不惑の余裕
「(生)林檎博'18 -不惑の余裕-」行ってまいりました。
この日は林檎ちゃんの40歳のお誕生日でもあり、ライブはまさに祭り状態。
本当におめでとう。
デビューの頃から好きで、不安定な青春をこの人の歌があるから乗り切ってこれたんだって、昨日は感謝の気持ちがすごくって、思わず泣いてしまいました。最近涙もろくていけませんね。
でも、同じ時代に生まれて、その歌を生で聞けるって本当に奇跡だなって思うんです。特に泣いてしまったのはこの歌。
二度と会えない人の 幸せなんて
遠くから願おうにも 洒落くさいがしかし
痛感したいです 近寄れば悲しく
離れれば楽しく見えてくるでしょう
それは人生 わたしの人生 誰の物でもない
奪われるものか 私は自由 この人生は夢だらけ
「人生は夢だらけ」より
「袖触れ合うも多生の縁」と言いますけれど、電車で席を譲ったのをきっかけにお話したり、お店で隣り合わせてお話したり、タクシーの運転手さんと話が盛り上がったりすることってありませんか?
こんなにたくさんの人がいる中で、たぶんこの人とはもう二度と会えないのかもしれないけれど、それでも、その後のその人の人生がどうか幸せでありますようにと願わずにはいられないような瞬間。
ほんと、そんなこと言うと、林檎ちゃんの歌詞の通り「しゃらくせーや!」って感じですけど(笑)
でも、本当に心からそう願う時ってあるんだなって思って。
突然スピっぽい話しますけど(最近多いね)ワンネスだなって思うことが増えました。
ワンネスって言葉がちょっとピンとこないからあまり言いたくないんだけど、感覚的には<わたしはあなたで、あなたはわたし>という感じです。さっきの多生の縁も少し近い感覚。「以前、どこかで会いましたかね?」(ナンパの決め台詞じゃないよ)という懐かしい感じ。
自分の幸せを望むのと同じように、二度と会えないかもしれない相手の幸せを望む
それがわたしの感じる<わたしはあなたで、あなたはわたし>のワンネスです。
それが普通にできた時、まさに「人生は夢だらけ」だし、それは叶う夢だし、そこから広がっていく世界を恐れなくてもいいんだよって分かるのかもしれないなって。
今日は抽象的かな?伝わる人には伝わってるはず。
そういう日もありますよね。
実はいま、テレパシーで喋っています(ウソです。急にスピを超えて「ムー」みたいになってきたな)
伝わる文章を書きたいなって思うけれど、時にはなんか「何言ってんだこいつ」っていうのを書きたい日もあってですね。ふふふ。
読んで下さった人を巻き込んでのパルプンテ状態です。
さて、林檎ちゃんの話に戻そうかな。
40歳は不惑の歳と申しますけど、一説によると迷わないとか惑わないってことだけじゃないらしいですよ。
「枠にとらわれないで自由にやる」
っていう意味もあるんだそうです。それを聞いて、なんて素敵な言葉だなと思ったし、なんて自由なんだろうとも思いました。
自由、万歳
まさに、わたしは自由!
最後まで読んでくれて、ありがとう!
では、また!