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1月のこと

毎日日付が変わる前に日記を書くようにつとめ、noteの記録上でも40日以上続けられた。

前も日記に書いた通り、私にとって何よりも大事なことは睡眠で、そんな大事な睡眠時間を削って眠い目をこすりながら忙しかった日から特に何も書くことが思いつかない日まで毎日記録し続けることに意味があるのか少しばかり疑問はあった。
でも文章にして消化できる媒体を出来るだけ近くに置いておきたいという思いと、noteに毎日褒められたいという理由でなんとか続けられていた。

そんな最中、年末年始休みに突入し、生活リズムが狂ってしまった途端にnoteの存在を忘れ、1日逃してしまった。そこからはこんな感じである。
本当は2023年まとめも書きたかった。(1月分だけの状態の下書きが残っているからいつか書ききって投下するかもしれないけれど。)

毎日何かを書こうという意識だけで書いていた、頑張って書いたものと同じところに並べるのはなんだかなあと思っていたものはしっかり削除してしまった。
いや、日々を生きた記録だから下書きには残してある。でもきっと公開することはもう無いだろう。

そんなこんなでちょうど年末のタイミングでnoteの使い方が開設当初とは変わってしまった。
しっかり推敲して投稿する。
そして毎月まとめて1つは投稿しようと思う。
と、前置きが長くなりましたが、2024年1月の話を3月にします。


2024年1月を一言で表現すると、「帝国劇場」です。
まさかのnoteで別垢を作って長文レポートに記録もした。

2023年1月も「帝国劇場」だった。
去年のそれは中止開催予定中止にものすごく振り回されたなという苦い思い出から来るものだけど、今年は単純に、たくさん行ったなあという楽しい思い出。
毎週のように東京に行き、合間には東京に住んでいる友達とカフェ巡りをしたり、好きなバンドのライブに行ったりもした。
帝国劇場に観劇しに行くという目的のもとで他の楽しいことにも積極的に参加して、活発で充実した週末を過ごした。

帝国劇場はあと1年で閉館する。リニューアルして戻ってくるには5年もかかるらしい。
帝国劇場には何度も足を運んだ。今じゃ地図を見なくても新幹線を降りてそのまま迷うことなく辿り着くことが出来る。
御手洗の位置もロッカーの位置も喫茶店の位置も、何もかも分かっている。
思い出がたくさん詰まった場所ともサラバしてきました。そういう意味でもこの1ヶ月は「帝国劇場」だったかな。
冬帝劇もドリボも大好きだったなあ。

この帝劇で、自担に対するマイナスな思いを一掃出来たような気がする。というか時間が経ったからなのか、単純に忘れた。
秋の舞台では好きだとももっと見たいとも思ったからこそ何度も見に行ったけど、通いながらもどこか悲しい感情に支配されて帰路の新幹線で悔しくて涙を流していたりしたから大きな成長。負の記憶は2023に置いてこれた。
その分なのか、モチベーションが下がってしまっているのはひしひしと感じるけど。でも冷め期なんていくらでもあるし、今はツアーを楽しみに生きています。

自分がこうやって夏の大きな悲嘆をしっかりと忘れてしまったことによって、同じ事務所の人に何かある度に未だにぐちぐち言ってくる人たちがかわいそうにもなってきた。
年末には恒例行事のカウコンがないことで13月探そうとしている人が多くいたけど、そういう人たちはきっとちゃんと13月を見つけて2023年に取り残されているんだろうな。
私はお先に、世間一般の皆さんと一緒に2024年を満喫していますよ。今こちらは3月ですが、そちらは何月でしょうか。

自担の話が掘り返されるということは同じ事務所にも色々なことがありました。詳しく触れてしまうと上に書いた人達と同じになってしまうから言わないけど。
そんな中でも1月のトップニュースとしては恐らく1/8の出来事だろう。
グループを離れてソロ活動をするという発表。
そしてその数週間後には熱愛報道まで出てしまった。これについては真偽不明ではあるが、ただでさえ弱っているファンの心を傷つけたのは間違いないので記者にはBADを贈りたい。

その決断については一応記事にしている。でもねぇ、あの時とは状況も私の思いもかなり違ってきたなあという印象。

大きな悲しみの受容のプロセスって割と固定化されていて、受容に至るまでに様々な過程を踏んで、いろいろなことを考えるものだと思っている。
だから悲しみがその1点のみで続報等が無かったとしても時間の経過に従って感情はどんどん変わっていくのが通常である。

