お芝居を観るということ
田中圭くん表紙の『TVBros.8月号』がバカ売れしましたね!
かくいうわたしも買った一人ですが、TV雑誌が重版とかってあるんでしょうか?
なんだかすごいことです。
この雑誌には圭くんのことを色々語る方が出てくるのですが、
田中圭という俳優を、みんなが「ほっておけない」という気持ちで語るのを読むことの心地よさったらなかったです。
特にフリーライターの横川良明さんの書いていた内容が、なんかわたしが先日書いた感想と通じるところがあって、うんうん唸りながら読みました。
田中圭という俳優は
気づくと目で追っている
でも、気づくとそこにはいない
場の中心にいるような、いないような
ふわっとした春の空気みたいな笑顔でまた戻ってくる
あまりに”役を生きる”ので、当たり前の光景のように映像になじんでしまう
そんな彼に翻弄され、気づくと虜にされてしまう
なんだかそんな俳優だなと…TVBros.を読んでその感じが深まりました。
☆
さて、話が変わりますが、わたしたちは、お芝居に何を求めているんでしょうね?
だって、お芝居がなくても生きていけるんですもの。
若いころ、小劇団のお芝居(チェーホフでした)を観に行ったことがあります。
俳優たちが、そこで愛し、愛され、涙し、絶望し、裏切り、怒っていました。
それはわたしの人生では起こり得ない出来事のようでもありました。
でも、その時点で、たとえそれが自分の人生で起こり得ないと感じることでも、その感情を自分の中に取り入れて一喜一憂するというのは
その後の人生を生きる上で、どれだけの糧になるか分からないのです。
たとえば、同じような絶望がその後の人生で起きたとき、沸き起こる感情の既視感(すでに体験したかのような感覚)に戸惑うことがあるかもしれない。
それは、もう見たことすら忘れているお芝居の最中に、自分の中に取り入れた感情だったりするのです。
そして、わたしたちは、その絶望を乗り切れることを、物語を通して知っているのです。
この感覚は、小説を読むことにも通じているかもしれません。
ただ、お芝居のほうがより「物語がわたしたちの感情にダイレクトに働きかけてくる」とわたしは思っています。
無意識に、わたしたちはどれだけ「物語」に助けられてきただろう?
そう思うと、心が小さく震え涙が出るような感覚になります。
☆
さて、さて、話がまた変わりますよ(今日は忙しいです!)
7月28日(土)にkuutamoさん主催の
『書く人読む人そして聴く人3』の発表会があります。
12時開場、15時30分開演(予定)
参加費1500円(短編掲載本、当日のおやつや飲み物、かき氷代込み)
場所:鷺ノ宮の若宮荘
詳しくはコチラ
http://kuutamo.tokyo/2018/06/19/2343/
わたしは書く人での参加なので、読んでくれるのを聞きに行くのですが
自分の書いた「物語」がどんな形で「息を吹き込まれていくのか」
その瞬間を見ることができると思うと、いまから楽しみでなりません。
そうそう、9月には圭くんの出る『サメと泳ぐ』という舞台も観に行きますよ。
きっとそこでも、わたしは初めて見る「物語」から、初めての「感情」を感じ取るでしょう。
陳腐な言い方かもしれないけれど、物語は舞台(お芝居)という場で息を吹き込まれて豊かになります。
その豊かさをめいっぱい享受する夏と秋になりそうです。
きっと、わたしの書く文章にもいい影響を与えてくれると思います。
最後まで読んでくれて、ありがとう!
では、また!
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