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承認欲求という媚薬

こんにちは!

さっき、大きな雷が鳴ってテレビがプツンと落ちました。再起動したら直りました。良かった……。
皆さんは台風や雷の影響は大丈夫ですか??だいぶ大きい台風のようなので、被害が大きくならないことを祈ります。

さて、今日はいくつか最近思うことを徒然書いていきますね。
長いですが、お暇な時に読んでもらえたら嬉しいです。

後半はマガジンになります。


奈良美智さんのインタビューで承認欲求に向きあう


昨日、古新聞をパッと開いたら、現代美術家の奈良美智さんのインタビュー記事のページでした。最近BTSのRMことキム・ナムジュンさん(ナムさん)が来日していた時に、奈良さんのカフェに行ったり美術館に行ったりしていて、奈良さんレーダーが立っていたので、おお!これは読めってことだな?と思って読んでみたんですね。

その中で

ー 賞をとって、世に出たかった?
奈良さん「それはない。人は、生まれた瞬間にもう世に出てるじゃない」

というやりとりがあったんです。

それで、あぁ、そうだった、どんなことを成し遂げたかではなくて、生まれてきただけで、もう私たちは素晴らしい存在なんだよなぁと、忘れかけていたことを思い出しました。

なんか、ついつい、芸術家として名乗るのであれば大きな賞を取って、みんなに認められて、作品が高い金額でやりとりされて、っていうそこに目標や成功の答えを持ってしまいがちですよね。
作家もですよね。名のある賞を受賞して、大きな文芸雑誌で連載してこそ作家と言えるんじゃない?みたいな。
そういう価値観で生きている人も、たくさんいるだろうなと思います。そういうのも、別に悪くないとは思います。
だけど、自分が描いた”芸術家としての理想”を追い求めるあまりに、自分自身を見失うことになる危険もあるのではないか?と。

先日、アロマスプレーを作ったときに、自分のための香りを作っていたのに家族や友人に「いい香り」って言ってもらいたいために香りを調整してしまった、という話を友人がしていたんです。
後で彼女が気づいたのは、「自分のために作っているのに、人のジャッジが入ってしまってブレてしまった」ということだったそうです。

芸術も同じで、誰のために、何のために表現をしているのか?というところがあって。
わたしは自分を救うためだと思っているんです。
自分が作りたいもの、自分の表現をすること、それが自分を救うし癒す。その過程でもしかしたら他人を一緒に癒すことに繋がるかもしれないけれど、それは副次的なものです。
自分の作品で、誰かを癒すことを目的にするほど、驕りオゴリたくないなぁ、と。

もちろん、奈良さんのように成功した人に「生まれてきただけで世に出ている」とか言われたら、「成功した人に言われたくないやい!」って僻むヒガム人もいるでしょう。
だけど、多分奈良さんは今のような位置にいなくても、同じような気持ちで自分の作品を作っていたんじゃないかな?と思うのです。
自分の想像以上に売れてしまった。
それはBTSにも少し通じるものがあるような気がしています。

昔、ミナペルホネンの皆川さんのドキュメンタリーを見たときに、売れない時代にそれでもコツコツと自分の作りたい服を作っていたというのを思い出しました。
そのドキュメンタリーを見た後だったと思うのですが、青山のCallという皆川さんの手がけるお店がオープンして、そこに行った時のことです。
皆川さんもいらっしゃって、カフェでお客さんが食べ終わった席のお皿を下げていたんですね。
皆川さん目的でおしゃべりしたいなと思ってお店に来る人たちが沢山いる中で、そうやって地味な仕事もする、その姿勢に、心打たれたのを覚えています。

そして、ナムさんが「狂わないために、狂わないといけない」と『ON』の歌詞に書いたこともふと思い出しました。
この世界はある意味狂っている。
自分の作品が何億もの値段でやりとりされる。自分の言動で会社の株が上下する。知り合いになりたいと近づいてくる笑顔の仮面を被った人たち。
そういうものに慣らされてしまわないように、芸術家は自分の作品を生み出すことに”狂う”必要があるのかもしれません。
自分の信念を貫くことにしっかり”狂う”必要がある。

お皿なんてスタッフに下げさせて自分は談笑していればいい、作品なんて苦労して作らずに高い値段で売ったお金で暮らせばいい、印税で暮らせるんだから無理に作業室に籠らなくてもいい。

だけど、彼らはそうしない。
自分でいるために、大切にしているものや表現することに”狂って”いるのでしょう。

翻ってヒルガエッテ、自分はどうでしょうか?
小さな承認欲求やプライドのために、自分の大切にしているものを売り渡してはいないでしょうか?
承認欲求は、この狂った世界に少しずつ何かを売り渡す行為の媚薬のようなものです。これくらいならいいだろう、少しなら大丈夫だろう、そうやって狂った世界に迎合していくうちに、気づいたら”自分”は居なくなっているかもしれません。

今回、偶然読んだ奈良さんの記事から、ナムさんのことを考え、結構真面目に書いてしまいました。
お付き合いくださってありがとうございます!

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