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パレスチナ 1日目(前半)  ヨルダンから陸路でイスラエル入国

*数年前のiPhoneの日記を参考に編集しています。無駄な情報もあり必要以上に長いです。事実誤認している部分、現在は状況が変化している部分もあるかと思いますので、旅行の際は最新の情報を別途お調べ頂くのが良いかと思います。
*通常は引用に使うグレーの背景の部分を、この日記では補足情報として使用しています。

ヨルダン現地時間の2時か3時に空港に着いた。
そういえば飛行機はガラガラだった。自分が座るはずの席には何故かおばあさんが座っていた。その後ろの列には誰もいなかったので、CAさんに確認したところ好きに座っていいとの事だった。全部で25列程あったが、どの列も両端にそれぞれ1人ずつしかいなかった。

小さな飛行機ということもあってか、信じられないくらい揺れた。泣きそうだった。ご飯は運ばれてきたが、あまりに飛行機が揺れるので、ジュースは結局最後まで運ばれてこなかった。

*このときはモロッコ旅行の後、一度アブダビに行き、そこで飛行機を乗り換えてからヨルダンに向っている。たしかエティハド航空だったと思う。

ご飯はクスクスだった。食べている途中でも構わず揺れるので、食べたとたんそれがすぐ口から出そうだった。あまりに揺れるので万が一の事も考えた。揺れのせいで食欲もなかったが、デザートとして配られたチョコレートスティックを握りしめ、死ぬ前にこれだけは食べて、これを最後の晩餐にしようと決めた。

結局揺れは収まる事なく、頑張ってご飯を食べて、チョコレートも食べた。

揺れはあったが、レッチリの新しいアルバムを聴いていたので、妙に心は落ち着いていた。初めて聴いたがそのアルバムはなかなか良かった。

いつの間にか寝ていて、ご飯も片付けられていた。結局飲み物は何も飲むことなく、ヨルダンに無事着いていた。

ヨルダンの空港は想像していたよりもかなり綺麗で驚いた。バックパックも無事受け取って空港の出口付近のベンチで休憩した。取り敢えずATMで、50ヨルダンディーナルを引き下ろす。なかなか眠れなくて、スタバに入ってコーヒーを飲んだが、そのせいでさらに眠れなかった。

お腹が空いている中にコーヒーを入れたせいか、気持ち悪くなって、嫌な時間を過ごした。このまま今日、ヨルダンからパレスチナまで移動するんだぞ大丈夫かこんな体調で、、、と思いながら耐えていた。

ついに朝の6時くらいになったので、お腹も空いたことだし、空港のスタバでサンドイッチと水を買った。その後、7時半くらいまで寝て、、そろそろパレスチナに向かうかと心を決めた。なんせ、キングフセイン橋が8時からオープンと聞いていたのでね。

*この時、ヨルダン空港からキングフセイン橋(イスラエルとヨルダンの国境)に向かうことを計画している。そこはイスラエルとヨルダンの国境ではあるものの、キングフセイン橋のイスラエル入国ゲートを抜ければそこからバスですぐにパレスチナに入ることができる。ヨルダン→イスラエル入国ゲート→パレスチナという道のりだ。イスラエル国の中にパレスチナ地区があるといったイメージが分かりやすい。

*なおこの「キングフセイン橋」という呼び名はヨルダン、パレスチナの呼び方で、イスラエルは「アレンビー橋」と呼ぶ。

*ヨルダンのQueen Alia国際空港からキングフセイン橋までの道は次の通り。

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空港を出てすぐのところにタクシー乗り場がある。ブースで行きたいところを言うと、紙に値段を書かれ、「これで良いか?」と聞かれる。固定相場なのかキングフセイン橋と言ったところすぐに紙に31と書いてくれた。なかなか高級そうなタクシーに乗って出発。ちなみに1ディーナルは160円で、かなり高いのである。でもアンマン市内までは25ディナールと聞いていたので、まぁそんなものかと思った。

*この日記の中の為替は、2017年1月頃の為替レートである。

タクシーがかなりいい車であったから、ヨルダンの最初の印象はよかった。道もかなり広々としていて、見渡す限り緑の平野が広がっていて遠くにアンマンと思われる街があった。

道中、イスラエルに入国できるかどうかだけが心配で、特に運転手と話をする余裕は無かった。入国ゲートの質問で職業を聞かれて、学生だと言う話になった時、学部を聞かれたらどうしようとだけ考えていた。正直にアラビア語というべきか、それとも国際関係というか。正直、国際関係はなにを勉強しているの?と聞かれたら、うまく答えられない。じゃあ言語学にしようかなとか考えた。どう答えるか色々迷ったが、結局いい案は思い浮かばなかった。

*当時、私はアラビア語を専攻する大学生であった。またこの時はカタールに留学しており、留学中の休暇を利用して中東諸国を旅していた。
イスラエルの入国審査の際、パスポートにアラブ諸国のスタンプがあると印象が悪い。また入国審査でイスラエルに入国後、パレスチナ地区に入ることを言うのもあまり良くない。その上、アラビア語を話せることがバレてしまうと更にバツが悪い。最悪の場合、入国拒否となる。入国拒否のスタンプをパスポートに押されてしまうと、パスポートを更新するまで2度とイスラエルに入国できなくなる(ここには書けない裏技はあるようだが)。イスラエルに入国できないということはパレスチナにも行けないということだ。折角、日程を確保してここまで来たのに引き返すわけにはいかないのである。よってあらゆる質問が来ても即座に対応できるよう、やたらと細かいシミュレーションを行っている。

