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小説 | たとえば、空が青かったからとか、そういう類の。

味志ユウジロウさんによるイメージイラスト

***

 動機なんて、自分でもわからない。
 ただ、空が青かったからとか。
 ただ、あの子が綺麗だっただけ。



 貴女と待ち合わせをすると、いつも住んでいる世界が違うと感じる。
 群衆よりひとつ抜きん出た頭に天使の輪が浮かび、肩口で切り揃えられた髪が踊るように揺れている。
 長い手足は爪先まで貴女の意思で満ちて、迷いなく歩を進める。貴女が歩く場所はランウェイになる。どんなにシンプルな服であっても、すべての服は貴女のためにあると錯覚する。
 貴女は綺麗で、存在感があって、いつも誰かに声を掛けられている。
 それらを躱わしながら一直線に私の元へ来て「お待たせ」と声を掛ける。
 私の姿を見て、声を掛けていた男たちはそそくさとどこかへ消えていく。
「行こうか」
 そう言って私の手を取る貴女を見上げる時、今この時が止まればいいのにと思う。

 貴女はいつも私の手を引いて知らない世界に連れて行ってくれる。
 お洒落なカフェ。天井まで本が並ぶ書店、画面の中でしか見たことのない夢のような場所の数々。
 貴女は呪文のようなカタカナの羅列を並び立て、私は訳も分からずに同じものを、と呟く。
 プラスチックの容器の中、ふわふわでキラキラな飲み物が揺れている。まるでお姫様みたいだ。
 ソファにただ座っているだけなのに、貴女はとても綺麗で、まるで違う世界の人のようだ。
 私は向かいの席に座るにも分不相応で、Tシャツの裾を握りしめる。
「久しぶりだね、二人で出掛けるの。最近は何してる?」
 私は小さな声で近況を話し始める。貴女が好きそうな本の話。面白かった講義の話。教室では相変わらず一人でいること。貴女がいなくて淋しいこと。
 喧騒の中にあっては聞こえていないかもしれない、小さな出来事。本当に言いたいことは何ひとつ言えないまま。
「それで? その後どうしたの?」
 弾んだ声音。でも貴女の瞳は私を映すことはない。貴女は一日中画面の中で囀っている。目線は画面に落ちたままで、睫毛が陶器の肌に影を落としている。貴女はまるで美術館に収蔵されている彫像のように完成している。
 不意に貴女が顔を上げる。貴女と目が合うと、私は石になってしまう。喉に言葉が詰まって、身動きが取れなくなる。
 それなのに貴女は優しい声で「それで?」と根気よく問い掛けてくれる。
 帰り際に月子は手紙を握らせてくれた。ひんやりと冷たい指、青く塗られた爪先が目に入った。
「またね、あきらちゃん」
 そう言って貴方は踵を返す。
 貴女は可愛くて。貴女は美しくて。貴女は性根までも美しい。
 それがどうしようもなく、癪に障る。



あきらちゃんへ
 急にお手紙書いて、驚かせたらごめんね。
 あきらちゃんが休憩時間に本を読んでいるのを見て、お手紙を書きました。
 いつも騒いでばかりだけど、本当は私も本を読むのが好きです。
 よかったら、一緒にお話ししませんか?
 お手紙でもいいです。あなたとお話ししたいです。
 お返事待ってます。つきこより



 畳の上にリュックサックを下ろし、布団へ潜り込んだ。
 今日も碌に話せないまま終わってしまった。
 月子つきこと出会ったのは高校生の時だった。
 編入した中高一貫校では既に人間関係が出来上がっていて、私は自分から誰かに話し掛けることができなかった。一人でも平気ですという顔をして本を読んでいた私に手紙を渡してくれたのが月子だった。
 月子はいつも人に囲まれていたけれど、目が合うと笑ってくれた。それがどれだけ心の支えだったことか、きっと貴女は知らない。
 高校を卒業して進学先が別れてからも、何故か月子は連絡をくれた。碌に話せもしないのに、どうして月子は私に声を掛けてくれるんだろう。
 枕元のカラーボックスを布団に寄せる。カラーボックスの中に私の高校時代のすべてが詰まっている。卒業アルバム、月子のくれたお揃いのキーホルダー、そして月子からの手紙。その一番上に今日渡された手紙を重ねる。
 この手紙には一体何が書かれているんだろう。SNSのアカウントも知っていて連絡も取れるのに、わざわざ手紙を渡す意味はなに?
 もう覚えるほど読み込んだ貴女の手紙を順番に開いて、心の準備をする。
 貴女の言葉だけを聞いていたい。丸くて甘い、貴女の言葉を。



