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【短編小説】鎌倉発パリ着

すっかり梅雨ですね。梅雨スペシャル!(謎)ということで…短編小説を全文載せた「投げ銭」スタイルで公開します。最後まで読んで頂けたら嬉しいです。

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拝啓 吉行礼司様

ご無沙汰しております。
鎌倉はもうすっかり梅雨入りをして、庭の紫陽花も雨に濡れて活き活きとしています。
そちらのお天気はいかがですか?
フランスには梅雨はないですよね?

先日、あなたが書いた手記を雑誌で偶然見かけました。
奥様と離婚なさったんですね。
日本に帰ってくることがあれば、ご連絡ください。
携帯番号は変わっていませんが、念のため書いておきます。

                  敬具
                樽海夕子


礼司は紫色の紫陽花が描かれた絵葉書を読み終えると、ベッドサイドの古い椅子にそっと置いた。
雨の降る鎌倉の書斎、紫陽花の浴衣を着た夕子の姿が目に浮かんだ。
雨の似合う人。

アパルトマンの前の小劇場には人が集まり出している。パリが賑やかになる時間だ。
窓から下を見る。少しだけドレスアップした人々の楽しそうな姿。
パリの夏の夜は長い。

ベッドの上に置いた白いシャツを手に取ると、素肌の上に羽織った。
東洋人にしてはスーツの似合うしなやかな体、男性にしてはきめの細かい色白な肌、いつも少し濡れたような色をした黒い髪。微笑んだときに出来る笑い皺の少年っぽさ。
黒いスラックスに白いシャツ、白い肌に黒い髪。

バスルームの鏡に映る自分をちらっと横目で見る、いつもと変わらない自分がいる。
35歳になって、妻に出て行かれて、それを女々しく雑誌に書いて、元妻や友人に呆れられても、それでも取り戻したい女性がいた。

部屋の鍵と財布をポケットに入れると、アパルトマンの階段を降りた。
小劇場の横のバーは外にハイテーブルを出し、劇場が開くのを待つ人たちで賑わっている。
フランス人の知り合いが手をあげて一緒に飲もうと誘ってきた。
礼司も軽く手を挙げると、口の動きで
「ごめん、予定があるんだ」と伝えた。

フランス人と付き合うのは楽だ。礼司が結婚していようと離婚しようと接し方を一切変えてこない。
その点日本人は少し面倒だった。
一人になった途端に女性を紹介しようとするもの、なぜ離婚したのかと根掘り葉掘り聞こうとするもの。
急にあからさまに言い寄ってくる女性たち。
面倒臭くなって、妻に未練タラタラの男を演じるために、雑誌の手記にありもしない気持ちを書いた。
面倒臭い人たちは、口を揃えて
「かわいそうな男だ」と言った。どこか嬉しそうに。

11区からセーヌ川を越えて左岸へ。先日知り合ったばかりの年配の女優からの呼び出しだ。
足早に待ち合わせ先のホテルへ向かう。この地で日本人が仕事をして行くには、信じられないくらいの努力が必要だ。
今日みたいな、いわゆる上流階級の人の急な呼び出しにも応えることで信頼を得てきた。
彼女たちは彼に言う。
「相談したいのよ、明日のパーティに何を着ていこうかしら?」
彼はホテルに行って、その相談を受ける。

白い大理石のホテルラウンジには、紫陽花が飾られていた。
今朝見た絵葉書と、夕子の浴衣姿を思い出した。

エレベーターに乗って部屋に向かう。ドアチャイムを鳴らすと英語で
「少し待ってて」と言われた。
小さくため息をついて、ふかふかのカーペットが敷かれた廊下に目をやる。

その時、角を曲がって来た女性と目があった。
「え?夕子?なんで……どうしたの?」
「紫陽花を届けに来たの、鎌倉から」
夕子はそう言うと、紫の紫陽花の描かれた白いワンピースの裾をちょっと引っ張って小さく微笑んだ。

その時、ドアが開いて女優が顔を出した。
「揃ったわね、私は急なパーティーに呼ばれたから。二人とも、ごめんなさいね。部屋でお酒でも飲んでて頂戴」
そう言うと、礼司にウィンクをして廊下を颯爽と歩いて行った。

「え?」
混乱する礼司の腕を引いて、夕子は部屋の中へ入って行った。
「あなたからはきっと来ないと思ったから。わたしから行こうと思って、来ちゃった。彼女に頼んだの」
そう言うと、夕子は俯いた。
礼司は夕子の頬に触れてから、彼女の体を引き寄せた。
「いや、今度はもうちゃんと決めていたんだよ。もう君の手を離すことはしないって……。でも、来てくれてありがとう」
「ありがとう」
夕子はシャツ越しの彼の体温を懐かしく感じていた。
耳の奥に、鎌倉の書斎に響いた雨音が聞こえた気がした。

(完)

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