見出し画像

わがままに生きてほしい① 消防士を辞める決意



まずやりたい事を捨ててしまいました。

そして心と向き合うことをやめてしまいました。

気付いたら嫌いな自分が出来上がっていました。




こんにちは!

ひつじと申します。

昨年度末に消防士を退職し

今はライフコーチという

「クライアント様がありたい姿でいるために
一緒に感情に向き合い応援する」

そんな仕事をしております。

<ざっくり自己紹介>
・元消防士
・今は海沿いのゲストハウスで筋トレコーチングをしながら暮らしています!

筋トレ大好き人間です。

友人に自分の仕事のことを話すと

「なにそれ怪しい。」
「騙されてない?」

そんなリアクションが返ってきます。

その度、とても悔しい気持ちになるのです。


「コーチングは人を救う力があるのに、、、」


そう思うのは、私自身もコーチングに救われた過去があるからです。

それまでは仕事も人間関係も絶望的で、ただ毎日死んだように生きているだけでした。

今回はコーチングに出会う前のどん底にいた時のお話をします。

消防時代の暗い暗い部分に焦点を当てたお話です。

<こんな人に読んでほしい>
・やりたいことが見つからない
・仕事にやりたいを感じられない
・本音を言える場所がない。
・「私何やってるんだろう、、、」と感じる瞬間がある。


大きな失敗と2つの反省




コーチングに出会ったのは新卒2年目の頃です。


当時、消防士をやっていた私は

「この仕事はやめなければいけない。」

と強く感じながらも、実際に踏み出せずモヤモヤしていました。

この決断に至った直後にコーチに出会い、人生が好転し始めるのですが、

それまでに私は大きな失敗を犯し

人生のどん底にいました。

この失敗により、私はしばらく泣きながら出勤する様な

精神状態に追い込まれました。


その失敗とは、”気づいたら”なりたくない自分に落ちぶれていた事です。

この失敗を今振り返ると

2つの反省点があったと感じます。



反省① 情熱を捨ててしまったこと


私たちは「金ピカ」が必要なんだ。


一つ目の反省は、情熱を捨ててしまったことです。

私は就職当時に希望していた配属先に着くことができずに腐ってしまったのです。



そもそも私が消防署に就職したのは

・小さい頃から憧れていた仕事
・救急救命士の資格を活かすため救急隊になりたい!
・人体についてより深く知りたい!
・世間体
・収入の安定

これらの理由からです。

主に大学の青春を全て注ぎ込んだ
救急医療の分野で活躍することを強く望み
救急隊の配属を希望していました。

しかし希望は叶わず新人として配属された先は

消防隊でした。


叶わなかった配属希望


多くの消防署では新人職員は必ず消防隊からキャリアを始めることになるようです。

この事実はもちろん事前に分かっていましたが

それでもやはり、ひどく落胆しました。


大学時代、学部の授業を飛び出し
全国のドクターやナースなど職業の垣根を超えた
多くの人が知識や研究を持ち寄って集まる学会に通って
国際ナースの集まりにも顔を出し文化に縛られない医療のあり方を知り
他県の大学のメディカルラリーチームに混ぜてもらって
自分で講師を招いて勉強会を主催してまで

たくさんたくさん救急医療を探求し続けました。

人体の中にある宇宙のように広大な世界を探求し続けた果てに

就職してからはこの経験を活かして

現場活動で一人でも多く人を救えるならば

この上ない幸せだ、、、、

と未来を思い描いていた救急医療を

一度手放さなければならない。

、、、、私はこれから何に熱を燃やせばいいんだろう、、、、。



とはいえ配属にわがままは通らない



、、、とは言っても現実は現実として受け止めなければなりません。

とにかく、一旦気持ち切り替えて

いつか救急隊に配属される日のために

まずは消防隊として認められて、配属希望を通してもらおう。


ひとまずは心の落とし所を見つけて

消防士としての勤務が始まりました。

きつい訓練や火災の科学、消防車の積載器具の取り扱いなど

覚えること習得することは多くそれなりに忙しく過ごしていました。

しかし、なんだかんだ楽しい。

思ったよりも仲間と試練を乗り越える達成感は得られるし

消防士として力がついてきている実感がある。

お、なんだなんだ?