あきらちゃんへ
 こないだはお返事くれてありがとう。オススメの本も教えてくれてありがとう。本当にうれしいです。また感想を書いて送るね。
 本当は休み時間あきらちゃんとお話ししたいんだけど、話しかけにいけなくてごめんね。私の机の周りは人が集まってきて読書のジャマになっちゃうんじゃないか、心配です。うるさかったら言ってね。
 みんなのこと、嫌いな訳じゃないけど、時々しんどくなります。
 みんな私に理想のキャラ付けをして、その演技をてっていさせようとするから。少しでも"私"の部分が出てくると、みんななかったことみたいに取り繕おうとする。
 みんなが見ている私って誰なんだろう。
 だから、本当の私を知っているのはあきらちゃんだけです。話聞いてくれてありがとうね。つきこ



 卒業アルバムの中の月子は一際抜きん出ている。写真の中の貴女は今よりも幼い。
 私は月子の顔を直視したことがない。人の視線を避けるために伸ばした前髪が頬に当たって炎症を起こしている。
 人の視線が苦手な私を気遣って、月子は敢えて目を合わせないようにしてくれている。
 顔が綺麗でないならせめて性格だけは、なんて。そんなの無理だ。
 顔の一部でも歪んでいると全てを叩くのが人間だ。叩かれた人間が歪まずにいられる訳がない。
 月子は非の打ち所がない。外見で叩かれたことなどないのだろう。だから性格も美しいんだ。
 月子の写真に指を添え、顔に手を翳す妄想をする。
 月子の肌は陶器のようにすべすべしている。凹凸なんて何ひとつなく、驚くほど白い。睫毛は長く天へ向かって伸び、影を落としている。短い髪は艶めいてサラサラしていて、くちびるはリップを塗ったように鮮やかだ。
 SNSを開いて今日の月子を確認する。今日の月子は瞼に夜空を落としている。爪と同じ色。目の中に白い月がある。跳ね上げたアイラインは彼女の瞳をより一層輝かせている。
 アルバムの月子の顔に今日の月子を重ねる。くちびるは高校生の時の方が赤い。禁止されていた色付きリップを塗っていたのかもしれない。
 いつだって誰からも愛されて、校則を破っていても疑われずに許される、世渡り上手な月子。
 私がそうだったら良かったのに。それと同時に、貴女が私のものになればいいと、どれほど思っただろう。
 もしも私と月子の首がすげ変わったなら。人生も変わっただろうか。
 私は部屋の中に空想の月子を作り上げる。月子の形の空気を抱きしめ、月子の顔にくちびるを寄せる。
 空想の月子は、硬くて冷たい。



あきらちゃんへ
 こないだ他校の男子と付き合うことになった話したっけ? してないかもしれないけど、もう別れることになりました。
 手を繋ごうとしたのに気付かないフリをしたり、帰りにキスしようとしてきたのを止めたら、めちゃくちゃキレられて。
 一回目のデートでキスするのが普通だと言って、私はお互いをもっとよく知ってからだと思うって言ったら、キスするのもセックスするのもOKだから付き合ったんだろと言ってきたので、なかったことにしようと言って別れました。
 何回目でするのが普通とか、付き合ったら絶対にしなきゃいけないとか、誰を見てるんだろう。私はもっと知ってみたいと思ったから付き合ってもいいよって言っただけなのに。
 触れたいと思った時が、好きになった時なんだと思う。なら、私はあいつのこと好きじゃなかった。
 じゃああいつは私のことを好きだったのかな。分からない。好きで触れたいって思ったとしても、お互いが触れたがっていないと意味がないと思う。だからやっぱりセックスがしたかっただけ。
 愛しているなら、どうしてそんな酷いことをするの。
 私には、わからない。
 ごめん、変な話して。でもこんなこと話せるの、あきらちゃんだけだから。つきこ