「見ろ、あれがパレスチナの山だ」と運転手が突然言う。広大な山々の連なりが地平線にズラッと見えた。意外と近いなぁと思いながら、眺めていた。

いよいよキングフセイン橋に到着した。橋とは言うが、川は近くになさそうだ。どこが橋なんだろうと思った。

タクシー運転手に「入り口は2つある。普通の入口とVIP用、どっちだ?」と言われ、「たぶん普通のだ」と言って連れて行ってもらった。

かなりボロい感じの建物で、早朝なのに沢山の人がいた。パレスチナ人だろうか。50人以上はいた。

僕もパレスチナ人と同じように並んでいた。何やらお金を払うところだった。出国料かな? やばい。ヨルダンディーナルもうほとんど残ってないぞ。でもなんか聞いていた出国料と値段が違うな。というか僕はヨルダン入国24時間以内だから出国料はいらないはずなんだよな。うまく説明できるかなぁ、と思ってたら、何故か僕は観光客だから列から外され、建物の中に誘導された。

*当時2017年に得ていた情報ではヨルダンに入国してから24時間以内の出国は出国料はかからないということだった。

*なお国境付近で写真をパシャパシャとって問題を起こしたくなかったので、このあたりの写真は全くない。Google MapでKing Hussein Border Crossing やAllenby Brigeを検索するとそこの写真が見れる。

荷物チェックを受けて、中に入ると、これまた汚いボロい建物の中で、ほんとにここから出国できるのかと言う感じ。何処に並べばいいかわからなくて、パレスチナ人が並んでいる列を指差して、ここか?と聞いたら違うと言われて、別の外国人用の所へ連れていかれた。インド人家族がいた。なんでインド人がいるんだろう。わざわざ家族で観光か?後でわかったことだが、外交官だった。(イスラエル入国の時にディプロマットのゲートにいた。)

外国人用の受付では、紙に名前、国籍、はパスポート番号を書いて、パスポートと一緒に渡した。パスポートは返されない。後でバスで返してくれるようだ。この受付でも出国料については言われなかった。おそらく24時間以内だからだろう。

バスも外国人専用のバスで、パレスチナ人とは別のバスだ。隣にアメリカパスポートを持った人がいて、あとは中国人と思われる方々も多かった。

バスの中で、バス代とカバン代、合わせて8.5ディナールを払う。パスポートを返却されバスは出発。

道中、『シリアの花嫁』という映画で見た場面によく似た風景を見かけた。映画は確かゴラン高原のイスラエル国境であったと思うので場所は違うが、イスラエルの国境はやはりこんな感じなんだ。

10分ほど進むと橋があった。浅い谷だが、谷に橋がかかっている。バスから谷底の川は見えなかったが、なるほど確かにこれは橋だと思った。

*出国手続きの建物からバスでキングフセイン橋(アレンビー橋)に向かう。その橋はヨルダン川を跨いでいる。このヨルダン川を挟んで、東側がヨルダン、西側がイスラエル(パレスチナ西岸地区)となっている。

スクリーンショット 2021-02-24 午後2.29.01

イスラエル入国ゲートに到着するまで何度かバスは止まった。検問所のような所でだ。その度にドキドキした。バスの下の荷物などを爆弾探知機みたいなので検査していた。

最終的にバスを降ろされたところでは、本当にここイスラエル入国ゲートか?と思うような小さな建物だった。

入ると、第一の受付がある。ノースタンプといちいちいう必要もなく、別の入国カードが用意されるはずだと聞いていたが、もうその制度が無くなっていたらどうしよう。どのタイミングでノースタンプって言うんだろう。あまり言い過ぎても怪しいよな。別の入国カードが用意される仕組なのにいちいち言うのも怪しまれるよなぁなどと思いながら、順番に並ぶ。

*イスラエルの入国拒否のスタンプの話は上でしたが、一方で入国許可スタンプをパスポートに押されてもきまりが悪い。というのもイスラエルの入国スタンプがあると、今度はアラブ諸国へ旅行に行く際に入国拒否される場合があるからだ。(一部アラブ諸国に限る。問題ない国もある。)
よって、入国許可が出た場合はノースタンプと言って、スタンプをパスポートではなく別の紙に押してもらうのが通例であった。しかし当時2017年の時点では、入国の際にそもそもスタンプはなく、別途入国カードが発行されるとい風に聞いていた。

そこでは1人ずつ簡単な質問を受ける。僕は、1人かどうか、入国目的、滞在日数、行く場所を聞かれた。そのあとパスポートの裏に黄色いシールを貼られ、1-4の番号と4つのヘブライ文字の1つに丸をされる。僕は3と"X"に丸をされた。「要注意人物」みたいなものに丸をされていたらどうしようと思いながら先に進んだ。