でもねぇ。それ以上の感覚だな。


と、そんなことは置いておいて………あの事務所のこと以外にもひとつ大きなことがあった。


好きなバンドの元メンバーが亡くなった。らしい。
元だなんて書くのも悔しいくらい、私にとっては元ではなかった。
Sexy Zoneが4人で5人を背負っていたように、彼らは3人で5人を背負っているように見えていた。
もちろん3人は3人グループとしてサポートメンバーとともに前を向いて頑張っていて、いつかは新メンバーを正式に迎えることになるかもしれない。
だからただの私のエゴであって、いわば害悪オタクの発想なんだけれども。
実際、新しい音は受け入れきれず、ライブに足を運ぶ機会は格段に減ってしまっていた。

「大切なお知らせ」に力が抜け、壊れそうなくらいドキドキしながらサイトを覗いてみたら、想像を絶する内容だった。

永眠。永眠。永眠。永眠ってなんだったっけ?

視界が真っ暗になった。

視界が真っ暗になって、頭が考えることを拒否して、それってなんだったっけ?どういうことなんだっけ?と頭がぽかーんとぼやけながらも目の前に広がる世界が一変したことだけが鮮明に分かる感覚、これはつい最近、同じことを1/8にもしていた。

何をするにも命あってこそなんだよ。
命だけは儚くないってSUPER BEAVERも言っている。

色々なことに注文つけてしまいがちだけど、本当は生きていてくれさえすればいい。
音楽を辞めたって、メンバーと疎遠になったって、もう一生姿を見る機会が無くたって、どこかで生きていてくれればいい。
幸せだったらもっといい。
ただそれだけのことなんだよね。

でも生きているのがしんどくなってしまうこともあるのかな。何があっても強行手段を使うことは私は肯定できないけど。でも…。

脱退から1年弱、活動休止から考えたらそれ以上の時が経っている。
今だってどうしても彼のギターの音を追っかけて追い求めてしまう。
好きなバンドのメンバーが脱退しても何だかんだで新しい音に慣れてしまうことが多い私だけど、なんだか未だに受け入れ切れていなかった。

それだけ特別な存在だったと言うのは野暮だけど、少なくとも彼のギターが大好きだった。優しく淡い光を纏ったような音色。そしてすべてを包むコーラス。全身を使って音を鳴らす姿。優しい笑顔。どこか飄々としている佇まい。思い出したらキリがないくらいにその全てが大好きで大切な思い出。

ライブ後に物販に立ち寄って下向いて何を買おうか迷っていて顔を上げたら目の前に彼がいたのは個人的に衝撃的な出来事で今でも鮮明に覚えている。いつでも優しく拙いお話を聞いてくれて、かなりフランクにお話してくれて、ステージの上の人とお話しすることが苦手で少し避け気味な私でも足を運んでみようかという気持ちになった。

彼に限らず、このバンドは私の青春が詰まっていると思っている。
初めて「全国ツアーを回った」のはこのバンドで、いつだってこのバンドの音楽を聞いていた。1日聞かなかっただけでなんだか久しぶりだなと思っていたりもした。
地元に来た時にはどんな尺だって必ず足を運んだし、その地元の範囲もなぜだか新幹線で1時間の距離にまで広がっていた。
それだけ自分の中で思い入れが深く、思い出も多い。そんな日々を思い出したりしていた。
もちろんそれは私だけではなく、もっと親密で1対1の思い出が多い仲間のバンドマンたちも彼との思い出を語っていた。その話を聞いては心が沈んだり、はたまたほっこりほほえましくなったりもした。

そんな1月の締めくくり。
このニュースを聞いて数日はすべてのアカウントでどんな内容でも1単語でも投稿することが出来なくなった。
書いては消して、消しては書いて、途中で放り投げる。
自分が紡ぐ言葉の軽さを思い知り、そんな軽い自分のことまでも嫌になった。

それでも結局、私は言葉しか持たないし、言葉は感情そのものだから。だから、今はこうして書いている。1ヶ月半過ぎたけど。

すごく長くなってしまった。
1/3に帝国劇場で同担のお友達と「うちら去年地獄見たから今年は去年よりいい年になるはず❣️」ってゲラゲラ笑っていたけど、現実はそう甘くなく、1月からかなりハードモードだった。
それでも私は自分の命とともに2024年を歩んでいくよ。

自担の成人の日に帝劇に入るというかねてからの夢が叶いました おめでとう💐

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