斜陽
つい最近年が明けたかと思えば,いつの間にか1月も後半戦に回っていた.
私の大学3年生はもうほぼ終わりに近づいている.
きっとアベンジャーズエンドゲームで言えばすでにスタークは死んだ頃だろう.
残りの数か月は感傷に浸るだけの余剰の時間に過ぎない.
私の3年生という本編はすでに幕を引き始めている.
この3年間,私はSTUDY FOR TWOに打ち込み続けてきた.
私の大学生活からこの活動を取ったら,ほとんど何も残らない.
我ながらに,それほどまでにこの団体に時間を費やしてきたと感じる.
2年生の秋ごろ,私は「1年半で見つけたSFTの本質 SFTは助演男優賞、助演女優賞を狙え。」という文章を書いた.
それは,私が1年生から活動し,合宿係を経験し,支部長として四苦八苦した総括として,SFTをもう一度捉えなおした記事だ.
そしてそれから月日が流れ,また1年以上がたった.
私はこの1年間STUDY FOR TWOにおいて多くのことをしてきた.
あれからまた支部長をやることになったり,地区代表になったり,その中で多くの人と関わり,よりSTUDY FOR TWOという団体を見てきた.
去年までの1年がSTUDY FOR TWOという団体のビジョン,存在意義を求める抽象的な理解の年だったとしたら,
今年の1年はより実践的,リアルなSTUDY FOR TWOという団体を具体的に理解する年だっただろう.
そんなことを昨日,阪神の地区代表と話していて考えたため,ここにこの3年の総括をつづる.
以降の文章は私個人のものであり,事務局や地区代表といった役職依存しないものであることをさきにご理解いただきたい.
斜陽
それが今のSTUDY FOR TWOに感じる私の率直な感想だ.
上ってきた太陽が天高く私たちを照らした後に,悲しい紅葉色の空を見せて沈んでいくのと同様に
私たちの団体はすでに最盛期を迎えて沈んでいくことを待っている.
もっと具体的なことを言えば,わき腹から出血しているが,そこを治療して治すこともせずに手を抑えて必死に失血死する時を先延ばしにしているような状態だ.
私たちの団体はもう長くないだろう.
いや,きっとここから5年は続くだろう.ただ,常にわき腹から出血したままで.
なぜこうなってしまったのだろう.
STUDY FOR TWOは何も変わっていない.
それなのにどうして私たちは時とともに,支部も減り,メンバーも減り,寄付金額も減り,ただ死にゆくさだめを受け入れるしかないのだろう.
あなたは未だ蒸気機関車を使っているだろうか.
ワットやニューコメンが開発した,当時最高の効率であったシステムである蒸気機関を未だに使っているのだろうか.
少なくとも私は使っていない.私の地元にはクラウス15号という現在最古の小型蒸気機関車があった.
しかし,それに乗ったことはないし動いているところは見たことがない.
どうしてだろう.
きっと,ニューコメンが発明し,ワットが改良した蒸気機関に当時のヨーロッパは湧き,イギリスでロコモーション号が運航したその日には,移動の革命に人類すべてが新しい未来を見ただろう.
しかし,19世紀のことは私たちにとってすでに過去のことである.
過去素晴らしかったシステムは私たちにとって,何ら素晴らしいものではない.
STUDY FOR TWOは最高のシステムを生み出した.
大学生と途上国の子どもたち,どちらもが身を削らずに恩恵を受けられるwinn-winなシステムを作り上げた.当時では.
あくまでSTUDY FOR TWOのシステムは変わらず素晴らしいと思う.
いま入ってくる人もその多くがこの新しいシステムに感動して入ってくる.
それほどまでにインパクトの十分なシステムだ.
しかし考えてほしい.
STUDY FOR TWOはめでたいことに今年度で10周年を迎える.いうなれば10年前のシステムなのだ.
10年前の2011年の自身の生活を想像してほしい.
内閣総理大臣は菅直人,3月に東日本大震災が生じ,そんな中でも日本を元気づけてくれた「なでしこジャパンは」流行語を取った.
当時任天堂switchなんてなかった,当時最新のゲームは2月に出た任天堂3DS だ.
その当時,あなたは何をしていたのだろうか.
どんなに素晴らしいシステムでも,それを追い越すシステム,システムを取り巻く環境,それらは常に変化していき私たちSTUDY FOR TWOのシステムもまた干渉される.
2020年には新型コロナウイルスという感染症に大きく干渉され未曽有の活動の低下が生じた.
私たちはいつまでこのシステムを崇拝し,拝み衰退し続けるのだろうか.
そしてもう一つ,STUDY FOR TWOにとっての大きな劣化がメンバーの劣化だ.
さんざん環境の変化へついていけないシステムを悪く述べた後であるが
結局それはSTUDY FOR TWOを形作るメンバーが変えていくことができなかった結果だ.
悲しいことだが,長期に同じことを使用とするものは廃れる.前の代を見習ったものは廃れていく.これは歴史の常だ.
私たちの先人10年前STUDY FOR TWを創設した人は,あたりまえだがSTUDY FOR TWOが存在しない中で創設した.
それには強い力が必要だったし,友好関係が必要だったし,頭の良さも必要だったし,何より熱意が必要だった.
この熱意は子どもたちを救いたい,大学の教科書を安くしたいという原体験の下に作り上げた.
