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アラサー女子からみたジャニーズの思い出

 夏休みの宿題、最後の1週間ないし3日ないし最終日に終わらせていたような女だったのですが、今日で「ジャニーズ事務所」って名前なくなるんだ…と思ったら、急にいても経ってもいられなくなったので、最後に語彙力終わっているかもしれない、それこそ小学生の夏休みの日記みたいなクオリティかもしれないけど、書きなぐって終えます。大好きだったよ、ジャニーズ。

小学生時代

 ほぼクラス全員見てたんじゃないか?って視聴率で学校へ行こうをみていた。みんなにいえなかったけど、私は優しそうな雰囲気に惹かれたのとウルトラマンだったのを知っていたので長野くんが好きでした。(ヒーロー好き)
伊藤家の食卓の三宅くん、懐かしいね。はなまるマーケットで司会をやっている人がお母さんが青春時代鬼推していたアイドルだったと知って、お母さんなかなか渋い趣味しているなと思ったり。

みんなはドラマみてキムタクがかっこいい!って言っていたけど、お母さんに「あたしはキザな人苦手なの。中居くんみたいに面白くて、周りを盛り上げてくれる人の方がいいよ」と教えられた。今思えばだいぶ偏った教育。でも大人になって若い頃の中居くんをみると普通に(というかずっと)バチバチのイケメンである。そしてそういう割には、その後妻夫木聡にハマっている。(話がそれた)

私は比較的良い子だったのでもう寝ていたけど、ランチの女王やらStand UP!!やらで、山Pがドラマに出始めていてお母さんはいち早くあの希代のイケメンの存在に気付いていた。私はオレンジデイズの成宮君が出ていたことしか知らなかった。

一方、細木数子の番組に、とんでもない綺麗な顔のイケメンが出ていた。タッキーというらしい。ジャニーズってイケメンいっぱいいるんだなって思った。

私が狂ったのは、まさしく小学3年生の時の「ごくせん」で、矢吹くんに出会ったからだ。そこから、20年余りずっとイケメンを追い続ける人生になってしまった。人生が狂うのが早すぎた。そして20年余り、あの頃の赤西仁より魅力的な男を探し続けているが、出会えないし多分出会うことは無いと思う。

思えば、2004年~2010年あたりがジャニーズ黄金世代だったよな…。

その後「ドラゴン桜」から「野ブタ」「クロサギ」「プロポーズ大作戦」と立て続けに2000年代ドラマ代表作に出た山Pが天下を取る。その後もブザービートとかコードブルーとか、山Pは夏ドラマの男になった。
私はちなみに、野ブタでは彰派だった。まめちち。

その陰で、深夜番組でずっとワチャワチャして、みんなちょっとずつドラマでて、どうぶつと触れ合う番組のレギュラーとかやって、花より男子が始まったら「あれ?なんか良さそうじゃん?」って世間がなってきたのが嵐。

お母さんの友達が嵐にハマっていて(ピカ☆ンチくらいだったかな、先見の明がありすぎる)、ちょうどおうちに遊びに行くと嵐を布教されたのと、小3の時同じクラスだった子が嵐のニノが好きで、漢字一文字のアイドルグループもいるんだなあと思っていた。
そのお母さんの友達に、「二宮君が一番人気ない」と言われて、私も結構好きだけどな・・・と思った。これが推すきっかけ。

WISHが出たら、小4になったら確か違うクラスになっちゃったその友達と、踊りを練習した。未だに踊れる。
そこからは、幼稚園から一緒で幼馴染で、今も私は実家を出たのに奇跡的に近所に住んでいる友だちと一緒に嵐を応援していた。

その年明けにKAT-TUNがでっかくデビュー。ていうかまだデビューしてなかったんだ?DVDも買ってるのに?と母と混乱。アルバム買った。

生活とエンタメと人生にジャニーズという存在が当たり前になっていく。
そんな中、山田涼介のおかげで(?)ジャニーズJr.の存在を知る。
ああ、お昼の番組に出ていたYa-Ya-yahってやつも、そういえばジャニーズJr.?みたいな解像度。

探偵学園Qで、これまた希代のイケメン(というか、同世代でもこんなにイケメンいるんだ…という衝撃が凄かった。本当に美少年だったので)がジャニーズから出てくるぞ…ってなった。小学生の時からちょっと感想がオタクでキモいな。

私は小学校4年生の時から某お受験塾に通っていたのだけど、確か6年生の夏期講習の帰り。あの目立つカバンを背負ったまま、向かった横浜アリーナ。それが人生はじめてのコンサートで、人生はじめての嵐だった。
センター席で、ムービングステージの真下で、足をブラブラさせて下に向かって笑顔で手を振ってくれる、子犬みたいな顔のニノがいた。大好きな、Love Situationだった。こういうの、一生覚えているんだろうな。

⇧おじさんになっても、踊ってくれるんだよ。一生好きでしょこんなん。

お母さんはちなみに日曜日私がテスト受けている間にその前のアラウンドアジアの凱旋コンサートに行っていた。ずるいよね。

私、小学校高学年の頃アニメとマンガもすごいどっぷりハマって、出来立ての某駅のアニメイト行っていたりしていたはずなのに、ハレ晴レユカイ一日でダンス覚えたりとか受験1週間前くらいから学校休んでずっと勉強していて、夜寝静まったころ一人でひぐらし読んでいたりとか、断片的にしか覚えていない。そして思い出のクセが強すぎる。D.Gray-man好きだったな…。