やっていけるじゃん私!

あとは現場で実績を積んで、腕に磨きをかけよう!

と、意気込んでいたのですが、、、。


火災が起こらない



火災が起こらない。

予防技術の発展により

そもそも火災が起こらないのです。

とても社会的にはいいことなんですけどね

しかし、尋常じゃない精神力を注いで日々訓練を乗り越えた成果を

発揮する場所がないというのは、、、とても辛い。

油断すると自分の仕事の存在意義を疑いそうになるのです。

私たちの訓練はいつ報われるんだ、、、。



2回だけ


結局、2年間の消防隊経験のうち

訓練が活かされたのは2回の出動のみでした。

それでも、その2回だけでも

適切な消化活動により甚大な被害の発生を食い止めることができた。

社会的には大きな意味のあることだと、頭では理解しているのですが

2年間の約160当直のうち2回だけ。

その現場活動以外の時間に自分に役割がないわけではありませんでしたが

自分が従事している仕事が何かに役に立っている実感が湧かないのです。


、、、、この仕事に意味はあるのだろうか、、、。

本気でそう考えるようになっていたのです。

もちろん答えはYES。 

間違いなく必要な仕事です。


、、、、でもねえ、、、。



消え失せた情熱


この時の私は本当に人当たりが良かったと思います。


かつて救急隊に憧れた私は

消防隊にやりがいを探すも見つけることができず

最終的に

「もうどうでもいいや」

そんな気持ちで仕事をしていました。


「資格を持っている私はどうせ近いうちに

救急隊に配属されるだろうから、それまでの辛抱だ。」

と。

もう情熱を燃やすこともなくなり

ただ毎日をこなして過ごすことにしたのです。

、、、我ながらこんな消防隊員がいる街には暮らしたくないな、、、。


本当ならこの時点で仕事をやめるために本気で動くべきでした。

やる気を見出せない訓練だから、現場で活躍できなければ満たされない。
消防署では好きな救急に従事できないなら、病院に転職したっていい。

でもしなかった。

情熱を失ったまま放置することを選んだ時点で私の破滅は決まっていました。


救急隊に配属されるまでの期間は

特に仕事に意欲を感じることができなかったので


「ただ、周りから浮かないように

組織に馴染むことだけに力を入れよう。」


こう考えていたのですが

この思考がやがて自分のことを決定的に嫌いになる原因になったのです。



反省② 心に目を向けなかったこと


2つ目の反省は心に目を向けなかったことです。

消防署の雰囲気は異様でした。

この雰囲気の中で私はだんだんと変わっていったのです。

日常的に感情と向き合っていれば、あそこまで自分の嫌いな自分になる前に軌道修正できていたと思うのです。



出る杭に何が起こったのか


私の職場ではいじめが起こっていました。

多数派から外れるポリシーを持った職員や

うまく職場の雑談のテンションに合わせられない職員は

訓練や日常業務で”特別扱い”を受けるのです。

蔑称で呼ばれたり
事務所での勤務中にお菓子を投げつけられたり
訓練の負荷を上げられたり
訓練の後のケアがされなかったり

私はそんな様を見て

「絶対に誰にも本音を漏らしてはいけない。」

就職して早々に決意しました。


当時の私はすでに

