五十嵐隆になりたかった

この作品は、キノコファクトリーさん(https://nejiro.kinocofactory.work/)主催のsyrup16gイメージアート展に出展した小説作品です。五十嵐隆およびsyrup16gのアルバム「Les misé blue」は実在しますが(敬称略)、その他作品中の個人・団体はすべて架空のものです。



 三歳年下の弟がギターを担いで東京へ発った日、私は「弟とはこの先二度と顔を合わせない」と誓った。あの日から十年と少し経った現在の弟は、北海道の片田舎で平穏に過ごしていた私の生活に強引に割り込んできて、そのまま仕事もせず能天気に暮らしている。
「歌帆、麦茶ない」
 ようやく秋らしくなった三連休の中日に、早朝からヘッドホンで耳を塞いでキーボードに向かっていたかと思えば、ふらりと冷蔵庫を開けて言うことがこれだ。
「最後に飲んだのあんたでしょ。麦茶がなくなったら新しく作る、そんだけのことがなんでできないの。もうすぐ三十になるってのに、あんたはいつまでもそうやって――」
「歌帆ってやっぱ母さん似だよな」
 姉として言うべきことを言っているだけの私に、弟は少しだけ目を細めてそうのたまう。「かわいくない」を通り越して、もはや憎たらしい。
「私、これから仕事だから。そろそろ麦茶くらい自分で作れるようになんなさいよ」
「へいへい」
 弟が空っぽのポットの蓋を気だるそうに開けたところまでを確認して、私は普段と同じ時間に家を出た。今日は世間一般では休日だが、私は昼から出勤して、世間一般の人々が炊事を休む代わりにハンバーガーだのポテトだのナゲットだのを夜までせっせと提供する。虚しく聞こえるかもしれないが、弟の理不尽さに比べればなんてことはない。
 麦茶のティーバッグも、ポットも私が買ったもの。ポットに注ぐ水道水も、冷蔵庫を動かす電気も、私が支払った料金で供給されているもの。ついでにあの冷蔵庫も、弟と二人暮らしになったせいで一回り大きなサイズのものを私が買うことになった。麦茶一つでここまで細かく物申したくなってしまうところは、悔しいが弟の言う通り、母によく似ている。
 私に「上野歌帆」という名を与えたのは母だった。私に音楽の楽しさを教え、音楽を生業として生きる道を見せてくれたのは母だった。しかし、私がもう少しで手に入れるはずだった音楽を、私から取り上げたのも母だった。「五十嵐隆になりたい」と言い張ってギターにかじりついていた弟は、私の留学のために使うはずだったお金で東京へ行っても、結局「上野奏介」以外の何者にもなれなかったのに。

 涼しい風と肌に突き刺さる日差しのアンバランスさに不快感を覚えながら歩く。現在の勤務先が徒歩圏内なのは偶然だ。しかし、徒歩通勤のお供に音楽プレーヤーもイヤホンもないのは偶然ではない。私が音楽から逃げ回るようになってからの年数を、もう数えるのもやめた。
 私はピアノ講師の母を持ち、物心つく前からピアノに触れ、小さなコンクールだが入賞経験もあり、難関とも言われる私立の音楽大学に進み、海外留学を経てピアニストとして生きていく、予定だった。しかし、当時は高校三年生だった弟の東京行きの計画を母が知ってしまったあの日から、信じられないスピードで私の人生から音楽が離れていってしまった。
 小さい頃から引っ込み思案で傷つきやすく、高校も行ったり行かなかったりしていた弟が初めて目標を持ったということの重大さはわかっていた。私が音楽で生きていくために、海外留学が必ずしも必要不可欠ではないということもわかっていた。いくら母のピアノ教室が音大合格者を多く育てているとはいえ、私が小学生になる頃にはすでに母子家庭だった我が家の経済事情もよくわかっていた。それでも、私が聴きたくてたまらなかったたくさんの「本場の音楽」を諦めるのは、決して簡単なことではなかった。
 私はほとんど惰性で大学を卒業し、音楽とは関係ない仕事に就いた。しかし、職場で朝から晩まで流れていたクラシックのBGMでノイローゼになりかけて、一年で転職した。次の職場では有線で流れる流行りのポップスが、その次は一時間ごとに流れるオルゴール風のチャイムが、その次は電話の保留音が嫌でたまらなくなり、履歴書に書き込む職歴がどんどん増えていった。こんな退職理由を面接で言うわけにはいかず、私は疲れ果てて、アルバイトの身分に落ち着いた。私自身も、なぜ自分がこれほど音楽全般を毛嫌いしなければいけなくなったのか、明確な理由は説明できない。大学時代のアルバイト先の系列店に戻ってきたのは、音楽など耳に入らないくらいにせっせと身体を動かし続けたいと思ったからだ。
 高校の卒業式からわずか一週間で北海道を出ていった弟が、たった六年間の東京暮らしで何か成果を残したのだとするなら、一枚の自主制作EPがそれにあたるかもしれない。三人組バンドのギターヴォーカルとして、弟が作詞作曲した四曲からなるCDで、彼はデビューへの道をあと少しで掴むところまで行ったそうだ。弟が、自らバンドそのものを壊すことがなければ。
 ロゴマークを高く掲げた職場がすぐに見えてくるのが、現在の仕事のいいところだ。自宅から徒歩十分。通勤が楽という点だけなら、多くの人に羨ましがられると思う。ただし、私の転職と同時に弟がアパートへ転がり込んできたせいで、このわずか十分の間にすべてのマイナスな気分をリセットしなければいけなくなってしまったのだが。

