国と宗教の狭間で ~レバノン. カトリック. マロナイト教会 in エルサレム~
先週の月曜日はレバノン. カトリックのマロナイト教会の歴史、エルサレムやハイファ、イスラエル北部におけるマロナイト教会の状況などについて、エルサレム旧市街のマロナイト教会の信徒. ユースフさんにお話を伺ってきました。
シリア正教会と共にアラム語を典礼言語としながらカトリックとしての歩みを進め、その中で儀式や音楽は多分に東方的な要素がふんだんに残されるレバノン.カトリックのマロナイト教会。
お話を伺っていくと、マロナイト教会はいわゆる「三位一体説」を受け入れたので451年のカルケドン公会議の時にいわゆる「東方教会」とは分かれて、ローマ側となりますが、今度はそのローマ側、がカトリック(西ローマ)とギリシア正教会(東ローマ. ビザンティン帝国)に分かれていき、さらには十字軍の時代にカトリックを助けたことにより、ヨーロッパとの結びつきが強くなっていきつつも東方的な要素を維持し続けた、という複雑な歴史を抱えていることが浮かび上がってきました。
そもそも創始者である聖マロンという聖人が、街中から離れ、山に籠った信仰生活を送る隠者だったため、聖マロンが亡くなった後も信徒たちは彼に従い、街ではなく山に集落を築いて教会を建て、そこで信仰を守ってきた、という経緯を伺いました。
そこで歌われてきた聖歌はビザンティン聖歌などの教会の威厳や権威を感じさせるものとは違った、もっと素朴でシンプルなものだけれども、マロナイト教徒は山あいに住んでいたからなのか、声が良い人が多く、いい歌がたくさんある、とのこと。これには私も非常に納得して、腑に落ちるものを感じました。まさに歴史や土地が歌を生み出す、ということそのものです。レバノンの歌姫、ファイルーズもその系譜を受け継いでいるのです。
話はエルサレムの地形やイエスの時代の時間感覚にまで及びます。まさに目からウロコが落ちるようなお話も!
「聖書を読む時は、今の感覚ではないところで今一度、距離感や地形、時間を考えてごらんなさい。イエスはユダヤ人だから、聖書に書かれた時間はユダヤ教の時間概念、すなわち一日の始まりは日没から始まるから、そこが0:00になる、ということなんですよ」
と静かに、少しブリティッシュ. アクセントのある英語で語って下さるユースフさんは、気さくながらもどこか気品を感じさせるような佇まいでお話して下さいました。
最後に、イスラエル北部とレバノンとの厳しい今の状況について伺うと、「マロナイトは常に間で生きてきた。私は政治については語りたいと思わない。ここに住んでいればそれがわかるでしょう」
少ない言葉の中に、言葉にならない言葉がたくさん詰まっている、そう感じさせられる瞬間でした。
私はイスラエルに住むアラブ人クリスチャンの方たちこそ、この状況の中で架け橋となれる存在なのではないか、とも考えています。