夢に見ていた救急隊と

実際に配属された消防隊の

文化のギャップを感じていて

消防隊のあり方に多くの疑問を感じていまいた。

そして「この仕事はもしかしたら私に向いていないのでは、、、」

と感じ転職することを考慮しながら仕事をしていたのです。

これを誰かに漏らせばどんな反応をされるかわかりません。

さらに、消防署の狭い社会では噂は一瞬にして広まります。

故に、長い間誰にも相談することが出来ずにいたのです。



決意とその後の振る舞い

「常に陽気に振る舞い、どんな仕事も嫌がらずに引き受ける。
いつでもみんなに合わせて大声で叫ぶ。
それが私のやり方。身を守る唯一の方法よ。」

幸か不幸か、私は表面上の態度を

うまく取り繕うことは苦手ではないので

最初こそうまく仕事ができず苦労しましたが

手を差し伸べてくださった先輩のおかげもあり

三ヶ月ほど経った頃には随分職場に

馴染めていたのではないかと思います。


しかし即場に馴染んでいるの愛想のいい後輩は

あくまで上っ面で塗り固めただけの偽物の私です。


職場環境の影響はありながらも、自分の振る舞いを決断したのは自分自身です。

私は職場において本当の自分の居場所を無くしてしまったのです。


本音を主張しないばかりか、同時に自分のポリシーや

かつて救急医療に情熱を燃やしていた頃すらも忘れて

別の人間になりかわり始めていました。


ひつじの自我は私に忘れられることで一度死んでしまったのです。


私があの時、職場の誰かに真っ向から異論を唱えられたかと問われれば

答えはNOです。

今だってあの空気の中、自分の意見を主張するのは怖い。


ならばせめて、自分の気持ちや意見を忘れないために

感情と向き合う時間や環境を設けることをするべきだった。

仕事に情熱を燃やせなくたって

職場の人間関係を改善することが出来なくたって

これさえしていればあれほど自分を嫌うことはなかったかもしれない。


大きな大きな事件

「ビッグブラザーがあなたを見ている。」


この体制が長く長く続いた結果、

非常に大きな事件が起こりました。

決して何があったかを公の場ではっきり語ることはありません。

消防署ではよくある話かもしれません。

他の一般企業でも似たようなお話を聞くことがあります。

こういえば察する方はいらっしゃるでしょうか?


事件の後に起きたことを羅列します。

・職場内での絶対的なヒエラルキーの崩壊。

・新たに力ある立場についた同期の台頭。

・派閥の形成、盛んな密会

・訓練と称した見せしめ。

・犯人探し。

・監視。

・会話の録音。

これらによって、多くの職員がお互いを信頼することが

できなくなってしまったのです。

気づいたら、お互いがお互いを攻撃することに多くの時間を使うような職場になっていました。

いつも何処かで誰かが誰かを見張っていて

水面下ではお互いがお互いを罵り合っている。

今日ターゲットになるのは自分かもしれない。


苦しい。

もうほとんど人間関係は崩壊していました。



懺悔


「ジューリアにやってくれ! ジューリアにやってくれ! 自分じゃない! ジューリアにだ! 彼女をどんな目に合わせても構わない。 顔を八つ裂きにしたっていい、 骨だけにしたっていい。 しかし、俺にじゃない! ジューリアにだ! 自分じゃない!」