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次は身体、荷物チェックである。
僕の前のさっきのインド人家族が並んでいたが、金属探知ゲートの先で入国者に指示を出すイスラエル兵のあまりの威圧さに、その1人の子供が泣いてしまっていた。しかも子供はその兵士に怖がってなかなか金属探知ゲートを潜ろうとしない。その事にぶちギレたそのイスラエル兵が怒鳴り、さらに子供は泣き喚く。兵士はその子供の親にしっかり押さえつけるように指示し、親に担がれながら、その子供はゲートを潜った。

それを後ろで見ていた僕もビビリながら、隣のテーブルに財布とケータイを置いてゲートを潜る。探知機がピーとなる。もう一回くぐれの指示。何も持ってないよとアピールして上着を脱ごうとすると、向かい側の兵士はその動作にかなり焦っていた。確か銃を出す動作に誤解されてもおかしくない。向こうも命がけだと思った。

その後、ベルトを外せと指示をされたようだが、僕はよく理解せず、そのイスラエル兵がズボンの股の部分をジェスチャーで示すもんだから、あぁズボンの股にも何も入ってないよと言って、股間の周りを揉み揉みする。叩いたりもした。何度かそのやりとりをした後、ようやくベルトを外せと言う意味だと理解して、後ろで順番を待っていた人もベルトを外せと教えてくれた。ベルトを外してもう一度通る。ブザーは鳴らなかった。

財布ケータイ、パスポート、持ち物を全てよこせと言われる。渡す。向こうはまるでそれが全て爆弾であるかのように、慎重に確認する。超危険物であるかのようにニット帽を慎重につまんで、中に何かあるんじゃないかとかなりビビっていた。

あそこの椅子で座って待てと指示をされる。
第一の受付よりも入り口近くにあるイスで座る。第一の受付に並んでる人たちが、この人は何をしでかしたんだろうといった視線でこちらを見る。

何分か待った後、別の人に呼ばれて、別室に連れていかれる。銃、ナイフを持っているか?と聞かれる。いや持ってないよ。と答える。ポケットから全てを出すように言われて、金属探知機で慎重に体全体を撫で回される。財布をポケットからだすのを忘れていて、金属探知機が反応して、全て出せと言っただろ!と強めに言われる。一体なんで僕は出すのを忘れたんだろう。

そのあとは何事もなく、危険でない事が証明され、最後の受付へ。ここで、昔はノースタンププリーズって言ったんだろうなぁと思いながら、今はもう言わなくていいんだよなぁ?と不安になりながら前の人を観察する。どうらや別のカードをもらってるようなので言う必要はなさそうだ。

受付の女性は1人で全ての入国者を捌いていた。
並んでる間に、何人か別室送りになった。1人はバスで隣だったアメリカ人。何か紙を渡されたみたいで、何かを書いていた。もう1人はおばあちゃん。全然安全そうだけどなぁ。何が原因だったんだ、おばあちゃん。

僕の番になった。第一の受付と同じように、1人かどうか、入国目的、滞在日数、行く場所、ホテル名を聞かれた。目的は観光。2週間。テルアビブとエルサレム。エルサレムのチェーンゲートホステル。パレスチナに行くことはもちろん言わない。

*チェーンゲートホステルもこの時点で特に予約はしていない。パレスチナに行く場合であっても、テルアビブやエルサレムのホテル名はすぐに言えるように確認しておいた方がスムースである。アブラハムホステルというのも候補として用意していたが、前のアメリカ人がそれを言っていたので一応変えた。

その後、イスラエルの後はどこへ行くか聞かれた。ヨルダンに戻ると言った。その後は?と聞かれ、カタールに戻ると言った。カタールに住んでるの?と聞かれて、実はカタール大学の生徒なんだと言う。学部を聞かれたらどうしようという緊張。しかし、何事もなく、いつカタールに戻るのと聞かれて2月9日だと言ったら、来月ねと言って、紙になんか書いてた。次へどうぞ。と言われ、そこで質問は終わった。パスポートと入国カードを渡された。

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エジプト1ヶ月の滞在やモロッコ2週間については何も聞かれず、カタールに関してもなにも聞かれなかった。まだヨルダン入国の方が厳しかったくらいだ。ヨルダン入国の際には、パスポートの写真と顔が違うと言われて別室に連れられ、かなりもめた。最終的に色んな写真を見せて納得してもらえたが。

その後、すぐ建物の外に出ることが可能だ。バスがたくさん停まっている。
取りあえず、もう一度中に入って、ATMがあるか尋ねた。無いと言われたが、銀行があるらしく、ここよと案内された。尋ねた人も、銀行の受付の人も皆軍服を着た若そうなイスラエルの女性兵士で、噂通りイスラエル兵士は美人だった。

500シュケルをこのカードで引き下ろしたいというと、20シュケルが手数料だがいいか?と聞かれ、結局480シュケルを手渡された。なお1シュケル30円くらいなので600円の手数料だ、、、。

イスラエルに入国した。さぁ早速、パレスチナのジェリコ(アリーハー)へ向かおう。

1日目後半へ続く。

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