在来線の車窓から
電車が好きだ。
東北の田舎出身のわたしにとって、電車とは特定の地域を行き来するだけのワンマンカーのことだった。しかも1時間に1本あったらラッキーで、駅まで息を切らしてマラソンしてでも絶対に逃せないもの。
都会に出て地下鉄を知り、環状線を知り、どこをどう縫って行けば目的地に辿り着くのかわからないような路線図と睨めっこするのも好きだ。
ビバ・都会の公共交通機関、その混沌とした煩雑さが心地良い。
人の波に流されてしまいそうな少しの息苦しさだけは、いつになっても慣れないけれど。
電車、特に好きなのは地上を通っていくもの。
郷里へ帰る在来線も然り、京都から大阪、神戸へと行くために乗る阪急電車やJRもそう。
阪急電車は小豆色のボディが可愛らしい上に京都から400円で梅田まで運んでくれる。
なんてホスピタリティに溢れた素晴らしいひと。
郷里では隣市への移動で片道1200円かかるから、わたしにとっては革新だった。
さて、わたしは電車で筆が進むタイプだ。きっと、景色とアナウンス以外にわたしの意識に入り込んだり集中を遮ったりするものが無いから。
筆が進むといっても、スマホで文字を書いているので視線は手元の液晶と外の景色との往復なのだけれど。平面の電子機器も、迫ってくる緑も、電車に乗っているその瞬間だけは自分が好きなだけ独り占めして好きなように二つを行ったり来たりできるのである。
自然の中で育ったわたしにとって、山が深くなって木々が近づくほどきらきら嬉しくなる。
しかし、田舎に住み続ければよかったのかと言われればそうでもないような気がするし、わたしと田舎との距離感は数ヶ月にいちど帰ってくるくらいできっと丁度良いのだ。
今日も、その「数ヶ月にいちど」の安寧のために電車に揺られて家路を目指す。
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