彼もまた変わってしまったのです。


私はここに至るまでに仕事への情熱を捨て、自分の感情と向き合うことを忘れてしまいました。

これによってこんな変化が起きていました。

・情熱を捨ててしまった→ただ他人に合わせるようになった
・感情と向き合う時間を作らなかった→心の違和感に気づけなくなった

こうなった私はもう自我のないイエスマンです。

抜け殻です。

環境の奴隷になってしまう。

周りの環境に合わせて完璧に自分を変えられるなら、それはそれで才能だと思います。

これからの世界はどんどん変化が加速すると言われています。

だから変わっていくこともまた重要なのでしょう。

しかし、自分の全てが変わってしまうことはない。

仮に自我を忘れても、心のどこかで違和感を感じているものです。

そしていつか、日常で抱え込んだ違和感を抱えきれなくなり、ある日突然弾けるのです。


私はそうでした。

これからその懺悔を綴ります。


2分間憎悪


大きな事件により職場環境は悪化し

派閥ごとに職場は分断され

派閥ごとに影でお互いを罵り合うようになっていました。

そして

気づけば私も、とある派閥に属していました。

同期や先輩方が、他の派閥を罵る会話をよくよく聞いていました。

ああ、、みんなこうなってしまうんだ。

誰かを罵らずにはいられなくなってしまったんだなあ、、、。

そう嘆いていました。


なぜ他人事だったのかなあ、、、。



弾けたのは突然のことでした。

その当直でも同じ派閥の上司と過ごし、雑談に興じていました。

言葉を発していると突然、周囲の景色が遠のいていって

パースが崩れ始めるのです。


何が起こったのだろう。


体に異常をきたす様なおかしな事したか?

今やっていたのは、、、

そこで初めて自分の行動に焦点が当たりました。


そして気づいたのです。

周囲の変化を憂いていた私自身も積極的に誰かを陰で罵るようになっていたのです。

何の気なしにするたわいもない雑談と同じ様に、何の抵抗もなく他人を評価し、見下していたのです。

あれ。

おかしい。

わー、、、、。

これは違う。

大学時代に願った未来じゃない。

どうしたんだ私、、、、



あの上司のこの采配が。

あの上司の考え方が。

口から出るのはそんな話ばかり。


こういうことを話せば組織に馴染めるだろう。

こういうことを話していればこの派閥内での私の評価は上がるだろう。

先輩方、あなた達が求めているのは、あいつらへの罵倒なのだろう!!

当時の心境を語るならばこんな感じでしょうか。

、、、、、腐っておりますね、、、。

早く書き終えて次のパートに行きたい。


先述した通り、かつて失った自己評価基準は

「どれだけ組織に馴染めるか」

に完全に書き変わっていました。

先輩方が望む私であり続ける

そのために今必要なのは、一緒になって罵倒し続けることだ。

これが私の当時の感情です。



「大学生ひつじ」の日記


その当直が明けた朝、家に帰って大学時代につけた日記を読み返していました。

そこにはキラキラしていた頃の思い出が詰まっていました。

仲間たちと図書館でただ知識を探求したり
ホワイトボードまで使って興味のある分野を共有しあったり
一緒にイベントを成功させようとニヤニヤしながら企て事をしている

そんな大学生の頃の私がいました。


自然と涙が溢れてくるのです。


なんで私はこうなった。


ただ、ちゃんと生活しながら

興味のある人体のことをもっと勉強できる環境があるなら

そこにのめり込んでみたかった。


それが、いつから人を罵倒して蹴落として自分の地位を守ろうとするような

クズ野郎になったのか、、、、。



一日中、大学時代の自分と今の自分を対比しながら絶望していました。



二重思考


「星でさえも、無視すればないのと同じだ。」

そして、それからの当直は今まで以上に辛いものになりました。

毎朝、涙がこぼれるのです。

またあそこに行くと嫌いな自分になってしまう。

人を罵ることでしか自分の居場所を守れない人間になってしまった。


他人の心の背景を鑑みることもせずに上司を罵るクズ野郎な自分と

日記で思い出した大学時代のただ探究心に溢れた自分との間で

心が裂けそうにになるのを感じながら

それでもなんとか職場用の”仮面”を被って仕事をしていました。

自分の変容具合に気づいても、職場の状況は大きく変わりません。

ただ愛想笑いでうけながすしかない。

「このまま死んだ心で過ごすのだろうか、、、。」

職場の仮眠室でふとそんなことを考えます。


テンションの上がることは何か


ある言葉に出会い、状況は一変します。

いつも通り、その日も死んだ様に過ごしていました。

特にやりたいこともなく、スマホをいじってみたり、本を読んでみたり。

しかし、その日選んだ一冊がきっかけで、
私の心に再びゆっくりと情熱が灯り始めたのです。

あなたは宇宙兄弟をご存知でしょうか?

