熊猫と苹果
夜食にオムライスを作っていた。もう数時間で次の日が来るというのにランチみたいな量のそれを平らげるあいだ、なんとなくわたしは死んだともだちのことを思い出した。
ともだちはとても顔が可愛かった。声も可愛くて、字も可愛くて、その子から届くLINEのフォントすら可愛く見えた。あとは嘘が上手で、約束も破る。繊細で、それでいて痛みに鈍い子だった。
わたしがその子と出会った時、たしかわたしは14歳くらいだったと思う。まだバカ丸出しの着崩したセーラー服で学校の非常階段を駆け上がって、大好きな楽器を吹き荒らしてた頃だ。あの時見たいちばん高いベランダからの景色はどこよりも高くて綺麗に見えたけど、高校生になってから部室に顔を出した時見たそれはわたしが残した後悔を押し込めた寂しい場所だった。そう言えばもう2年くらい部室に行っていない。もう顧問も部員もわたしを知る人なんていないから、準備室の壁に残した当時のパートメンバーの名前と、わたしが置いてきた学校では買ってもらえない備品と、それからわたしが作った練習メニューだけがあそこにいた証だ。必死だったあの時の真っ青なわたしたちがもう記憶の他のどこにも残っていないのかもしれないと思うと、部室になんて到底行けなかった。
わたしがぱっぱらぱーと楽器を吹いて走り回っているあいだ、ともだちはご飯を食べられなくなっていた。あとからわたしもこれを体験することになるんだけど、ほんとうに地獄みたいなもので生きた心地がしない。わたしは特別食べるのに時間をかけるほうだったから余計に、生活にばかみたいに大きな隙間ができてそれを埋めるのに必死だった。スマホでウーパールーパーを育て始めたのはそのころだ。そしてこの時ともだちは毬藻を育てていた。数日おきに開いては汚れて真緑になった水槽のスクリーンショットを撮って、送ってくれた。デジタルの命すら守れないわたしたちは絶対生き物を飼えないねなんて笑っていたけど、わたしは今ねこを4匹飼っている。この前、あの子の嘘つきがうつったみたいだね〜って野良猫を撫でながら話したりした。そのあと記憶も一緒に流すみたいにたくさん手を洗って消毒もしたら、ちょっとだけ寂しくなった。それから、ともだちはその時流行り始めた水色のアイドルの真似をするようになった。けれどわたしにはアイドルよりよっぽどともだちの方が可愛かったように思う。同一人物なのかもしれないと思うくらい似てた自撮りもあって、おかげでツイッターでは全身性器みたいな男に散々迫られて一方的に欲求をぶつけられてはわたしに愚痴っていたしそんなところも可愛かった。この時はまだLINEで話していたけれど、後からわたしはともだちだけを、ともだちはわたしだけをフォローした全く他に公開するつもりのないツイッターアカウントができた。それくらいともだちへのリプライはいつも悲惨だったし、わたしはそんな奴らを持っている20個のアカウントで片っ端から通報してブロックしていた気がする。わたしはまだ、もうフォローもフォロワーも0になってしまったその秘密のアカウントが消せないでいる。未練タラタラでダサい女だね。
わたしが高校生になって、そうきっとこの頃がいちばんわたしたちは近かった気がする。ともだちは急にありえないくらい食べ始めたりするのだけれど基本やっぱり食べられなくて、気が向いた時ウィダーインゼリーとはちみつを沢山まぜたすりおろしりんごを食べていただけだったと思う。あとはわたしがおいしいから食べてと騒ぎ立てたグミやチョコレートと、それからサーティワンの期間限定のアイス。チョコレートミントも好んでいた気がするけれどもう記憶が曖昧になってて自信が無い、ただあの子が食べていたのはそれだけだった。そんな胃がほとんどからっぽのままでも月数回の点滴と手のひらいっぱいの錠剤であの子は立っていた。