 *

 九月の連休は忙しい。毎年、この時期だけで一生分の「月見」という単語を見聞きし、口にするような気分になる。うんざりしないと言えば嘘になるが、弟の存在に比べれば可愛いものだ。
 油やソースの匂いに負けないくらいの疲労を身体にまとって自宅に帰ると、弟は朝と同じ格好で、日が落ちたのに明かりもつけずに、まだ鍵盤を叩いていた。ヘッドホンを着けてはいるが、指が暴れ回るような打鍵音に苛立ちを覚える。おまけに、コードを弾いているだけらしい左手の指がわずかに引きずるような重さを鍵盤に乗せていて、右手とのアンバランスさも気持ち悪い。
「あ、歌帆、おかえりー」
 私が無言で明かりをつけると、弟はヘッドホンを着けたまま右手をひらひら振る。そして、仕事から帰った姉が一言もかけないうちにまた鍵盤に向き直った。非正規雇用ながらも二人分の生活費のために働いてきたのに、労いの言葉もないとは。腹立たしいが、弟のこんな態度は今に始まったことではない。弟が無職になって何年になるのか正確には知らないが、あまりに呑気な暮らしに苦言を呈するのももう面倒になった。
 リハビリ中だと言うなら、一人で生きる力をもっと積極的につければいいのに。いや、朝から晩までキーボードに向かっているよりも、何かの仕事に就いた方がよほどリハビリになるはずだ。弟が鞄に突っ込んだまま忘れていたのだと思われる、一週間近く前の病院の領収書をテーブルの上から回収する。私には関係ない怪我の後遺症なのに、弟がいつまで病院代を私に頼るつもりなのかもわからない。フロントマンの怪我を理由にデビュー寸前のバンドを手放さなければいけなかった弟の音楽仲間たちも、同じように理不尽な目に遭わされたのだ。顔も知らない彼らに同情していなければ、弟との二人暮らしには耐えられない。
 帰宅してまずすることは、シャワーを浴びること。食品を扱った匂いと自分の汗が混じった不快感を真っ先に洗い流さなければ、コンクールや試験を控えた生徒を扱っている時の母のように、どうでもいいことでイライラを爆発させかねない。なるべく無心になって脱衣所へ向かおうとした時、私の気持ちも知らない弟がこちらを向いた。
「歌帆、『レミゼブルー』って意味わかる?」
「知らない」
 私の気分とは正反対のトーンでそんなことを言い出す弟に、一言だけを投げつけて背中を向けた。仮にも私という人間の弟を三十年近くもやっているのだから、いい加減に姉の苛立ちくらい察する力を身に着けてほしい。自分の殻にこもりがちだった子供の頃の弟は、いつからこんな腹立たしい人間になってしまったのだろう。もしかしたら、ピアノにかまけて見えなかっただけで、弟の本性はずっとこうだったのかもしれない。
 設定しているよりも少し冷たいシャワーを頭から浴びる。本来の温度になるまで時間のかかるシャワーにも、いつもならどうとも思わないのに腹を立ててしまう。
〈おおレミゼ レミゼブルー〉
 頭の中に響く弟の鼻歌を、水音は消してくれない。ギターを辞めても聴くのをやめない、弟の憧れの人の歌。さすがの私も、ミュージシャンを逆恨みなどしないし、何の罪もないメロディーラインを呪うことなどしない。どれだけ音楽から逃げ回っても、本当は音楽そのものに恨みなどないのだ。
 いつまでこうして、生産性のない怒りと苛立ちにまみれて過ごさなければいけないのだろう。全身をさっぱりと洗い流したはずなのに、なぜ途方に暮れた気分にならなければいけないのだろう。