 時は流れるものだ。しかし画面の中では必ずしもそうではない。
 流れていく時を指先ひとつで止める。私はある時、ある時点の月子を見つける。
 当たり前のことではあるが、月子は私の知らない時間を生きている。私の親指が固定した時間の中で、月子はまた知らない女とコスメの話をしている。
「今日の購入品 〓〓〓〓のアイカラーレーション〓番、〓〓〓のアイライナー、〓〓リップティント〓番」
「〓〓〓〓の〓番、私も持ってます♡おそろいですね♡」
「〓〓〓〓の新作可愛すぎる! アイカラーレーション〓番も似合いそう」
「ありがとうございます! 実は〓番はもう持ってるんですよ〜! 使いやすいから新作も買っちゃいました! 〓番も気になってます」
「〓番も似合いそう!! WEB限定だけど〓番〓〓〓アイライナーとの相性良さそうです!」
「WEB限定はノーマークでした! 早速ポチったのでスウォッチ上げます!」
 呪文のようなその羅列を一つずつ分解して調べて、私にも分かる言語に翻訳し終わる頃にはもう疲れ切っている。画面に表示される金額を見て、意識が遠のいていく。
 それらの言葉は夢の中にまで現れて、私の脳の皺に刻まれていく。だけどそれらの意味を正しく理解することなく、つるりと滑り落ちる。次の日にはもう私は何を買うべきだったのか、綺麗さっぱり忘れている。私に直接向けられた言葉ではないから。
 月子が私の容姿に対して言及したのは髪が綺麗、それだけだ。それが顔が可愛くない人に向けて言われる言葉だともう随分前から理解している。なのに嬉しくてずっと伸ばしている。
 もしも月子が私に道を示してくれたなら、私だって。
 スマートフォンを布団へ投げ捨てて、もう二度と見ないと誓いを立てるのに、指はアプリを消しては開いてリアルタイムの月子をこの目に収めようとする。
 私はまた空想の月子を呼び出した。私は月子の首に手を掛け、力を籠める。空想に力を籠め続けると、月子の首は体から外れて転がった。拾い上げた首を天へ掲げる。空想の中の月子は変わらずに綺麗な顔をしていて、私を脅かさない。
 貴女が愛しい。貴女の一番の理解者でありたい。貴女にとっては数いるうちの一人でしかない。それがどうしようもなく、耐え難い。
 月子の首が欲しい。その瞼を、頬を、くちびるを、私の色に染め上げたい。誰のものにも、ならないで。



あきらちゃんへ
 久しぶりに手紙を書きます。高校生の時ぶりかな? なんだか懐かしくなっちゃうね。
 改まって、今日はあきらちゃんにお願いがあります。
 〓月〓日、私の家に来て欲しいの。そこで*****欲しい。
 こんなことお願いできるの、あきらちゃんだけなの。
 嫌だったら、来なくていいです。会うのももうこれっきりにしよう。
 でももしもあきらちゃんが私の願いを叶えてくれるなら、私はあきらちゃんに何でもあげます。本当に何でもです。あきらちゃんは何が欲しい?
 待ってるね。つきこ