この漫画には人生を動かす力があります。

主人公の難波六太は物語開始早々に務めていた会社をクビになるのですが、

これをきっかけに幼い頃の夢であった宇宙飛行士を目指すのです。

この物語に多くの人が勇気をもらっています。

もしまだ未読なら是非読んでみることをおすすめします。


そんな物語の中でこんな言葉に出会いました。

宇宙開発に携わりたいと夢を描きながらも
周りの大人たちに止められ、周囲と同じように地元の工場に就職しようとしていた
ピコとヴィンスさん。
しかし、とあるきっかけから決意を新たに再び夢に向かって歩み始めるのです。


最初はじわっと胸が熱くなる程度でした。

ただの違和感くらいの感覚です。

でもこの言葉はすごく深く心に残り

何度も反芻されるのです。

この言葉を頭で繰り返しながら生活していると

だんだん思いが言葉になっていくのです。

わあ、、、。

死ぬまでこのままもやもやしながら生きるなんて、、、そんなわけないだろう。

私の時間は貴重なんだ。

大事な大事な20代を

こんな場所で

こんなことに

消耗してたまるか。

大学生の頃はもっと毎日が楽しかった。

毎日仲間たちと、知りたいことをただ突き詰める

あの時間が何より幸せだった。

あの頃にもどろう。

ただ探究心に溢れた私にもどろう。

もう情熱を燃やせないこの職場にいちゃだめだ。


誰かに認めてもらうためではなく

自分を好きでいられる、胸を張れる生き方をしよう。

人生はいつ終わるかわからないんだ。

せめてまだ生きているなら

これ以上自分で自分の意思を殺してたまるか!!



