
好奇心の使い方を間違わないように
ジャジャン!
お盆も終わりましたね、みなさまいかがお過ごしでしょうか?
わたしは、Chapter.2のバンタン様を追っかけるのが忙しい毎日です。
ですが今日は、バンタンは置いといて(やー、タリョラ再開とか、キムソクジンのメイプル出社とか、キムソクジンとヨンボクシェフとか喋りたいことは山ほどあるんですが)ちょっと真面目な話をしようかなと。
タイトルの通りです。
これは若松英輔さんの『いのちの秘義 レイチェル・カーソン『センス・オブ・ワンダー』の教え』という本を読んで最近感じていることなんですが、ちょっと抜粋でご紹介しますね。
「奇」なものを「好む」のが「好奇心」です。この心のはたらきには注意が必要です。「好奇心」は、この世界への愛がないところでも動き出してしまうことを私たちは知っています。情報化社会では愛から分離された好奇心が、どれほど人を傷つけることがあるでしょうか。それは時に暴力的ですらあります。そして、愛のない好奇心は、自分を見つめることを忘れさせるのです。
わたしも好奇心、というかミーハー心が多い方なので、いろんなことに興味を引かれては調べてみたりするんですけれど、そういう時に”愛のないところでの好奇心”だけは注意が必要だなと感じています。
推し界隈で言うと、「ついつい臭いものを嗅ぎに行ってしまう」なんて言ってよく笑っていたんですけど、ファンとかで目立つ言動をしたような人のツイートをずっと見てしまったり、彼女疑惑、匂わせ、ファンによるファン叩き、、、いくらでもありますね。
そこに、愛はあるんか?って感じです。
たまにツイートとかで流れてくることがあるんで、(へー、なんかあったの?)みたいに見に行ってしまう事があるんですけど、本当これは、この行動と好奇心については全く愛がない!キッパリ言えます!
若松さんが「愛から分断された好奇心は人を傷つける」と書いていますが、その変な好奇心で呟いたりした事が、誰かを深く傷つけたりももちろんしますし、一番は、自分自身を傷つけている!と思うんです。
愛から分断された好奇心で何かを検索している時の、自分の顔をもし鏡に映してみたら、見れたもんじゃないですよ、たぶん。
よく、推しの動画を見ていて画面が暗転した時、黒いスマホの画面に自分のニッコニコな顔が写って気持ち悪かった!みたいな話はいくらでもあると思うんですが、その顔は愛の好奇心で見ている時の顔だから、いくら本人がキモい認定したところで、多分、可愛いんです!(キモいけど可愛い!)
だけど、「悪口」「憎悪」「妬み」「嫉み」みたいな好奇心で何かを見ている時の顔って、本当に可愛くないだろうなと。
そして、そういうことばかりを気にして探求していると、顔が、その顔で定着していく気がしています(ホラー)。
こうして、愛のない好奇心は自分を傷つけて醜くしてしまう。
この情報化社会でSNSなどをやっていると、そういう落とし穴は沢山あるなぁと感じます。
そして、そういう落とし穴から救ってくれるのも”愛のある好奇心”なのですよね。
日々、自分の好奇心の向く先を点検するのがいいんじゃないかなと感じています。
好奇心の使い方、間違わないようにしたいですね。
さて、今日はここから、マガジンコーナーです!
好奇心の使い方、間違っていたね、わたし。っていう話をします。
懺悔室です。
ここから先は
愛さんの書きたいこと、ぜんぶ書いて
2022年は、いつものエッセイの後半に徒然コーナー(時々やってる赤裸々コーナー)を常設してお送りすることにしました。月3〜4回更新です。 …
サポート頂けるととても嬉しいです🐶 サポート代は次の本を作るための制作費等に充てさせていただきます