 初めて足を踏み入れる月子の部屋は、まるで夢みたいで気後れした。
 大学に入ってから一人暮らしを始めたと言う月子の部屋は生活感なんてまるでなくて、お店みたいに素敵なものたちがディスプレイされている。
 ケースに並べられたコスメ、壁に貼られたポストカード、本棚に並べられた詩集、ただ可愛いだけの置き物。お揃いでもらったキーホルダーまで、まるで美術館の収蔵品のように展示されている。
「旭ちゃん、こっち来て」
 月子はクッションを叩いて私を呼び寄せる。そこに寝転がると、薄い毛布を掛けてくれる。
 枕元の機械のスイッチを押して、白い壁にプラネタリウムが投影される。
 部屋の中をさまざまな色が満たしていく。棚に並べられたフィギュアの影が、まるで走馬灯のように映し出されていく。
 月子は毛布の中で猫のように体を寄せた。私は躊躇いがちに貴女のその細い体を抱きしめる。
 月子は懐に潜り込むのが得意だ。
「あなたも私も同じだね」
 そう言って心の柔らかいところにそっと触れる。それに舞い上がって、もっと触って欲しいと、心を開け渡してしまう。
 きっと誰も特別じゃなくて。誰にでも甘えて。大事な部分に踏み込んでいく。
 誰もが私だけは特別と思いながらそれを信じられなくて、みんなに「あなただけだよ」と言っているのではないかと疑心暗鬼になって離れていく。
 でも常に新しい誰かが貴女の元を訪れるから、傍目には悲しんでいるように見えない。本当は、別れの一つひとつを覚えていて、苦しんでいるのに。可哀想な月子。
 もし私が特別だと言うのが錯覚だとしても、私は月子から離れられない。私だけが貴女の理解者でありたい。どんな願いだって、叶えてあげたい。
 いや、
「そろそろかな」
 月子はそう言うと立ち上がり、鞄からポーチを取り出した。ポーチから白い錠剤が現れる。私は無言で台所へ向かい、コップに水を入れた。
 私たちはどちらともなく正座して、私はその成り行きを見守った。月子は錠剤を口へ含み、恭しく水を煽った。
「あきらちゃん、ごめんね。こんなことお願いできるの、あきらちゃんだけだから」
 月子の瞼がゆっくりと閉じられて、端から涙が一筋こぼれ落ちた。



