10分ブログ_2/26(日常)
今日は職場の休業明けである。
本来は3/1だったのだが、月末締めの仕事があるため、今日出勤なのである。
久々に早起きして弁当を作ったわけであるが。
本音は休みたい。
いつもより早く職場について仕事をする算段であるが、定時に帰れる可能性は極めて低い。
家に帰る頃には気力体力もろもろ搾り取られた絞りカスとなっていることだろう。
明日が公休で助かった。
今月は休業でほぼ自宅にいたわけであるが、苦痛は特に感じなかった。
むしろ、通勤時の電車とか職場での陽性者に対する追跡の聞き取り記録とかやっていた分、解放された気分だった。
さらに休業中にネットをする時間をカットした。
コロナについての最新情報は気になるものの、目につく記事に不安を感じたり、怒りを感じたりと心が消耗していくのを感じからだ。
コロナの後遺症で脱毛と認知機能の低下は鳥肌が立ったし、コロナ対策よりもオリンピックを優先しようとする政治家の姿には正直うんざりだ。
それで、ネットの時間を必要最低限カッとしたら、驚くことに時間の流れが恐ろしくゆるやかに流れて、周囲がやけに静かに感じた。
おかしい話だ。私の世代はネットのない時代に生まれて、高校辺りからネットに触れた――つまり少し、昔に戻った感覚なのだ。
そこで、思ったのはツイッターデモを見かけるのだが、たぶん、政治家のジイサマ連中には半分も伝わっていないと思う。
この静かな感じを、半世紀以上生きてきた老人たちにとって、私達とは見えている現実が違うのだ。
投稿時間:9分42秒