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どこか懐かしい済州島にて1
2024年3月下旬に、韓国の釜山、済州島、ソウルに旅行に行きました。
済州島編、スタートです!
釜山編はこちら
済州空港からのレンタカー
済州国際空港に降り立つと、そこには有名なトルハルバン(石のおじいさん)がお出迎え。
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ナムギルさんとチャウヌのドラマでよく見たやつ!と思いながら、今回の旅の緊張メインイベント、レンタカー屋に向かいます。
セマウル小岩店のお兄さんが「済州はレンタカーです、ないと色々回れないです」と言ったので……。「でも日本人は左ハンドルの右側通行だから大変かもしれないですね」とも言われていたんですが、やっぱり色々回りたい!と思い、初海外旅行のジャーマネが国際免許を取りに行きました(お前じゃないんかい!という突っ込みは聞かない)。
空港の外にレンタカー屋さんのお迎えコーナーみたいなのがあり、もうそこにいろんなレンタカー会社のお迎えの車がひしめき合っているので、自分のレンタカー屋を探すのが一苦労でした。
分からないときは、あまりうろうろしないで待機している運転手さんに聞くのがいいと思う。
(この辺り、謎の緊張で大変すぎて一枚も写真撮ってなかった)
説明は英語でしてくれました(だがよくわからん!)。
すごくシステマティックになっていて、タブレットに借りる前の車の写真が撮影されているので、自分で傷の確認の写真を撮ることも、運転の説明もなく「この車ー」って指差されてGO!みたいな。
もちろん事前の保険とか事故とかに対する説明はあったし、預り金としてクレジットカードで3万円くらい決済したし(これはレンタカー返すときに戻ってきます)お店とLINE交換して緊急時はそこに連絡するように、という感じでした。
ナビは英語。もう訳がわからん。
済州島は(韓国は?)小学校の前がいきなり速度制限30キロになりCCTV(防犯カメラ)も設置されて録画されているので、皆きっちり守っています。
60キロから30キロ、30キロから60キロ、さらに방지턱と呼ばれる段差みたいなのがあって、それが近づく旅にナビが英語で
「スクールゾーン」「エスピー?バンプっ」ってお知らせしてくれるんだけど、まぁ、常にナビが賑やかにお喋りしてる感じです。大混乱です。
そんな風にドキドキしながら車で向かった先はこちら。
「ウヨンユ弁護士は天才肌」や「サムダルリへようこそ」のロケ地にもなっていたお寺です。
観音寺(관음사)
済州でいきなりの寺。
こうnote書きながら振り返ると、なんでいきなり寺なんだろうと自分のチョイスが不思議。
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観光客も数えるほどしかおらず、とても静かなお寺です。
日本のよくある観光地のように食事するところや土産物屋がたくさん並んでいるわけでもなく、お寺の施設と広いお庭のみ。唯一の売店ではろうそくやお数珠などを売っていました。ただ、そんな中コーヒーは売っていたんだよね。アイスアメリカーノテイクアウトしました。さすが韓国。
聞こえるのは読経の声(テープかな?)と鳥の鳴き声だけ。
なぜかトイレに読経テープが流れていて、用を足しながら神妙な気持ちになりました。
次に向かったのはこちら
済州4•3平和記念館
ここは絶対行きたかった。島民が政府により弾圧され、3万人もの人が亡くなった済州4•3事件を伝えるための平和記念館です。
韓国でも知る人が少ない(というのも20年くらい前までタブーとされていて教えられてこなかったそう)この事件をきちんと伝えるため、そして亡くなった人たちを慰霊するための場所でした。
膨大な展示は、映像などを駆使しており、分かりやすいです。ただ韓国語と英語の展示なので、Papagoを使用しながら見て回りました。
戦後、日本から解放されたと思ったのに彼らに本当の意味での自治はなく、結局新日派だった役人や警察が再登用された、という文章を見て、かつての日本が行ったことがいろんな事件のきっかけになってしまっていることを痛感し、日本人としては展示を見るのが心苦しくなる部分もあります。
また戦後、日本から引き上げてきた元島人たちが、弾圧から身を守るため、また日本に戻ることを決めた人も多かったそうです。
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館内、本当に膨大な展示でしたが、一番印象的だったのはこの横たわる大きな石の柱とそこに添えられた文言です。
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「いつかこの碑に済州4:3の名前を刻んで起こす」
済州の人たちはこの事件のことをただ「4.3」と呼ぶそうです。なぜならこの痛ましい惨事の正式な名称がないから。
何も彫られていないこの石に、いつか正式な名前がつき、慰霊碑として建つ日が来ることを願わずにはいられませんでした。
今から20年ほど前、「4.3特別法」というのが施行され、当時犯罪者として軍事裁判で裁かれてしまった犠牲者の名誉の回復と、真相究明を目指すことになったそうですが、きっとまだ道半ばなんでしょう。
記念館には高校生くらいの男子学生たちが修学旅行に来ていたのですが、熱心に展示を見ている子はいなくて、とにかく友達とのおしゃべりが楽しいみたいでした。
でも、その風景を見ながら幸せなことだよなぁ、と。
あの場所の壁に無数に刻まれた犠牲者の名前や年齢を見ながら、亡くなった人たちからしたら、ひ孫や孫みたいな青年たちが楽しそうにしている姿は、とても微笑ましいもので、眉間に皺を入れる人はいないんじゃないかな、と勝手に思ったりしました。
場所的には、周りに一緒に回れる観光地もなく、とても行きにくいと思いますが、ぜひ日本人も行ってみて欲しいなと思う場所です。
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少し長くなったので、続きは(続きは美味しい夕食が待っています!!!)次のnoteで書きます。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます!
では、また
(つづく)
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