 背中側から脇に手を挟み込み、月子の上半身を浮かせた。風呂場まで引き摺っていく。道中様々な場所に体をぶつけたが、月子が起きる気配はない。月子が用意した薬は相当効き目がいいらしい。
 浴槽にはお湯が張られている。バスルームには使用する道具が入ったビニール袋が置かれている。用意周到なことだ。ついでに服も脱いでいてくれればよかったのに。意識のない人間の服を脱がせるには労力がかかる。
 私は月子の服に手を掛ける。一枚一枚剥がしていくと、月子の白い肌が露出する。
 月子の体は綺麗だ。子供の頃近所のお姉さんにもらったリカちゃん人形みたいに凹凸がなくすべすべで、ほっそりとしている。誰もが守ってあげたくなるような、華奢な体。
 その腕を取って、私は躊躇い傷の上に真新しい傷を付けた。浴槽が赤く染まっていく。本当に人形じゃなくて人間だったんだな、とぼんやり思った。
 月子の髪を横に流し、うなじを露出させる。
 嗚呼、綺麗だな。貴女はいつも髪を下ろしていたから、生きている間にはついぞ見る機会がなかった。生きている間だったら、一体どれほどの人間を魅了したことだろう。
 少しだけ、勿体無いなと思いながら、私はその首に出刃包丁の刃を当てた。
 出刃包丁を選んだのは、正月に蟹を捌いた時に使ったから。あの硬い甲羅が割れるのなら、鋸よりも断面が綺麗になると思った。
 一息に振り下ろす。流石に一息にはいかず、何度も、何度も、繰り返し。
 頭の中で蟹のこと、月子のこと、アニメで見る首ごと断髪するのはフィクションだな、とか、考えているうちに、仕事は終わった。
 まるで赤子を取り上げるように、月子の首を天に翳した。
 貴女のその唇に接吻くちづけしたいと思った。
 美しい石膏像のように、貴女は何をしても揺らがないと思っていたの。
 だけど。私の指が触れれば、貴女の肌は沈む。私が接吻すれば、貴女の唇は肉の質感で私を押し返す。爪を立てれば傷付く肌が、貴女が人間だと証明する。
 貴女の肌は驚くほど白くて、どんなファンデーションも貴女に血色を取り戻させることはできない。艶やかなアイシャドウの発色は失われ、陶器のような肌もくすんでいる。瞼は閉じ切らずに表情筋がだらりと垂れ下がっている。時間が経過すればするほど、貴女が人間であることが明らかになっていく。死体は人形にならない。
 丸い文字で記された二通の遺書を開く。
『これは自殺ほう助であって殺人ではありません。
 私は私の意思であきらちゃんに自殺の手伝いを依頼しました。
 自分で死ぬ勇気もないくせに、死にたくて仕方がなかったんです。
 だから、あきらちゃんのことを責めないでください。
 こんなこと、頼めるのあきらちゃんだけだから。
 ……うそです。本当は、何でも頼める人は他にもいます。
 でも、私の思う意味で私をせずに私を死なせることができるのはあきらちゃんだけです。
 私の尊厳を守ってくれるのはあきらちゃんだけだから。
 だから、死んだ後の全てはあきらちゃんにあげます。
 気持ちに応えられなくて、ごめんね。
 誰よりも、だいすきだよ。つきこ』
 ひとつ目は対外的な遺書で、もう一つは、私宛の。
『あきらちゃんへ
 こんなこと頼んでごめんね。でもあきらちゃんは絶対来てくれると思ってた。
 あきらちゃんが私のことを好きになるように仕向けてきたから。
 好き、とはちょっと違うかもしれません。愛憎、かな。
 あきらちゃんは私を愛し、妬み、嫉み、憎しみをもって私を殺してくれるでしょう。
 あきらちゃんはいつも人と目を合わせませんでしたね。あきらちゃんは人の視線が苦手だと言ったけれど、逆だと思います。みんなあきらちゃんの目が怖かった。
 あきらちゃんは自分は外見で劣っている、でも内面では自分の方が純粋で綺麗だ、そう思ってる。
 でもね、本当は逆なの。髪の向こうのあきらちゃんの顔が誰よりも整っていることを、私は知っています。だからこそ私に執着していることも。前髪を御簾のようにして下賤なものとの間に境目を作って、あきらちゃんは内心で誰も彼もを見下している。
 私は二十歳になる前に死にたいと思っていました。綺麗なうちに死にたいと思っていました。誰にも損壊されないうちに。
 この世界は思っているよりも汚くて、綺麗に生きていくことは難しい。誰も彼もが他人に理想を押しつけて、その加虐性に気付かないフリをして生きている。
 私はもう、そんな世界に生きているのが嫌になったの。相応しくないと思うの。今後何十年も生きていくなんて、吐き気がするの。
 でもそんな世界でもあの子は最期まで綺麗に生きていた。そう思われたい、身勝手な欲望がありました。
 だから自殺はできない。事故か、誰かに殺されなければならない。そう思った時、思い出したのがあきらちゃんでした。
 私が高校生の時に渡した手紙は、一番綺麗な私を残そうと思っていた頃のものです。
 誰にでも優しくて、誰にでも手を差し伸べる。けれど決して大事なことを他人に委ねたりしない、確固たる自分がある。そんな風に周りに思われたい。誰かの祈りになるような、私の綺麗なところだけを込めました。
 そうして自分を細かく千切りながらいろんな人に似たような手紙を出していたら、何が自分なのか分からなくなっちゃった。