こうして、私の情熱が戻り

再び自分の人生を歩み始めることになりました。


ひつじ23歳。

新卒で消防士になり

情熱を失い

感情に見向きもせず

ただ死んだ様に生きていた1年間からやっと戻れたのです。

「私はどんな人生を送りたいか」

「何をしながら生きていきたいだろうか」

「私のテンションの上がることは何だろうか」

私のやりたいこと探しが始まりました。


そして、好きな分野を探している最中に

初めてのコーチに出会う事になるのですが

これはまた次の記事でご紹介します。


最後に


とても暗い話を長々と聞いていただきました。

ここまで読んで下さり、本当にありがとうございます。

最後にこの経験を通じてあなたにお伝えしたい事をまとめます。



1、情熱を燃やせるものを大事にしてほしい。


情熱を無くしてしまった私は、ただ周りの環境に合わせるだけの操り人形になってしまいました。

そこから這い上がるのは本当に大変です。

今、あなたの中に

時間を忘れて没頭できる物や
誰に話しても共感してもらえないけど、漠然と好きな物
よくわからないけど情熱を注ぎ続けられる物
があるなら、是非大事にしてほしい。

人生の役に立たなくてもいいし
それがあなたの人生に必要だと誰かにわかってもらう必要はない。

ましてそれを仕事にしなくてもいいし
何か一つに絞らなくてもいい。

ただ自分の心が、その瞬間の幸せをわかっていればいいのです。
どうしようもなく心が沸き立つ瞬間を、絶やしてはいけない。

そうやって得られる心の潤いは、あなたしか知らないからです。
あなたがその瞬間や感情を忘れてしまったら
その瞬間はもうやってこない。

しかし、人間は情熱無くして生きてはいけない。
心が沸き立つ瞬間をいつだって待ち望んでいる。

自分の中の情熱が死んでしまったら、誰かが作った情熱にすがるようになります。

上司や友人、メデイアや有名人が魅せる

キラキラしている他人の人生で心を潤そうとするのです。

そうなってしまったら、もう私たちは操り人形のように
誰かが決めた主義や美学を掲げて生きていくしかない。


でも、借り物の情熱で自分の心を動かし続けるのはとても難しい。
いつか、違和感が拭えなくなり、やがて心が弾けてしまう。

それは死ぬ時かもしれないし。
好きな漫画を読んだ時かもしれない。
子供と向き合う時かもしれません。

いつか訪れるその瞬間に

「何やってるんだわたし、、、。」

と後悔に苛まれるのです。

自分から目を逸らさないでほしい。

私のように自分を殺して日々を生きるのは辛い。

だから情熱を燃やせるものがあるなら、どうか忘れず大事にしてあげてほしいのです。




2、違和感を大切にしてほしい。


そして、日々自分の心と、向き合ってほしいのです。

私たちは、ある日突然情熱を失ったり、ある日突然情熱が戻ったりすることは稀です。

私の場合も気づけば情熱が消えていてその時は気づけませんでした。

宇宙兄弟を読んで決意を新たにした時だって、読んだその瞬間は変な胸の辺りがじわっとする感覚を感じただけした。

決意として言葉になったのは、しばらく経ってからです。


心の変化は日常をただ生きているだけでは捉えきれないのです。

だから、頑張って向き合わなければ私たちは心に置いていかれてしまうのです。


向き合い方は何でもいいです。

最近ではいろんな方法が流行っています。

瞑想とか

ヨガとか

私が提供しているコーチングだってそうです。

気持ちをただ書き出すだけでも構いません。

あなたの生活に馴染む形で1日5分だけでも時間を作ってみてください。

見える世界がきっと変わってくるはずです。


そうやって心と向き合っていると、ふと違和感を覚えることがあります。

私が受けたコーチングでもそうでした。

正直に気持ちを言葉にしているはずなのに、妙にしっくりこない。

気持ち悪い感覚ですが、これはいい兆しです。

その違和感にただ向き合ってください。

ちゃんと向き合って掘り下げ続けると

そこから過去に埋もれた情熱が湧き出るかもしれません!


3、違和感を感じなくなる前に誰かに話してみてほしい。


心と向き合う方法は何でもいいとお伝えしました。

しかし、やはりおすすめは誰かに話してみることです。

一人で心に向き合い続けるのには体力が必要です。

向き合い続けた結果、自分が抱えている悍ましい感情が見つかるかもしれない。

一人では向き合い難い自分がいたとしても、誰かが一緒に向き合ってくれるなら

とても心強い。


だから信頼できる誰かに自分んが抱える違和感を打ち明けてみてほしいのです。

親でも恋人でも親友でもSNSでも旅先で出会った人でも

違和感を自分の外に吐き出した瞬間から日常が動き始めます。


4、わがままに生きてほしい。


最後に、わがままに生きることを自分に許してあげてほしいのです。

本当に自分らしく生きることができた時、必ず誰かからは「わがままだ」

と揶揄されます。

自分の価値観が全ての人に理解してもらえることはありません。

何度も書いている通り、自分の感情を自分で殺しながら生きるのは何より苦しい。

あなたの心が喜んでいるのなら

正しくなくても

成功しなくても

笑われても

それがあなたの生き方なんです。

心を信じて、あなたらしく最高にわがままに生きてください。


「私たちは人間だっっ!!!」

誰が何と言おうと彼らは人間だったのです。


私を救った”コーチング”なるもの


次の記事では、私がコーチングに出会ってからのお話をいたします。

消防士をやめて

ゲストハウスに住み込み

筋トレとコーチングと自然に囲まれた日々を過ごし

情熱に満ち満ちて日々を生きています。

全てがコーチングのおかげではありませんが、やはり背中を押してくれた影響は大きかったです。

だからモヤモヤするものをどこにも吐き出せずに抱えているなら、是非ともコーチングを推したい。

しかし、コーチングがなんなのかはまだまだ認知が少ないですし、情報も少ない。

しかも、コーチとクライアントの相性によっても得られる効果は様々です。

次の記事でお話しする私のお話が、一つの事例として参考になれば幸いです。

ではまた次の記事で👋

ひつじ



ライフコーチ”ひつじ”はコーチングセッションのクライアントを募集しています!

詳細はこちらから↓



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?