 *

「歌帆、『レミゼブルー』って――」
「同じこと二回も言わないで」
「違うよ」
 思わず口調がきつくなってしまったせいか、弟の「違うよ」には子供の頃の、世界の何もかもに怯えたような色が少しだけ乗った。なぜだか罪悪感を覚えて、乾かしたての髪をくしゃくしゃに掻く。
「何」
 乱暴に続きを促すと、弟はキーボード用椅子に腰かけたまま身体を私の方へ向けた。
「『レミゼブルー』って、たぶん造語なんだけど、『レ・ミゼラブル』なら歌帆もわかるでしょ? そこからの言葉遊びっていうのが、五十嵐隆だよな」
「出た、いい加減にしなさいよ。あのね、あんたがそうやって自分の好きなもの追いかけるために、私がどんだけ――」
「違うよ」
 怒りを爆発させかけた私を制する「違うよ」は、叫びに近い腹からの声だった。不覚にも、怯んでしまった。弟のそんな声を聞くのに慣れていないせいだ。
「今は、歌帆を怒らせたいわけじゃない。俺だってここまで来るのに、俺なりに死ぬ気でやってたんだよ。歌帆に頼り切ってニートやってるのに腹立ててるのは知ってるし、それはごめんしか言えないけど」
 言って弟はキーボードに向き直り、ずっと差しっぱなしのヘッドホンのコードを引っこ抜いた。左手だけを鍵盤に乗せ、四分音符の和音を鳴らし始めた。テンポはやや遅め、百、いや九十六か。楽器の音が鳴ると、引きずるようなタッチの不快感が跳ね上がる。
「再起しようと思ったんだ。だけど、ずっとどうしていいかわからなかった。せっかくバンド組んで、もうすぐデビューってところまでいって、五十嵐隆にはなれなかったけど、五十嵐隆が見てる世界には近づけそうだったんだ。だけど、俺にはもうギターがない。何も見えなくなったんだ。だから、全部リセットして、歌帆のところに来た」
 ほぼ一息の台詞を、弟は引きずり気味の四分音符を鳴らし続けたままで言い切った。
「母さんが俺を東京に行かせてくれた理由、歌帆は知ってる?」
 咄嗟に何も言えなかった代わりに、母の顔が脳裏にぱっと浮かんだ。生徒からも「鬼」と呼ばれる、コンクールや受験の前の厳しい顔だった。
「歌帆には音楽があるから大丈夫だって、母さん言ってた。歌帆には、わざわざ背中を押してやらなくても自分の音楽を見つける力があるって。母さんは、誰かをお手本にしないと音楽ができない俺のこと、かわいそうに思ってたんだろ、たぶん」
「そんなこと」
 せっかく冷えてきた体温が怒りで再び上がるのがわかる。そんなことを今更聞いたところで、私から離れていった音楽は戻ってこないのに。
「絶対俺のこと受け入れてくれるってわかってる母さんのところじゃなくて、絶対恨まれてそうな歌帆のところに行こうって、なんで真っ先に思い付いたのかわかる? 俺が人生で一番長く聴いてた音楽は、歌帆のピアノだったんだよ。だから、母さんから無理矢理住所聞き出して、ここに来た。五十嵐隆がそうだったみたいに、歌帆の音楽が俺に進む道を見せてくれると思ったけど、歌帆はもう音楽をやってなかった」
 誰のせいで、と喉元まで出てきた台詞を、腹が立つほどふわふわした響きの四分音符の和音が押し留める。
「この際どこまでも恨まれ役やってやろうって投げやりになってたけど、咲かない花にも祈りはあるから、って五十嵐隆が歌って、どきっとした。俺のこと歌ってるのかと思って。気が付いたらリサイクルショップでキーボード買ってた。歌帆に音楽で言ってやろうって、一念発起したんだよ。俺はまだ諦めてないって。ここまで弾けるようになるまで、年単位でかかるとは思わなかったけど」
 四つのコードを延々と繰り返していた左手に、叩きつけるような右手が乗った。その瞬間、私の頭の中ではスピーカーから鳴るピアノの音が歪んだギターの音に変換された。弟のバンドが唯一出したEPの一曲目、私には馴染みのないバンドサウンドに乗せて弟が腹から叫ぶように歌うメロディーを、ピアノを模した電子音がなぞっている。
 まだこの部屋に住み始める前、おそらく母から住所を聞き出した弟が送り付けてきたCDを、私は一度しか聴かなかった。怯んでしまったのだ。部屋にこもって憧れのミュージシャンのコピーをすることしかできなかった弟が、自分で仲間を集めて、自分の音で、自分の声で、自分の言葉を堂々と歌っていることに。そこから感じた執着にも似た熱とは対極の、ちっぽけな理由で音楽から手を離してしまった自分の弱さに。
 弟がよく歌う鼻歌とどこか通じるようなメロディーを右手が鳴らす。左手は、わずかに遅れてそれについていく。スタジオからの帰り道、自転車で車と接触しかけて転倒。ギターをかばって左肘を骨折。運悪く神経に障ってしまい、手や指に後遺症が残った。ここへ転がり込んできた時はほとんど使い物にならなかった指が、今は鍵盤を跳ね回る右手にどうにかついていけている。
「あんたも、意外と母さん似だよね」
 思わず呟くと、弟は演奏を止めずに小さく「そう?」と返した。くどくどと説教を垂れて、最後は音楽でわからせる。弟も私に負けないくらいに母そっくりだ。
 物心ついた頃から、私の世界には音楽が溢れていた。ピアノのレッスンに明け暮れて友達付き合いをほとんどしていなくても、自分が一人きりだとは思っていなかった。どれだけ音楽から逃げ回っていても、ポテトが揚がったアラームすら音階に変換してしまう自分の世界を、心のどこかで本当は愛していた。
 私をなぜだか泣きそうな気持ちにさせるのが、「五十嵐隆」なのか「上野奏介」なのか、もうわからない。

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ひつじ
いただいたサポートて甘い物を買ってきてモリモリ書きます。脳には糖分がいいらしいので。