 でもあきらちゃんだけは私の手紙を疑っていた。あきらちゃんは自分だけが真実誠実であると信じて疑わなかったから、その分私や周囲の人の優しさを疑っていました。
 私以外にもあきらちゃんと仲良くしようとしていた人がいたの、覚えてる? きっと覚えてないね。今も友達ができないのも他人のせいにしている。
 みんなみたいになれないのは、みんなみたいに努力していないから。みんな仲がいいのは仲良くなる努力をしたから。みんながキレイなのは自分で学んだからです。
 あきらちゃんはいつまで経っても子供みたいに、教えてもらえなかったと言い訳してる。他人の努力をかすめ取ろうとしている。それが許されるのは、学校という空間だけです。あきらちゃんはいつまでその調子でいるのかな。
 あきらちゃんを見ていると見苦しくて、ひょっとしてまだ私、生きててもいいのかな? なんて思ったりします。性格悪くてごめんね。
 でもやっぱり結婚して子供を産んで、そんな枠に押し込められるのはごめんです。
 妊娠により他人の肉体を歪めること、それを受け入れることはある種の自傷行為のように思えます。
 私は自分のために生きたい。自分のために死にたい。誰のためにも損なわれたくない。
 あきらちゃんは私のことを歪めたいと思っている。自分のためだけに歪んでくれる、都合のいい人間を探している。でもあきらちゃんの体は女の子なので、あきらちゃんの思う意味で誰かを傷付けることはできません。
 あきらちゃんはできないんじゃなくてしないんだという虚勢を張って誰とも関わらないようにしている。でもそれではあきらちゃんの歪んだ欲望が満たされる日はこないでしょう。
 私は死んだ後のことはどうでもいいです。あきらちゃんは私が生きている間に、私を傷付けることはできない。でも、死んだ後なら好きにしてください。
 できれば死体もキレイな方がいいけど…。でもあきらちゃんが何をしても、私の魂は汚れません。残念だったね。
 可哀想なあきらちゃん。あなたが満たされる日は永遠に来ません。でも、私は今日この日に満ちて、永遠になります。つきこ』
 手のひらの中でくしゃりと、紙が歪んだ。
 月子にすべて見透かされていたという羞恥と、月子は真実私の理解者だったという喜び、そして生まれ持った性への呪い。
 もしも私が男だったなら、彼女は私にこんなことを頼まなかった。
 もしも私が男だったなら、私は彼女を傷つけられた。
「愛しているなら、どうしてそんな酷いことをするの」
 私にはその理由が分かる気がしたのだ。
 幸せになってほしい。世の中のありとあらゆる不幸から守ってあげたい。一緒にいて欲しい。
 ただし、例外として。私のために泣いてほしい。私のために傷付いてほしい。私を受け入れてほしい。私だけを受け入れて、他のものを拒んでほしい。
 私が、私だけが相手を傷つけていいという加虐性。排他性。
 それが恋愛の持つある種の暴力的側面なのだと。
 博愛主義の彼女には、恋愛とは害をなすものでしかなかった。
 私は、月子を私だけのものにしたかった。独占したかった。
 恋を、していた。なんて言うには烏滸がましく醜い、腹の底に渦巻く炎が身を焼いていた。
 だけど彼女にしてみれば、穴に棒を突っ込まないすべての行為はではないということだ。
 ……本当に? 傷つけて、すり減らせて、命を奪って、首を求めたとしても?
 それに、もしそうだとしたら、彼女は何故死を選ばなければならなかったのだろう。それ以外が損壊でないとするのなら。
 本当は知っていた。貴女の細い指に吐きだこがあること。
 本当は知っていた。貴女の細い腕に幾筋もの傷が走っていたこと。
 本当は知っていた。貴女が誰よりも優しくて、他人の痛みまで引き受けて、苦しんでのたうち回っていたこと。
 本当は知っていた。私たちが押し付けた理想いたみが、貴女に死を選ばせたこと。
 本当は知っていた。貴女が人形なんかじゃないこと。
 ——嗚呼、私は。
 ただ、貴女の特別になりたかっただけなのに!
 首が欲しかっただけで、死んで欲しかったわけではないのに!

 私は月子の遺書を細かく千切って口に含んだ。月子の丸い字が臓腑を満たしていく。
 もう月子は何も語らない。月子の言葉は私が全て飲み込むから、真実は闇の中。
 貴女は私がこれまでの手紙と同じように後生大事にこの手紙を取っておくと思っていただろうけど、これまでの手紙も全て処分してある。
 月子は綺麗なまま死を選んだ。その理念に賛同した私が手を掛けた。それでは足りない。
 月子を永遠にするためには、そんなことを思いついてすらいけない。月子はただ一方的に被害に遭った可哀想な人間でなければならない。
 そして私の罪を、誰にも許させはしない。
 最後の一片を飲み下すと胸焼けがした。月子の言葉は甘ったるくて、信じられないほど、苦い。嘔吐えずいて涙が出るほどに。
 これから架空の動機を考えないと。彼女が惜しまれて悼まれて、可哀想なただの被害者だと思われるような、一方的な動機を。
 そう、たとえば、空が青かったからとか、そういう類いの。

—了—

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