食べられる時は本当に際限なく食べてしまうらしく、家のものを文字通り食べ尽くしたこともあるらしい。そうして極端に食べると食べないを繰り返しながら、父親に嬲られて散々になったからだでわたしに電話をかけては可愛いね好きだよずっと離れないでねと笑っていた。真っ白で掴んだら折れそうな腕を、あの子が食べることのないイカ焼きみたいにしながらわたしに電話をかけてくれる。ふやけた声でわたしに泣きつくのだ。結局そっちから離れたじゃない、なんてもう言えなくなってしまったけれど、まあ、優しいわたしは許してあげようと思う。砂糖でできてるのかと思うほど甘ったるいそんなともだちには前下がりの黒髪ボブと真っ直ぐ揃えられた前髪、左右均等の姫カットが世界一似合っていて、その頃の自撮りを沢山送り付けられて大切に保存した気がするけど全て消えてしまった。これはわたしが消してしまったのかもしれないけど、覚えていないから消えてしまったことにする。あの子のことなんて本当はずっと忘れたいのだ。忘れないよって約束してたくさんお互いの携帯電話に写真を寄生させて、たくさん一緒に泣いたけれどもう忘れたい。忘れたいけれど、わたしが忘れてしまったときあの子が完全に消えてしまうかもしれないと思うと忘れられなかった。友達が居なくて家庭環境は悲惨、あの子が好きだったジャニーズのグループは最近あまり見なくなった。いくらなんでもどれだけ最低な家族でも記憶くらいは残していると思うけれど、それでも他人としてあの子を生かしてあげられるのはわたしだけなのかもしれない。形を失ってデータも消滅して、それでもわたしだけがあの子を、と思うと忘れられなかった。それくらい好きだった。
そしてわたしは反対に、ありえないくらい食べていた。ある日、誕生日に貰った箱いっぱいのお菓子を1時間もしない間にぜんぶ食べた。最近なんかよくお腹空くな、なんて思いながらまだ物足りなくてスーパーでパンやカップ麺をたくさん買ってママにバレないように食べきる。ママは昔から普通であることにとても拘っていたから、こんなことバレたら怒鳴られて家から閉め出されるのがオチだと思ってゴミはきちんとまたスーパーまで歩いて、捨てた。それから炭酸水やグミ、クッキー、菓子パンなんかを常備していた。気を抜くと家の食べ物全部を食べてしまいそうで部屋からなるべく出なくなった。授業中はもちろんのこと、いくつか年上の友人の真似事で入った生徒会でもずっと食べて食べて食べて、食べるものが無くても起きているとお腹がすくから全部なくなったら眠っていた。お陰で食べ物が無くならないうちにすぐに仕事を済ませて、それが終わったらすぐに眠れるようになっていた。仕事ができるだなんて勘違いされることは満更でもなかったけれど、そうして活動が終わるまで寝るわたしにつけられたねむり姫なんて屈辱的な渾名は許せなかった。先輩や同輩にはずっと食べてるねなんて笑われ、次の年入ってきた後輩にもせんぱいたくさん食べますねなんて言われ最終的には部員から日常的に餌付けをされる始末(これは正直ちょっとありがたかったけれど)、わたしだって眠りたくて眠っているわけじゃないし食べたくて食べているわけじゃない。学校ではそんな調子だし家に帰ればいつ怒鳴って蹴ってくるかわからないパパといつ溜息で不満を匂わせてくるかわからないママがいて、空気が読めずよく2人に怒鳴られている弟がいて、わたしはともだちと同じようにこんどは内腿をイカ焼きみたいにした。腕なんて目立つところはダメだなんて思って、けれど浅く浅く傷つけたこともあった。早く治ればバレにくいなんて思っていたけれど結局これはこの後バレて、散々な目に遭うことになる。まあこれはばかなわたしが悪かった。