あぁ休載だ休載
大変遅れ馳せながら、m.m.です。
4月だよ!
2684年度、あけましておめでとう。
SheeSawHarmとしては、今夏以降の予定も随分と決まり
ある公演に向けて制作や連絡に勤しむ日々であります
並んでコンポーザーである私も締切に追われ続けておりnoteはこのザマよ、笑えよ。
年度も移ろい続々と発表も控えておりますので
暫しお待ちを、、、
㊗️SheeSawHarm五周年❗️
弓道部と掛け持ちで軽音部に入ったのが中3の頃
高校生になって組んだバンドに居たのがBassのマエタクとVocalのユーサク(以下、"ニワトリおばさん"と称す)でした
俺が誘った気がせんでもない
活動初期はSiMやマキシマム ザ ホルモンのコピーをしていて、初めてオリジナル曲をやったのは16歳の秋。
何故か当時ドラムを叩いていた私が作りました何故なのか
そんなこんなで高校を卒業し、大学進学で現SheeSawHarmの三人は京都へ上洛。と思いきや
ニワトリおばさん、浪人。
それを聞かされたのが僕が京都に発つ数日前
そりゃもう「京都でもバンドをするんた!」と息巻いていた矢先の出来事
咄嗟にビンタしましたね、それも本気の
そんな訳で、僕とマエタクは京都にて一年間ニワトリおばさんを待つことに。
その際、作詞作曲に本腰を入れたかった私はドラムからギターへ転向。マエタクの居る高の原で作曲しつつ、大学で新メンバーを探すSheeSawHarmの
高の原暗黒黎明期
この時期に憧れた先輩のYou Existや
現19〇、ベースのケ〇ゴリアン
そしてSheeSawHarmに加入した初期メンバーのドラムである"たゆら君"(現RAINC〇VER)
色んな人との出会いはまた別の話
そして年度は変わり2019年、春。
ニワトリおばさん、二浪。
嘘だろ馬鹿がよ、まじか。
流石に2年は待てんし京都に来てもらわな困ると二度目のビンタと共にマエタクと二人でニワトリおばさんを激詰めした結果、
ニワトリおばさん、上洛。
うん、なんで?浪人は???
地元の予備校も辞めて京都で一人暮らし、宅浪。
全くもって意味が分かりません、いや来いとは行ったけどホンマに来るとは思わんやん
そんなこんなでSheeSawHarm始動ドン
深草暗黒黎明期
地元の後輩である吾妻光記(現:酩酊バレンタインのギターボーカル)もギターボーカルとして加入し5人体制にて活動開始
毎日のように私の家でニワトリおばさんと一緒にベッドに土足で座り、作詞作曲作詞作曲作詞作曲
散々でしたよ
まずなんといっても「曲がダサい」
ガチでグロい、やめてくださいダサすぎた申し訳ない
まだまだ未熟でした
この頃は4弦解放リフとパワーコードが主体のド素人ポストハードコア、かなりしんどい。黒歴史です
作詞面に於いては今見ても尖りすぎていて天才だと思うんですけれど、これも如何せん他人には伝わらず。"思想と音楽"について深夜0時から早朝5時までのスタジオでは揉めまくり、主にニワトリおばさんと私が。かなり喧嘩しました、ステゴロでな。
この経験が今のSheeSawHarmの「分かり易いサビの歌詞」と「気味悪めな隠喩のスクリーム部分」の両立に活かされているようないないような
お客さんも音源もMVも魅力も無い絶望時代でしたが、この時に得たモノも多く。
京都M〇J〇のブッカーとして知り合った"ジョッキーさん"との関係が後にa crowd of rebellionとの対バンのきっかけになったり、
京都M〇J〇の対バンで出会ったatsukiさんとの関係が、後のスプリットEP「メメント・メモリ」リリース東名阪ツアーに至ったり等します。
ですがそれは後々の話。
この頃は兎にも角にも絶望でした
私は個人的に色々あり双極性障害・不安障害・適応障害のトリプルキルで不登校引きこもりのキルストリーク、マエタクも個人的に色々あり大学デビューで大滑り。そんな影響を受けてか、高校以前は"ゴリ陽キャ"だったニワトリおばさんも陰キャ堕ち。バンド全体の風水が悪くなり、そして
ギターボーカルとドラムが脱退
この時が一番死にそうでした、危ない危ない。
この時に作った歌モノバラード曲の
「mourning never dawn」(悲しみは終わらない)
という曲がこの後のSheeSawHarmというバンドの主題を決定付ける事になります。
いつか再録で出したいな
さて、そんな訳で私は精神疾患のまま龍谷大学を中退。メンバーも高校時代からの3人になった所で
ニワトリおばさん、龍谷大学入学。
は?馬鹿がよ
見事に入れ違いました
僕が大学届けを持ってた直後に入学したらしいです
奴の二年に及ぶ浪人受験勉強期間も漸く終わり、バンドが本格始動。
茶山再出発期
開幕です
居所を京都の茶山に移したマエタクが所属していた別バンド「ANVITAUPE」にて、DTMを始めたとの報告が。それに肖ってSheeSawHarmもDTMでのレコーディングを開始、これが音源制作に於いてかなり重要な一歩でした。そしてギターボーカルとドラムの欠員の中、1stシングル「カタストロフィ」リリース。これ以降から知って頂いている方がほとんどなのではと思います、ありがとうございます。
時は遡り、深草暗黒黎明期。
この頃によくSheeSawHarmを見に来てくれていたヤリサー所属みたいなツラした金髪DQNがいました。
初めてちゃんと喋ったのは京都MUSEでの
a crowd of rebellion
眩暈SIREN
の公演を見に行った時に偶然
どうやらソイツはマエタクの大学の知り合いでギターを弾いているとの事。
当時リードギターを募集していた我々は有無を言わさず勧誘からの加入、それがあの"gongon"になります。ウチに入ってからの変容がえげつない
さながら「勝ち組金髪DQNだったのに転生したらガイジ陰キャに!?」の異世界転生、本当に恐ろしい何があった。どうした
そんなこんなでドラムにサポートのもっちーを迎え、主に京都で、稀に大阪でのライブ活動が始まりました。順調な新生SheeSawHarmの切り出しかと思った矢先、"ヤツ"の脅威に見舞われます。
つづく
最近は無限に信長の野望 新生をやっています
オーバーウォッチから逃げるな