「左千夫趣味」斎藤茂吉
※素人が、個人の趣味の範囲で入力したものです。
※一通り見直してはいますが、誤字脱字等の見過ごしがあるかもしれません。悪しからずご容赦ください。
左千夫趣味 斎藤茂吉
この夏、私は左千夫先生の小説全體を通讀した。そして、釋迢空氏と、宇野浩二氏との左千夫小説に對する評言を大體手本にして通讀したのであるが、讀後いつのまにか氣づいて、心を離れないことが一つある。それは小説の中に出てくる男でも女でも、何となくまめまめしくて、だらりとした氣持で滿足してゐるといふやうなことがないといふことである。小説の中では、特にそのことについて説明してゐるといふのではなく、「分家」の中で一寸その説明が出て來るだけだが、出てくる人物の行動がいかにもまめまめしく、甲斐甲斐しいのである。
私は元来が不精で、部屋に塵などがいくらつもつてゐても餘り氣にせぬ方である。書物の整理などもちつとも行届いてゐない。それにその頃連日眠くて、いかんとも爲がたく、毎日ごろごろしてゐたが、それでも幾分義務のやうな氣持を感じて、小説だけは讀みとほしたのだが、いつのまにかそのまめまめしい氣持が移つて來て、部屋を掃いたり、雨に濡れた廊下を自分で拭いたり、庭の雑草を刈つたり、鬚髯なども出來るだけ剃るやうになつた。それに、今年は、何年もかまはなかつた庭木に植木職を入れた。そんな具合にして歸京したが、歸京するとまた元にかへり、連日眠くて、寢込むことが多いが、このまめまめしいといふことは、どういふ事に本づくだらうかと思つた。本來左千夫先生はまめまめしい人であるから、さういふ行爲が生活全般にわたり、いつしか小説中の人物にまで移つて行つたのに相違ない、さうもおもつたのであるが、何かそれについて説明したものがあるまいかと求めると、それは「茶の湯の手帳」の中に出てゐる。
『一般の人は、茶の湯など云へば只暢氣な氣樂な人間のする事と許り思つてる様だが、暢氣な人間には決して茶の湯は出來ない。庭に塵埃が散つても氣にならないやうな人には迚ても茶の湯は駄目である。家の内も外も兎に角片づいて居ねば氣になる。手水鉢の水も新しい水が湛へてゐねば氣になる。床に花がなければ差寂しい。座右に美術品の一つもなければ何となく物足らない。襖の開閉に砂のある音が厭でならない。障子の棧にほこりが見えては氣持が惡い。茶の湯が好きな人は必ず以上のやうな調子になつてくる。であるから茶の湯は横著者には決して出來ない。』
『常に動いて、さうして常に靜かな趣味を求めてゐるのが茶人の持前である。行住坐臥悉く趣味を以て終始したいのが茶癖家の常であるから、茶人は年中忙しい。それで無性者には到底茶は出來ない。』
かういふのである。この説によると、横著者には茶は出來ない、不精者には茶は出來ないといふ結論になる。
實は私はこの文章を手抄して、左千夫先生を論じた文中に入れたのであるが、この文章だけでは、いまだに眞に私の身に沁みなかつたものと見える。從つて私の行爲として乗移つてくるまでの力とはならなかつたと看做していいだらう。それから、先生のこの、「茶の湯の手帳」といふ文章は、アララギに載つたものだから、嘗ても讀み、左千夫歌論集の發行になつた時も讀み、幾たびも讀んでゐるにもかかはらず、私の行爲に變化を與へたとはおもはれなかつた。
然るに、この左千夫的趣味が、小説の中の貧しい男女の行爲として、織込まれて描述せられてゐるあひだに、いつのまにか私の心に沁みこんで來て、不精では済まされぬやうになつて來たものである。その點が自分にも興味があるとおもつて、夜話の材料にすることにした。
それから、先生の「家庭小言」といふ文中に、次のことがある。『僅に二圓金を携へて出京した予は、一日も猶豫して居られぬ、直に勞働者となつた。所謂奉公人仲間の群に投じた。或は東京に或は横濱に流浪三年半、二十七歳といふ春、漸く現住所の獨立生活の端緒を開き得た。固より資本と稱する程の貯あるにあらず、人の好意と精神と勉強との三者をたよりの事業である。予は殆ど毎日十八時間勞働した。されば予は忽ち同業者間第一の勤勉家と云ふ評を得た。勤勉家と云へば立派であるが、嘗時の状況はそれほど働かねば業が成立せぬのだ』云々とあるが、この勤勉といふことが先生の本來の質で、それが茶趣味の方に運つて行つたものと解釋する方がいいやうにおもへる。(十月十一日夜話)
訂正 前回の夜話中、左千夫先生の『ますらをの求むる幸は』の歌は、左千夫歌集にない趣に話したが、左千夫歌集の上野一也に贈つた歌(明治三十九年、岩波版二八七頁)の中に載つてゐるから訂正する。
底本:斎藤茂吉全集第13巻 昭和28年9月10日第一刷
初出:「アララギ」童馬山房夜話 昭和16年11月号
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