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友人の結婚式を楽しめない自分。転職で変わっていく元同期との関係。
こんにちは。
ライフコーチのひつじです。
かつての同期達が怖いなと感じた体験をお話しします。
人間性を否定したいわけではなくて
要は職場を離れたことで同じ悩みを分かち合えなくなってしまったなあ、、、、。という寂しさというか切なさというか、、、、。
そんな気持ちを吐き出します。
素敵な結婚式。
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大学時代の同期が結婚した。
昔の同期達が招待され、大学時代の友人と再び顔を合わせることになった。
楽しみ。
みんな元気だっただろうか。
結婚して、出産したやつもいて
きっと生活の変化なんかも聞けるんだろうな。
とかなんとか妄想を膨らませてワクワクしていたのですが
今回の結婚式では期待と少し違った感想を持ち帰ることになりました。
何かというと、かつての同期と共有できる話がなくなってきていて、寂しいなと思うのです。
私たちの大学はほとんど全員が消防士になるような学校で、今回集まった同期もほぼ全員が消防士。
大学生だった当時は、同じレポートに悪戦苦闘し、定期テストに向けて共に戦い、就活の悩みを打ち明けあった戦友のような感覚があった。
消防士になってからも、みんなが同じ業界にいたためか抱える悩みだって共通している。
「消防署の食事を新人だけに作らせる文化はどうにか無くならないものかね。」
「自分で作らないなら味に文句言うなよ。」
「緊急走行の研修が控えててさ、、、、、」
「筋トレ好きの先輩に捕まっちゃってさ、、、。」
かつては職場では口にする機会が確保しづらい愚痴などは大学同期の彼らと分かち合っていた。
そして今、私は消防士を辞めた。
彼らは変わらず消防士をしている。
立場が変わって再会した彼らは少し違った生き物に見えた。
違った人生。違った悩み。
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結婚式の”しばしご歓談”の時間。
彼らは何を話していたのだろう。
何かお金の話だった気がするんだけど、消防士として偉くなっていくと発生する何かしらの悩みなのだろう。私の知らない世界だ。
本来、私は他の人から私の知らない世界の話を聞くことが好きなタイプなのだが、
私が心を寄せているはずの彼らが発する音声が右から左にただ流れていく。
鼓膜で受け取った信号を処理するを事を諦めて、脳みそはこんな事を考え始めていた。
「みんな変わってしまったな。。。」
大変身勝手な感情だ。
しかも、どちらかといえば変わったのは私の方だろう。
きっと消防士を辞めて別の道を歩み始めた私は
彼らと同じ悩みを分かち合うことはできなくなっていく。
今、私の頭の中に渦巻くあれやこれを打ち明けても、受け取ってもらうことが難しくなっていくのだろう。
今回の会話でも、彼らは明らかに話の流れについていけなくなっている私との距離をとりあぐねているようだった。気を遣って話を振ってくれたり、今考えていることを聞いてくれるも、私の答えになんだかピンとこない様子。だんだんと申し訳なくなっていく。
そんなやり取りを繰り返していくと
だんだんとやるせなさが込み上げてきてしまった。
どうしても消防業界に違和感を拭えなくて辞めた私と、それでも消防士のステレオタイプの人生を歩むことができる彼ら(彼らなりに葛藤しながら生きているはずなのに、これまた狭い視野での捉え方だこと。しかし、彼らの葛藤を目の当たりにしていない今の段階ではそう感じてしまうのだ。)との間に明確な境界線が
引かれたような感覚に陥る。
ああ、怖いな。
きっとこうやっていろんな人との関係性や距離感の変化を味わいながら大人になっていくのだろう。
別の世界に行ってしまった彼らのテーブルから抜け出して、一旦トイレに行く。
湧き上がったもやもやを書き出さねばどうにかなってしまう。
常に持ち歩いているメモにペンを走らせる。
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・友人達との場でドヤりたい自分とそれをしている自分への嫌悪感。
