禅宗発祥の地となった少林寺

禅宗を広めようと、インドの僧侶、達磨だるまさんが中国にやって来たのは、520年、南北朝時代のこと。
当初は仏教を厚く信仰していた南の王朝(現在の広州辺り)に上陸するも、布教活動はうまくいかず。次は北へ行こうと移動を続け、最終的に選んだ場所が少林寺だった。山あい(ほぼ岩山)にあって、景色も良いところ。山の頂点の岩の中で修行をし、少林寺の中に休むところを作った。
こうして、達磨さんは最初の住職となる。伝説では、壁に向かって9年間座禅をしていたとか。

達磨大師が修行していたという山の頂点。
少林寺からは気が遠くなるくらい遠い…(かなりズームしています)

中国では、達磨、慧可えか、~6人目までの住職が有名とのこと。
特に、中国で禅の教えが広まったのは、慧可の存在によるところが大きいそう。

慧可は、両親が熱心な道教信者であったことから、幼い頃から儒教や道教(老荘思想)、小乗仏教を元にした修行を続けるも会得せず。40過ぎて達磨大師と出逢ってから、大乗仏教の教義を信奉しようと突然悟ったそう。
しかし、これだけ博識な慧可のことを達磨大師は信用しようとはせず、弟子入りを求める彼を相手にしなかったとか。

ある大雪の日、慧可は達磨に仏法を求めにやって来るも、達磨大師は、
空から赤い雪が降らない限り、お前には仏法は教えない
それくらい天地がひっくり返るような事が起きない限りにおいて(つまり、あり得ない)という意味なのだろうが、これを受け、慧可は固い決意を見せるべく、左腕を切り落として辺りの雪を真っ赤に染めたとか。

その心にいたく感動した達磨大師は、慧可の弟子入りを認めたという。

この出来事を、中国では「雪中断臂せっちゅうだんぴ(雪の中でひじを断つ)」と呼び、禅宗を代表するエピソードとして有名になっている。(こちらの記事も参考

そして、この物語が起きた場所として残されているのが、この「立雪亭」である。↓


③少林寺拳法が誕生したわけ

先にも挙げた通り、禅宗は座ったまま自力で悟りを開くため、そのままだと足腰が弱くなってしまうのが難点。

僧侶達が次第に山にいる動物の動きを模した運動を始めたのが起源となり、のちに少林寺拳法として確立されていったそう。


少林寺内で最も貴重だと言われているのが、唐の第二代皇帝である李世民(亡くなってからの名前は太宗)の石碑。

李世民碑

ざっくり言うと、少林寺の13人の僧侶達が、李世民を敵軍から助け、天下統一に貢献したという内容が記載されている。
これに感謝の意を表した李世民は、少林寺に石碑を贈った。そして僧侶達が拳法の練習に励めるよう、肉食と酒を許可したりと、厚遇した(現在は他の宗派の僧侶と同様、禁止されている)。
この石碑を元に映画化されたのが、1982年の「少林寺」。これを見れば当時のことがもう少しイメージ出来るかもしれない。


また「千仏殿」には、石畳が修行によりへこんだという、くぼみを実際に目にすることができたり。

確かに言われてみればところどころにくぼみがある

500人分の料理を作ったとされる大鍋が置いてあったり。

明代の釜。写真では大きさが分かりにくいが、お風呂みたいに大きいのです


そんな少林寺だが、これまでに二度、燃やされている。
一度目は、清の雍正帝時代(1723-1735)。理由は、武術に長けた僧侶が反乱を起こすのを恐れたため。
(以前、ドラマで観たこの時代…!↓)

二度目は1928年、軍閥に燃やされ、ほぼ消滅。文化大革命を経て、1985年に、元あった場所に本殿が再建されたそう。


④現在、少林寺武術館で学ぶ子どもたち

現在、少林寺拳法を学ぶ子どもたちは、中国全土で6-7万人とも言われているらしい。
少林寺にあるのが総本山だが、中国には全部で2,000校ほどの武術学校があり、基本的には10歳以上の子どもが3年間、極めたい場合はもっと長い期間に渡り学ぶそう。
1日2時間は一般教養、あとの時間は少林寺拳法を学ぶのが大体のカリキュラム。

卒業後、俳優になる人もいるそうだが、それはほんの一握り。多くの卒業生が、スポーツインストラクターや警察官など、一般の職に就くそう。


そして、学生たちの演武を実際に観ることができるのも、少林寺のすごいところ!

気功とか、私にはよく分からないけど、とにかく身体能力の高い神技がたくさん観れて、本当に圧巻でした。


⑤おまけ

1.塔林とうりん

地球の歩き方から拝借

少林寺の歴代僧侶の墓で、墓塔が林のように並んでいることからこの名前になったそう。
お墓なので何となく写真を撮ることを憚られたのか、自分では撮っていなかったが、唐代〜清代のレンガで出来ており、形も様々なことから、芸術的な価値も高いそう。
お墓が大きければ大きいほど、立派な方だったそうな。

2. 贔屓ひいき

中国の竜生九子りゅうせいきゅうし神話に基づき、建造物のあちこちに、この想像上の竜の子どもを見つけることが出来るらしい。

竜生九子…竜が産んだ9匹の子を指す。(ちなみに竜は皇帝の象徴)。姿形はさまざま。

そのうちの一人が末っ子の贔屓ひいき

カメに見えるが、牙があるのがカメではない証拠らしい。こんな風に、石碑の下などで、重いものを背負っているのが特徴だそう。

また屋根の上の竜の子どもは、火事になっても火を消してくれるらしい。

しかし名前がわからない…


終わりに

ガイドさんの話を元に本記事を書いてみましたが、やはり少林寺も見どころがたくさん。
個人的には、禅宗の僧侶から生まれたのが少林寺拳法である、という点が大きな学びだったかと。
歴史はもちろん、実際に武術も見れて色々な切り口から楽しめるのでとってもオススメ。
中国に関心がある方にはぜひ訪れてほしいスポットの一つです🌷


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