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写真集「NATURE GUIDE」を読むためのガイドブック #3

自然の一部になるという理想/幻想

「バイオスフィア2」は、人工的につくられた疑似自然環境がインストールされた実験場で、8人の研究者が1991年から2年間、その隔離された空間で生活をしました。
「バイオスフィア2」のプロジェクトの発端は、実業家とシステム生態学者が1984年にタッグを組んだことから始まります。
その思想的背景には、バックミンスター・フラーの「宇宙船地球号」の影響を受けているとも言われています。
地球全体を統合されたオートメーション化された一つのシステムであると捉える視点は、宇宙船地球号を人間がどのように操縦するかという人間中心的に読まれるきらいもありますが、そうではなく、人間がつくるテクノロジーを地球が採用しているテクノロジーに合わせる、その方法について重点がおかれたあるマニフェストと読まれるべきでしょう。
「バイオスフィア2」の名前は、地球そのものを一つの生態系ととらえた場合、そのミニチュア、2つ目の生態系をつくるということがその由来になっています。

近代科学では、自然をコントロール可能な対象物ととらえ、その観察者である人間と、対象である自然を、分断することで発展してきました。
「バイオスフィア2」もまた人工的に自然を再現する目的故に、近代科学的でありかもしれません。
しかしそこに生身の人間を、その自然のパーツとして介入させることで、その構造にひずみができているように思います。

「バイオスフィア2」の科学的成果をどのように評価するかは、個人差があって、一概には言うことは難しいでしょう。
科学的見地のない僕自身は、その自然の再現率の高さ(低さ)を評価することよりも、その複製する過程でうまれるひずみや不完全さ、さらにはこのような施設をつくりだしてしまう人間がもつ科学や自然に対する異常なまでの執念や愛情に強く惹かれてしまいます。

そのようなおおらかさがなければ、「バイオスフィア2」の魅力を取りこぼしてしまうように思います。
もちろん、最初に実験にかかわった研究者が不真面目だったというわけはありません。それどころか、彼・彼女らの姿勢はとても純粋で、自らが実験場のなかの理想環境を作り出し、そこに自身を組み入れる姿勢は、本当に共感を感じてしまいます。
ぼくの評価は、「バイオスフィア2」本来の評価とは別次元にあります。「バイオスフィア2」が本来の実験が終わり、その環境や目的も大きく変化した現在にフォーカスすることを強調して、ぼくは「バイオスフィア2」を再解釈していることのエクスキューズをしています。

「NATURE GUIDE」を見るにあたって「バイオスフィア2」をどう評価するかの前に、まず目の前に現れる風景のリアリティやその異質さなどに驚いてほしいと、ぼくは期待しています。
意味やストーリーを探すのではなく、その写された世界そのものを感じてほしいと思います。
そのため、この写真集では説明要素を極力削り落としています。初めて訪れた不思議な空間を探検するような気持ち、見る人の遊び心を引き出したいと思います。

「バイオスフィア2」の最初の実験に話を戻します。
8人の研究者が滞在した2年間はエルニーニョ現象の影響から日照時間が乏しく、食料の生産が不足し、まさにサバイバルの実験生活だったと記録にあります。
予定した場所だけでは食糧生産が追いつかず、日の当たるすべての場所のプランターを置き、日光を隠すツルを取り除き、他の次から次に現れる問題にも、予めストックされていた材料だけで対処しなければいけません。今見ている「バイオスフィア2」は、そのようなサバイバルの痕跡を残す場所でもあります。
「バイオスフィア2」はいわば、つくられた自然ではありますが、サバイバルした人間からすると、リアルな生活圏でもありました。

「NATURE GUIDE」は、人と人がつくった風景とが出会い直す作品です。人の気配がいっさい現れないこの写真集ですが、読み終わった最後の裏表紙に、ツーリストが登場します。読者が今まで見ていた風景は、このツーリストが見ていた風景だったというような構成です。そのなかには、もしかしたら研究者が生活した痕跡や、作者が意図する視点も混ざっているかもしれません。風景とはそのように多層的なものです。主体的な気付きによって、その多層性を介して、私達はそれぞれの認識する風景を拡張することができます。
「NATURE GUIDE」では、実験場を覆うフレームがいたるところの風景に影を落としていたり、風景の一部として現前します。
私達が見る世界は常にこのフレームによって規定されているとも言えます。フィルターバブルという言葉があるように、ネットを中心に私達の得る情報はアルゴリズムによってふるいにかけれているものです。自分とは違うフレームに住む人間を認識し対話することは、フレームを拡張するチャンスになります。
そのためにも、自分とは違うフレームを面白いと思う想像力やおおらかさが必要なのではないかと思うのです。

「NATURE GUIDE」の最後の写真は、実験場の外にでるためのハッチで終わります。「バイオスフィア2」を覆うフレームからは自由に出入りができます。
私も長い時間「バイオスフィア2」を撮影する間にアイデアに変化があったように思います。
「バイオスフィア2」の外側には広大な規模の砂漠の風土があり、また都市のなかには自分の生活する環境があります。また、日本にいるときには巨大な自然災害を間接的に体験しました。それらによって、おびただしく多様な時間や空間の尺度があることに気付かされます。俯瞰して高いところから環境を見てしまうことに傾倒したときは、また「バイオスフィア2」のなかの一人の研究者の視点まで、自分をスケールダウンします。
視点を固定することなく、何度も同じ場所を回りながら、すこしずつDIYのような手法で風景を広げていくことに今はリアリティを感じます。

できることなら何度もこの「NATURE GUIDE」のハッチを出入りして、この実験場のなかを探検してほしいと思います。

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