GROKに聞いてみた 江川卓が高卒で阪急に入っていたら何勝出来た?

江川卓が高卒で阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)に入団していた場合、何勝できたかについて考えてみましょう。これは仮定の話であり、具体的な数字を確定するのは難しいですが、江川の才能と阪急のチーム状況を基に推測してみます。

### 江川卓の実力
江川は高校時代に驚異的な成績を残した投手として知られています。例えば、公式戦でノーヒットノーランを9回、完全試合を2回達成し、36イニング連続無安打無失点という記録を打ち立てています。その後、実際には大学(法政大学)に進学し、東京六大学リーグで通算47勝を挙げ、史上2位の記録を残しました。プロ入りは巨人となり、9年間のキャリアで135勝を記録。1981年には20勝を挙げ、投手5冠(最多勝、最優秀防御率、最高勝率、最多奪三振、最多完封)を獲得するなど、エースとして活躍しました。

もし高卒でプロ入りしていれば、大学時代の4年間をプロの場で過ごすことになり、キャリアが長くなった分だけ勝利数を積み上げるチャンスが増えたと考えられます。

### 阪急ブレーブスのチーム力
阪急ブレーブスは1970年代から1980年代にかけて、パシフィック・リーグで強豪チームとして名を馳せていました。特に1970年代には上田利治監督のもとで日本一を達成し、1980年代も競争力のあるチームでした。もし江川がこのチームに加わっていたら、彼の能力がチームの勝利に大きく貢献した可能性があります。阪急には強力な打線や守備陣が揃っており、エース級の投手である江川を支える環境が整っていたでしょう。

### 勝利数の推測
実際の江川は巨人での9年間で135勝を挙げましたが、これは肩の怪我による影響や1980年代後半の成績下降も考慮した結果です。高卒でプロ入りしていれば、以下のような点を考慮できます:

- **キャリアの長期化**: 大学4年間をスキップして18歳からプロで投げ始めれば、キャリアが約13~15年程度になる可能性があります。
- **若いうちからの成長**: プロのトレーニングを早くから受け、技術や体力面での成長が加速したかもしれません。
- **怪我のリスク**: 実際には肩の怪我に悩まされましたが、若いうちからプロの管理下で調整できれば、怪我のリスクを軽減できた可能性もあります。

江川は巨人で平均すると年間約15勝を挙げており、ピーク時には20勝を記録しています。阪急でも同様のパフォーマンスを発揮できたと仮定すると、13~15年のキャリアで年間15勝を維持できれば、**195~225勝**が現実的な範囲となります。特に好調な年が多ければ、**200勝以上**も十分に可能だったでしょう。

### 不確定要素
ただし、プロ野球では勝利数に影響する要因が多くあります:
- チームの勝敗状況(援護点の有無)
- 怪我やコンディション
- 対戦相手やリーグ全体のレベル

これらを考慮すると、具体的な数字を確定するのは困難です。それでも、江川のずば抜けた才能と阪急の強豪チームとしての基盤を考えると、200勝を超えることは夢物語ではないと言えます。

### 結論
江川卓が高卒で阪急に入団していた場合、彼の能力とチーム力を最大限に活かせば、**200勝以上を挙げることも可能だった**と予想されます。現実には大学進学を選び、巨人でのキャリアを築いた彼ですが、高卒プロ入りという道を選んでいたら、さらに長い期間で勝利を積み重ね、伝説的な記録を残したかもしれません。

引用終わり

私は高校野球でドラフトに掛かる実力の選手が大学野球に行く意味を一切見出していないので、江川が阪急にドラ1指名を蹴って法政大学に進んだ事を余り好意的に捉えていない。結局肩を痛めて選手生命を縮めているので本当に勿体なかった。
1980年代のパリーグの勢力図は阪急を中心に築かれただろうし、阪急とカープの日本シリーズがもっと多く対戦されたのかなと思っている。

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