遥か遠くのさいわいに
お正月ということで、鷹富士茄子さんの話。
鷹富士茄子と芸事、そして当然のように岡崎泰葉さんの話。
多才な隠し芸を誇る茄子さんですが、それらはきちんとした芸事から来ているのではないか。これまでのエピソードから日舞や雅楽は出来るようだし、それ以外にも華道や茶道もちゃんとできそう。では茄子さんにとってアイドルを含め、「芸」とはどういうものなんだろう?
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さて、「幸運のひと」である茄子さんにとって、普通の人間関係や正当な社会的評価などは、実際問題として望むべくもないものでしょう。(デレステの「生きていることが最大の幸運」には震えました。)
もちろんそれでもなお、ああやって笑顔でいられることが鷹富士茄子という人の大きな魅力ですが、一方であの過剰なサービス精神は不安から来るものなのではないかとも思います。
おそらく茄子さんには親友と呼べるような人はいないはずです。友人や知人、助けてくれる他者は多くいるでしょう。しかし、無条件に信頼できる他者を、幸運の人である彼女は持つことが出来ない。なぜなら、彼女にとって側にいてくれる他者には疑問がついて回るから。「わたしのことが好きなのか、わたしの幸運が好きなのか」どころの話ではなく、そもそも「幸運ゆえにこの人はいるのではないか」という話。
「幸運目当て」ではなく「幸運が介在するから」関係が成立しているのではないか、という疑問。「わたし、関係ないのでは?」
聡明な茄子さんのことである。持たない筈がありません。でも同時に、そこに切り込んでも傷付けるだけだということも気がついてしまっている。
だって誰にも、どうにもならない。理解されることもない。純粋に茄子さんを気遣い、その気遣いが茄子さんを傷付け、傷付く彼女を見ていっそう彼女を気遣い、さらに傷を深めていく彼女を見て皆も深く深く傷付いていく地獄の無限ループ。だから、そこは判断を保留にして、人生を過ごしているのではないかと。(そのような優しさと諦念からくる鷹揚さとしたたかさを茄子さんには感じることがあるんです。)
そんな、何をしても(あるいは何もしていなくとも)、幸運と切り離されることができない茄子さんにとって、運に左右されることのない評価というのは大変貴重なものだと思います。運が良くても、駄目なものは駄目で、勝敗とは別に、巧拙という絶対の評価軸がある芸事は、茄子さんにとって新鮮であり、場合によっては救いにすらなったのではないか。
運ではなく、容姿でもなく、人間性でもなく、ただ結果のみで評価され、さらにその評価軸にも人間性は介在しないけれど、あくまでも人間が人間に向けて行うわざであるという。絶対に正しく理解されることのない茄子さんにとって、唯一他者から正当に評価されうるそれが、彼女と他者=世界とのリンガフランカになったというのはどうだろう。
茄子さんにとって芸を磨くことと、新たに芸を身に付けることは、イコールで新しい世界と出会うこと。だからこそ、鷹富士茄子は隠し芸にも手を出したし、アイドルにもなった。そして劇場の「もっと色々なお仕事してみたくて」にも繋がっていく。
茄子さんはアイドルというとびきりの「芸」によって、社会に関われるようになり、それを4年間磨きあげることで、ついに正月という「閉ざされた幸福な世界」から出ることができたんだ、とまでいくのは言い過ぎではないと思っています。
望むべくもなかった、遥か遠くの幸いに、鷹富士茄子は辿り着いた。彼女のこれからの行く先は、いつだって明るい。
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そして、泰葉さんですよ。
泰葉さんもまた形は違えど芸能によって社会と繋がってきた人なのは周知の通り。彼女がいろいろあったのに芸能界を辞めなかったのは、芸能以外の他者との繋がり方を知らなかったからというのもあると思うのです。
小さな頃から芸能界にいて、そこ以外の世界を知らずに来てしまったのが岡崎泰葉という女の子。普通の女の子に憧れながら、そちらにいかなかった理由のひとつには、そういう単純な(でも切実な)ものもあると思います。
「子役」「モデル」「芸能人」、そういった肩書と技能こそが岡崎泰葉の存在証明。そしてそれらがない自分を、ただの岡崎泰葉という女の子を、彼女自身が想像できなかったから、芸能界に居続けたのではないのかなと。
そして、ここからは妄想度が跳ね上がります。
鷹富士茄子と岡崎泰葉。「芸」をもって世界と繋がってきたふたりはとても近い部分がある。もちろんふたりの間には、断絶とも言える違いがありますが、それ故に、茄子さんが(一方的に)泰葉に対して共感していたら面白いと思うのです。
ふたりの違いは当然、岡崎泰葉は選択ができる、という点です。泰葉さんはいつでも芸を捨てて、芸能界を辞めて、普通の女の子になれる。(繰り返しますが、それでも辞めなかった/辞めないのが岡崎泰葉の魅力です。)でも鷹富士茄子は芸を捨てることはできない。捨ててしまったら、彼女は世界と交流することができなくなってしまう。彼女は普通の女の子にはなれないんです。どれだけ憧れていても、絶対に。
けれど、茄子さんは泰葉さんが「選択できる」ということを羨みはしても妬みはしなくて(そんな人ではないんだ)、むしろ、「選択して」芸能界に残ったということを誰よりも、誰よりも嬉しく思っていたりするんじゃないかなぁと。新春イベの時とかテンション高くいろいろ絡んでたりしたのが、そういう感情の発露だったりしたらとても好いなぁと思った次第。
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