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【掌編小説】美味しく頂戴いたしました

ビルとビルの隙間にある、今どき珍しい屋外の喫煙所で、彼とは出会った。
花壇のレンガをベンチ代わりにして、長い脚を前に出すように座ってタバコを吸っていた。
ビルの合間から太陽の光が差し込むと、眩しそうに瞑ったまつげから光がこぼれた。美しい人だなと思った。  
どうしてそんなに見つめてしまったかという言い訳をすると、その動機の半分は、自分の加熱式タバコに火がつかなかったからだ。

美味しそうに煙を吐く姿をどこか羨ましそうに見てしまっていたようだ。

「紙で良かったらどうぞ」
わたしの視線を感じたのか、彼が話しかけてきた。
「あ、ありがとうございます」
箱を少し振って差し出した彼のタバコを一本もらった。
とてもスマートに火まで付けてもらって。

「珍しいですよね、こんな喫煙所」
「もう3月いっぱいでなくなるらしいです」
「そうなんですね、僕はあまりここにこないから、いい場所見つけたなって思ったんだけど」
当たり障りのない話をしてから会釈をすると、彼は立ち上がって足早にビルの方へ戻って行った。

また会いたいな。

そんな思いが心のどこかにあったとして、本当にもう一度会える確率というのはどれくらいなんだろう。

ある日、会社の先輩から、今夜お茶の体験があるから一緒に行かないか?と誘われた。
「お茶って、正座してお菓子食べるあれですか?」というわたしを、そういう人にこそ行ってほしいんだわ、と半ば無理やり連名で申し込んだ。

ウキウキと足取りの軽い先輩に連れられて、近所のオフィスビルの中にある茶室に向かった。
他に数名の女性がすでに到着しているようだった。
着物こそ着ていないがきちんとした身なりで、これからお見合いですか?とでもいうような華やいだ雰囲気の女性たち。
そんな彼女たちに気後れしていると、後ろから男性の
「お待たせしています」という声がして、振り向くと和服姿の喫煙所の彼が立っていた。
紺地の紬に濃い灰色の博多織の角帯、同じ紺地の羽織。
めまいがするほど美しかった。

一斉にため息ともなんともつかないような声が女性たちから漏れ、「待っていません」と輪唱している。先輩の方を見ると同じくうっとりした目で彼のことを見ていた。
お稽古が始まると、初心者でもたつくわたしに優しく静かな声で指導してくれる彼へ女性たちは優しい視線を送り、わたしには剣山のような視線を送ってきた。

正座をして、お茶を立てる様子は、脚を投げ出してタバコを吸っていた人とは別人のようだった。
黒地の茶碗を支える手の指の白く長くて美しい様。
少し俯き加減で茶筌を素早く使うキリッとした所作。
見惚れているうちに自分の順番になった。

彼が点ててくれた薄茶を飲み、何か言わねばと思った時、他の女性たちの真似をするのもな、という変な自尊心で
「けっこうな御点前で」
と言ったら
「それは実はあまり言わないんですよ」と彼にやんわりと言われた。
「でも、美味しかったという気持ちが伝わればオーケーです」
そう言って、微笑んだ。

背中に汗が流れそうになりながらの茶道教室が終わり、何かがフル充電されて艶々の笑顔の先輩と駅で別れると一人、駅にある飲酒可能なカフェに立ち寄った。
お抹茶の恥ずかしい記憶をお酒で洗い流したい。

ワインを注文し、しばらく黙々と飲んだ。
あんなカッコいい茶道の先生が出てきて生徒が全員女性でうっとりとか、
(少女漫画かよ!)
と自分に心の中で突っ込む。

タバコを持って喫煙室へ向かう。
先客が何人か居たが目もくれずに加熱式タバコのスイッチを押す。
またつかない。
今日は何をやってもダメだとため息をつくと、目の前にタバコの箱が差し出されて
「紙でよければどうぞ」
と、和服から洋服に着替えた彼が笑っていた。
紺のキリッとした着物のイメージとは真逆の柔らかいベージュのジャケットとパンツ、足元も同じベージュのスニーカーだった。
「あ、先生」
「急に先生呼びはやめてください、タバコを分け合った仲じゃないですか」

ありがとうございます、と言うと、またスムースに火を差し出すので火まで付けてもらった。
この人の流れるような所作は、茶道から来ていたのかもしれないと腑に落ちる。

「あの、さっき間違えて言っちゃった”けっこうな御点前で”って言うのって、なんて言えばいいんですか?」
「あぁ、美味しかったって言うのが伝わればいいんですよ。”美味しく頂戴いたしました”とか」
彼は、そう言うとふと横を向いて煙を吐き出して、
「良かったら一軒行きませんか?」と誘ってきた。

駅の反対側にある繁華街に向かい、店主一人で経営しているバーに入ると、実はいろいろな共通点があることがわかり、話が盛り上った。

その後はまた流れるように店を変え、二人で歩いた繁華街のネオンに照らされた空には、まだ生まれたばかりの細い三日月が出ていた。
そして、気づくとタクシーで彼をマンションに連れ帰っていた。

朝、窓から薄光が差し込むベッドで目を覚ますと、隣でぐっすりと眠る彼を揺すって起こした。
「先生、朝です」
気まずさで消えてなくなってしまいそうなわたしとは打って変わって
彼は閉じた目をゆっくりと開くと、掠れた声で
「美味しく頂戴いたしました」
と言って、また瞳を閉じた。

半円型のとっても美しいカーブを描く閉じた瞳が、まるで昨夜見たお月さまのようだった。

(完)

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