中学生

 ここからは、私がなにも書かなくても、嵐が天下とる時代が来てしまうのでもういいよね。無事受検は第一志望に受かって、女子校だったから、学年の半分が嵐好きなわけよ。残りがKAT-TUNとNEWSと関ジャニとHey! Say! JUMP、EXILEで構成されるのよ。私は周りの勢いに負けないように、気合を入れて嵐オタクを極めていたので、赤西仁と山Pは一生好きだけど追いかけられなくなります。もう嵐が、忙しくて…。(思い出だけで息切れ)

嵐の宿題くんが「嵐のしやがれ」になって、「VS嵐」が始まって、「ひみつの嵐ちゃん」がはじまって。なんか毎日のようにテレビに嵐出てて、楽しかったな。今思うとあんなのありえないんですが。急に思い出したけど、まごまご嵐って懐かしいね。
VS嵐やっていた時は、お台場の夏休みのイベントに部活の子たちと言って、なんか特典のカードとかステッカーもらったりしていた。(驚くことにまだ実家にそれあります)

伝説のダブルパーカーとか。懐かしいな。ていうか、ひみつの嵐ちゃん、Wikipediaみたらアナウンサー堀井美香さんだった。OVER THE SUN!!!!!(唐突に現代)
ひみつの嵐ちゃんはね、私の13歳の誕生日に始まったんですよ。ここで突然大勢の人に生年月日ばらしますけど。嬉しかったな~。
なんでか忘れたけどこれまた実家に番組ロゴステッカーがあります。お宝。

中学1年生の時、それまでのらりくらり、スキルキャラとしてニッチな人気だった大野くんが魔王で急に流行る。怖い曲、と思っていたのにtruthが流行る。ちなみに嵐のおかげで書けるようになった英単語めっちゃある。truthもその一つです。DOUBLEとかGalaxyとかHeroとか。Beautifulだって、だれも間違えなかったんじゃない?

DVD化すらされなかったけど、ドリアラ結構好きだった。J-POPって感じで。

中2で嵐が10周年であのなんか、ダサ…じゃなくて可愛いロゴがシンボルになった。あんなに続くなんて思ってなかったよ…。ニノのうちわがびしょびしょのよれよれになって、ペンライトが水没した。いい思い出です。

⇧私はこのポンバドール松本潤さんが好きすぎて一生語り継ぎます。

あと、嵐とディズニーの夢のコラボのイベントにいきたくて、めっちゃカレー食べてつらかった。あんまり記憶ない。2009年は、嵐はじめて紅白出たよ。デビュー10年で、やっと紅白出たんだよ。あんまり年末紅白みない家だったけど、はじめてまともに紅白みた。

嵐がJALのCMするようになって、お父さんがやさしいので、その頃くらいから旅行に行くときJAL縛りになった。もう私は乗りたくないけど…。(生活上困ることもあるので、普通に乗りますけどね)

長期休みとか暇な時に、木更津キャッツアイとか昔のドラマも履修した。クドカンの洗礼を受けたのはこのころです。私は塚本高史もそこで好きになりました。

たしか、中3の東京ドームがアリーナ席のめっちゃ前で、翔君とめっちゃ目があった。carnival nightのとき。(やっぱりこんなことばっかり覚えている)

あとは、震災が起きてはじまったチャリティ。募金するだけでジャニーズのタレントを一気に生で見れるという、とんでもイベントだった。邪な動機かもしれないけれど、ちゃんと募金して、それが然るべきところに届けられるのであれば、結果タレントの力を使って社会貢献をしている、一般人もそれに参加できる、いいイベントだったと今は思う。

高校生

 あんまり記憶ないのは、多分他の趣味が充実していたからなんだけど、アラフェスは行った。ワクワク学校も行った。それは、一途にお母さんが嵐好きだったからなの。お母さんありがとう。。。このころぐらいから、もう自分の意思に関わらずもはや一年に1回の親子恒例行事として嵐のイベントが定番化する。2019年まで続きます。

その後

 というか、もう時間ないし昔書いたブログと内容かぶっていることに気が付いたので、もう思い出振り返るのやめる…(今更)今度加筆します。

↓こっちにかいたり書いてなかったりなので興味あればこちらも…。

大したこと言えないけど、おわりに

 悲しい時も、嬉しい時も、楽しい時も、病める時も、健やかなるときも、人生いつもどこかにジャニーズがいて、それが自分がおばあちゃんになるときまで、当たり前に続くと思っていた。

もちろん、あのまま続いてよかったなんて思わないし、変わらなきゃいけない。
そしてタレントが全員引退するわけでもなく、別の会社の所属タレントになるだけで、これからも、あの事務所に所属していたタレントたちによるエンターテインメントはきっと続いていく。

だけど、一時代を築いた、そして私の人生で大事な思い出だらけだったものの名前が変わるのは、少しだけ寂しい。たとえ、良しとされない名称でも。

苗字が変わるときも、こんな感じなのかしら。とか思ったり。

ちなみに、最後に買ったCDシングルはSexy Zoneで、最後に買ったCDアルバムはking&Princeで、届いた回報もSexy Zoneでした。

ありがとう、ジャニーズ。最後駆け足でごめん。大好きです。これからも応援します!

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