彼らの前ではどんな顔をすればいいのか。
・友人との距離感が少し遠くになったなと感じる。当時よりも冷静に
自分を見れる。
・コーチングのアイデアで頭が埋め尽くされて友人の結婚式を楽しめない。
そう言う呪いにかかっている感覚。
帰りの電車。
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アルコールが少し抜けて帰りの電車に揺られる。
頭は結婚式モードから完全に切り替わっていて、自分の頭の中にあるアイデアをまとめることに夢中になっていた。本を読んでマーカーを引いて、エッセンスとして使えそうなものをメモに落とし込んでいく。
きっと結婚式に集中できなかった要因の一つに、頭の中がアウトプットしきれていないアイデアでパンパンだったことも挙げられるのだろう。大切な友人の結婚式を”こなし終えて”、一人の時間にイキイキと活動している自分に少し引いてしまう。
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無限に湧き出るアイデアを一旦堰き止めて、今ここにある友人達とのかかわりに集中するにはどうしたらいいのだろう。表現者として敬愛する。星野源さんに伺ってみたいものである。
、、、、とか言って、彼ならなんて言うだろうかと頭を捻り始めると、イマジネーション星野源がいくつか答えを出してくれるようだった。
結局出し切るしかないのだ。無限とも思える頭の中にいる”それら”を出し切らねば彼らと同じ社会に生きることはできない。実際に生涯をかけて出し切ることができなくても、それに集中するしかないのだ。もしそうなったら、私はそう言う生き方しか選べない人間だったのだろう。そしてそれが私の才能なのだろう。
私は生まれてから23年の歳月を、”それら”を押し殺して自分の内側にとどめておくことで社会や友人と共存してきた。自分の内側ではなく外側で発生していることにフォーカスし続ければ友人達と同じ世界の中で生きていける。
しかし、頭の中に俺を押しとどめておくことにも限界がある。明らかに目の前の友人との会話や仕事に集中できなくなり「メモリーの容量が不足しています。」とアラートが出始めてから同じ戦略が取れなくなった。誰とも共有できないからと言う理由で、自分の中で起きている問題を放置しすぎた。
もう誰かにわかってもらえる形になるまで出し切るしかないのだ。だから消防士を辞めて、”それら”を表現する人生を選んだ。
*
結婚式場のトイレでメモに書き殴った。
「コーチングのアイデアで頭が埋め尽くされて結婚式を楽しめない。
そう言う呪いにかかっている感覚。」
もし今回のことを呪いと捉えるなら、この呪いは23歳までの自分が感情を押し殺してきたことで徐々に作り上げてきたのだろう。
だからこの呪いは徐々にゆっくり解いていくかない。
素敵な呪いと共に生きる日々
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呪いという単語を使うとかなり重苦しく聞こえるが、割と私は呪いと一緒にいる今の生活を楽しんでいる。
なぜかって、呪いと向き合うことで分かり合える人がいるからだ。
生活のあり方を変えれば、かつての友人と距離を感じて寂しい思いをするが、同時に新しい出会いを味わうことができる。
自分の内面全てを曝け出した上で、誰かと関わることができる今の暮らしはそう悪いものではない。実際、こういう己の内面を吐き出すことで出会えた方が今までにたくさんいた。心から共感しあえる誰かと出会うというのは人生のうちで何回味わえるだろうか。その出会いの全てが心から嬉しいし、救われた気持ちになる。
どんな生き方を選んだとしても、誰かとは寄り添えるし、誰かとは離れることになるのだ。ならば、自分を押し殺すのではなく、なるべく表現できる方がいい。そうすれば少なくとも「データ容量が不足しています。」なんて脳内でアラートが流れることはない。
頭の中のものをどこにも曝け出せないうちは「呪い」のように頭を蝕むものになるかもしれないが、ひとたび心の底から湧き出る”これら”をどこかに曝け出すことができれば、それは人と人とを強く結びつける「魔法」のように働くのかもしれない。