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「独身女性が子供の面倒を見る代わりに食事を提供する」という案が燃えたけど、シチュエーションによってはありだと思う話

少し前、既婚女性が「少しの間子供を見ていてもらう代わりに、見ていてくれた人に食事を提供するようなことができたらwin-winじゃないか」的なことをツイートして軽く燃えたのだけど、私はあれはシチュエーションによってはありではないのかなと思っている。

というのも、私がものすごく食い詰めて思ったのだけど、こういうときに近隣の既婚女性から「2時間子供を見ていてくれたら食事を提供する」と言われたら、とてもありがたいなと感じたからだった。

誰かに施されるのは申し訳ないと思う。でもそれが「対価のような形」を取っていれば受けやすい。もちろん素人だし、子育て経験があるわけでもないので、事前に「どういうことをして欲しいのか」「見ているというのはどうすればいいのか」みたいな話は必要になるけど、よほど暴れるとか殴るけるされるとかみたいなパターンでなければ、子供の相手ならまあ…できるだろうと思う。完璧にできるかは別として、たとえば「買い物の最中のお留守番に付き合ってくれ」とか「ご飯を作っている間、子供がキッチンに入らないように見ていてほしい」とか、そういう程度なら。

子育てを舐めていると思われるかもしれない。実際そうだと思う。だって、想定しているのは「数時間、母親が目を離していても大丈夫な時間を作る程度のはたらき」だから。ちょっとしたお手伝い程度のものだ。その程度のお手伝いをして、その対価的に食事を振舞う、という形であれば、少なくとも福祉事務所で食べものを提供してもらうとかそういうのよりはずっと手を上げやすい。

だから必ずしも悪ではないな、と思う。独身女性と言ったって何も若い人でなくともよくて、それこそ寂しい一人暮らしの年配のご婦人とかでもいいと思う。要は「やる側がメリットだと感じる何か」があればよいということだ。それが搾取になってしまうような普通の人がやるのではなくて、何か困っていたり欠けているものがあったりする人が、それを埋める意味も兼ねてやるくらいならいいんじゃないだろうか。

手伝う代わりに振舞われる食事で純粋に「助かる」と感じる人や、誰かと食卓を囲むことを「楽しい」と感じる人はいるだろう。もちろん労働には正当な対価が支払われるべきだという考えはその通りだと思うけど、これはどちらかというとお互いがボランティアの性質に近いものだと思う。

人間は「ただ何かをしてもらうこと」だけではプライドが傷つくようにできている。それを傷つけない形で、お互いに何かを提供するという形を取ってやるボランティアみたいなものだと私は解釈した。ちょっとした助け合いみたいなものだ。

昔はそういうのが地域であったりしたこともあった。現代でも、多少はあってもいいんじゃないのかなと思う。

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