大人しく見えない内腿だけを犠牲にしていればよかったのだ、ツイッターにたくさんいる目と口の赤い女の真似をして、自己顕示欲をフルオープンにしたのが悪い。そういえば過剰に食べる人は吐くと聞くけれど、ときどき全く食べられなくなる時以外わたしは吐かなかった。太ることもなかった。あの子に半分くらい栄養が行ってるのかな、そうならいいななんて思ったりもしたな。わたしもこの頃少し色素の薄い髪を前下がりのボブにして、前髪は真っ直ぐに切り左右に均等な姫カットもつくった。わたしたちは少しでも同じになりたかった。同じを作って安心したかったのだ。やっぱりばかだったなあと思う。思うけど、不安で仕方なかったんだからそのくらい許されてもいいよなあとも思った。丸い顔を隠すためとか長いのに飽きたからとか、一方的な言い訳をたくさんして髪を切った。切って1番に見せたのもともだちだった気がする。悲しいかな、もうそれすら自信を持って言えないくらい記憶は薄れているみたいだけれど。
そうしてわたしたちは運命共同体一蓮托生ムーンプリズムパワーでふたりはプリキュアになる、こんな不安定な女が世界を守らきゃいけないなんてことになった日には地球は即滅亡だろうな。きらきらの魔法は失われ空は真っ黒妖精は全滅、プリンセスはヴィランの思い通りだしヒーローは悪の組織の下働きにでもなって、夢見る子どもは大人の都合のいいお人形さんになるんだろう(これは今でもそうかもね)。だからわたしたちはプリキュアになれなかった。女の子は誰でもプリキュアになれるなんて大嘘だ。ただひたすら無力でぼろぼろのおんなの子のままともだちは全部捨てて死んでしまったし、わたしはそれを全部拾って背負って生きてきた。皮肉なものでわたしの摂食障害や自傷癖はかなり落ち着いて、わたしたちのお揃いだった傷跡は無くなってきていた。まだぱっつんの前髪も前下がりボブも姫カットもやめられないけれど髪を染めたりもしたし、大量の咳止めや風邪薬を飲むのはあまり辞められないけれど、それすら頻度はかなり減ったとおもう。明確になぜかと考えるとわからないけれどあの時のわたしを殺してしまいたいのと、ともだちを思い出すきっかけを減らしたかったのと、それから少しおとなになったのかもしれない。20歳になるまでに福岡県に行きたい。ともだちは福岡県の海の近くに住んでいたらしい。わたしの住むところには海がないから、いつか会いに行った時には一緒に海に行こうねと言っていたのだ。結局1人で行くことになるけれど、20歳になる頃には寂しいなんて思わないくらいおとなになるんだろうか。おとなになることってそういうことなのかな、18歳成人と20歳成人の狭間を生きているけれど18歳のわたしはまだ全然こどもでおんなのこだし20歳になってもこのままでいたいと思ってしまう。けれどいつか大人にならなくちゃいけないのなら、いっそ寂しさも悲しさも、かわいさも全部捨ててしまえばいいのかもしれない。未練なんて抱えないために全部新しくなってしまえばいいのかもしれない。こんなことを言ってもやっぱりわたしはまだぜんぜんかわいくないからもっともっとそれがほしいし、もっと寂しい思いをして悲しい思いをしてたくさん泣いて、可哀想なわたしに陶酔したい。いま思い出したけれどともだちは死んだ時20歳を過ぎたくらいだったと思う。おとなになってもかわいくてかわいそうだったあの子みたいにわたしもなれるのだろうか。周りの人間はきっとそんなのになられたらたまったもんじゃないと言うけれど、いつまでもわたしの中で生きているともだちとまた少しでも同じになってみたいと思った。3年越しの精一杯の告白をあの子はきっと抱きしめるみたいに受け取ってくれる。ほんとうに抱きしめてくれることは無かったけれど、それでもきっときみのためにしあわせになるから、これからもボロボロで生きていくからね。