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22歳の主張

21歳を修了し、12月15日をもって22歳になった。

22歳。
ついに22歳?まだ22歳?
やっと22歳?もう22歳?
など、特別何か思うことがあるかと聞かれたら、正直ない。
お、22歳だ。みたいな感じ。

22歳。
この文章には書ききれないくらいの学生生活の思い出に浸る一方、
いよいよ学生生活に終わりが見えてきて、これから先どんな生き方をしていこうか、どうやって収入を得ようか、どんな人と関わっていこうか、など将来について考える時間が増えた。

今回は、最近考えたことのうちの1つでもある
「人との関わり」について書こうと思う。

僕は、「人との関わり」は重要視している。
そして大切にするし、したい。
それは、身近な友達、微妙な関係の友達、先輩後輩はもちろん、恋人もだ。
様々な出会い方をした人々、さらにはSNSのフォロワーまでも。

「人との関わり」は、時には偉大な力になったり、時には自分を新しい環境へ導いてくれたりする。
その反面、時には間違った方向への誘惑や、自分の気持ちが沈んでしまったり、反省したりすることもある。

22歳。
人生経験こそ少ないが、「人との関わり」で1つ書きたいことがある。

それは、
何年続くかわからない人生だが、人生を長い目で見た時、関わることができた人は貴重であり財産だということだ。

「友達」関しては特にそう思う。

小学校や中学校の友達、“飲み友”や“よっ友”、バイト先の友達など。また、恋人、別れた恋人、交際関係に発展しなかった関係など様々あるが、すべて含んで「友達」とする。

これらはどんなに仲が良くても、いい関係性であったとしても、環境の変化で会う時間が減ったり、疎遠になったり。小さなきっかけで関係が悪くなることもある。

「友達」は、例え関係性が良くない方向に進んでしまっても、
人生という長い時間の一時期を共に過ごしたこと。互いの人生という物語の一部をシェアしたという事実】が素晴らしいと思う。
それがほんの一瞬であったとしても。

人生は、、。
人との関わりは、、。
んー、うまくまとめられない。

ようは、「友達」は結果的な関係性どうこうじゃなくて、お互いの人生で、同じ時間を少しでもシェアできたなら、それは素晴らしくない?ってことだ。

同性、異性、近い、遠い、年上、年下、恋愛感情のありなし、などを含むすべての人をまとめて「友達」とするが、その人と過ごした時間に感謝したい。
その人とうまく行かないことがあったとしても、その人とシェアした時間はかけがえのない時間だ。

うまくまとめられていないことも含めて、
まだまだ未熟な!
22歳の主張とする!









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