しかし今の私たちはどうだろう.
少なくとも私は新しい団体を作れるような力も友好関係も頭の良さも熱意も存在しない.
すでにあるSTUDY FOR TWOという素晴らしい団体にただ乗りできた一人にすぎない.
ここに大きな隔たりがあることは,言うまでもない.
私たちは水を渇望して蛇口をひねるわけではない.蛇口があるから水をひねるのだ.
しかし,先人たちは渇望が先にあった.水を飲みたいという渇望.
それに駆動されて大きな力で水道を建設した.
私たちと先人とでは手段と目的は真逆に存在する.
そう.だから今のSTUDY FOR TWOを守り停滞させる.
今のメンバーに一番足りないものは力でも知力でも友好関係でもない.
STUDY FOR TWOが描く未来への渇望,熱意だ.
もちろん力も知力も友好関係も足りていないが,それは全て渇望から後天的に手にすることができる.
しかし,渇望のない私たちにとってそれを成すことすらしないのだ.
なぜ私たちには渇望がないか
STUDY FOR TWOは手段ではなく,目的だからだ.
先人は,理念の達成のために当時最も優れたシステムを生み出した.
しかし私たちの世代は,この手段に憧れて入っているから,
目的を達成することが不可能な状態になった今でも,手段を変えることはない.
だから,さらに小さな手段の手段を小賢しくも変えて変革をした気になっている.
もう,私たちSTUDY FOR TWOはこの守るべき目的になってしまった手段である支援システムとともに死にゆくしかない.
それを,このSTUDY FOR TWOという船に乗った乗客のほとんどが選択しているのだからしょうがない.
幸いにも,私はこれを知って何もしないほど怠慢な人間ではなかった.
しかし逆に,これを一人でどうにかするほど勤勉な人間ではなかった.
だから私は,この果実を実らせることができなくなった荒んだ畑を耕し,種を植えることにした.
1年で実を結実させてくれるような早い果実ならいいが,きっとこれは3年や5年後に結実するようなプロジェクトだ.
もちろん,その3~5年の間にとん挫する可能性は高い.
私しか種を植えたことを知らないのだから,私がいなくなった後,水を上げることをものはいない.
だから私はここに,官ではなく民から変えていくそのプロジェクトを小さく記す.
これを読んでくれた後輩が賛同してくれるのならば,STUDY FOR TWOは血を止めることができるかもしれない.
しかし,私には辞めた後にまで気に掛ける責任感があるわけではないのでここに書き留めるだけにする.
まず言いたいのは,これまでさんざん書きなぐってきたSTUDY FOR TWOの限界だ.
私たちのSTUDY FOR TWOは,理念の達成のために駆動する組織ではなく,STUDY FOR TWOという団体を駆動させるために理念を持ち上げる.
そこで重要なのは,「やってる感」とSTUDY FOR TWOにいる「仲間」だ
だから私は,新しいSTUDY FOR TWOにこの「仲間」を駆動させる.
理念から生まれる不合理なモチベーションには見切りをつけて
「仲間」さらに正確に言うならば「場」をモチベーションにする組織に生まれ変わる.
いうなれば,STUDY FOR TWOとはただの入れ物にすぎなくなる.
STUDY FOR TWOという人が集まる場を作り,その場の中で交流していく結果,変化を生み出す組織を目指す.
今のメンバーはあまりにも今のシステムにへばりついている,
STUDY FOR TWO=教科書販売という固定概念にとらわれすぎている.
STUDY FOR TWOの理念はなんだ?教科書販売を行うことか.
違うではないか.私たちの目指すべき世界は
勉強したいと願うすべての子どもたちが勉強できる世界だ.
それなのにいつまでもSTUDY FOR TWOの活動と教科書販売しか結びつかないのならいっそ,
STUDY FOR TWOを機能の持たないたまり場にすることが必要なのではないか.
STUDY FOR TWOはこの世界を目指す人のたまり場になればいい.
きっとそんな人のたまり場であれば,固定概念から解放された人のたまり場であれば,
理念の達成のための新しいアイデアを創出するような話し合いがあるかもしれない.
例えば,すべての子どもたちは途上国の子どもたちだけじゃなくて,日本もそうなんだから
熟に行けない子どもたち,家庭の環境で家で勉強でき異小中学生向けのコワーキングスペースを作ろうなんてアイデアが出てくるかもしてない.
私は,STUDY FOR TWOという名前と,理念だけを残してそれ以外をすべて捨てたい.
そして空っぽになった器の中で人が集まり,集まった人たちの摩擦熱によって駆動するような団体になってほしい.
今私が北部でやっていることはそれにつながる.
北部レベルで考えれば,今やっていることは北部のメンバーへの還元にすぎない.
しかし,より大局的に見れば,今の私の活動は,STUDY FOR TWOを居場所にする活動だ.
地区という枠を用いて,STUDY FOR TWO=教科書販売から,STUDY FOR TWO=居場所になるような施策をしている.
そして,そこから全国に染み出る北部の居場所としてのつながり,
教科書販売からは考えられないようなTem Projectを全国に発信していくことで,全国を思いっきり変えることができないような自分でも,種を植えることができる活動をしている.
私はSTUDY FOR TWOが好きだ.
あなたはSTUDY FOR TWOを好きであろうか.