続・【1300冊の本を読んだ結果、人間の特性とは何か】

前回前々回の記事で、京都大学霊長類研究所のチンパンジーの研究からわかった人間との差異、また、フィールドワークで複数の人間社会をつぶさに観察してきた文化人類学者レヴィ=ストロースの研究を参考にすると、人間の特徴は、「物事を交換できる能力」であると説明した。

この能力がダイレクトに効果をもたらすのは、やはり人間活動の“分業”だろう。

大量生産に向けた本格的な分業は、産業革命からと思われるが、それ以前にも当然、分業はあっただろう。
農業社会でもあっただろうし、狩猟採集時代だって、男女や各人で多かれ少なかれ異なる役割があったはずだ。

現代では分業が進み、もはや一人では、生きるための活動が何も出来ないといっても過言ではない。

米の生産も各々が出来る訳ではないし、身の周りのあらゆるものが自分では作り出せない。(※3Dプリンターが出現してはいるが、当然作られるものは限られている)

人間の分業があるからこそ、ここまで世の中が便利になったと言える。

さてここで、分業とは「機能の交換」と言える。
「あなたはお米をつくる機能をもっている」、「あなたは鍋をつくる機能をもっている」、「あなたはガスコンロをつくる機能をもっている」、これらの機能をお互いに“交換”することで初めてごはんを食べることができる。

この「“機能”の交換は」、貨幣が発明されたことで、お金だけもって移動すれば、自分の“仕事場”でない場所でも交換を行うことができ、距離の制約を超える。また、お金を使わずに保存しておけば、未来に何らかの機能と交換出来るため、時間の制約も外している。
お金が、各人がそれぞれの場所で果たしている機能から遠ざける性質をもつため、どうしてもお金自体が一人歩きしがちなのだが、実は、お金は単なる媒体であって、その先にはみな自分がもっている何らかの機能同士を交換しているのだ。

よく「お客様は神様」という言葉があるが、お金を支払ってくれるから神様と呼んでいるのだと思うが、お金は媒体するものであって、その先にあるお客自身がもつ何らかの機能と交換しているということが本質である。

そしてこのお客はそこで購入することで、ある機能を入手しているのだから、辿ってみると機能と機能を交換しているだけであって、結局はお客は神様ではなく、“お互い様”なのである。お金はそれを一時的に媒介しているに過ぎない。

この本質を考えると、景気が良いというのは、お金がよく循環していること、つまり、各人がそれぞれ役割を果たして機能を発揮し、それを交換しているから、とも言える。

それでは、次回以降、なぜ今の日本は景気がよくならないのか、この考えをふまえて考察していきたい。

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