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さらばルームシェア

どうも舎弟のならたです。
もうすっかり寒くなってきましたね。もう年末です。1年はあっという間ですね。
そんな中、僕は2年住んだ家の引っ越しもありまして、余計に時間の経過を感じております。


僕が住んでいた家というのが、所謂、芸人のルームシェアで、通称「キモシェアハウス」と呼ばれておりました。あくまで、他人からの蔑称で、自分たちから名乗りはじめたわけではありません。


メンバーがガクヅケ木田さん、サスペンダーズ古川さん、春とヒコーキぐんぴぃさん、レンタルぶさいくこと篠原さんと僕です。


この5人で始めたルームシェア、気がつけば2年経っておりまして、部屋の更新の時期になり、僕とぐんぴぃさんと篠原さんがこの家から出ることになりました。


このルームシェアは、そもそも、皆それぞれの"キモ"を抱えたメンバーがライブで集まった時に一体感が生まれ、その勢いで住みはじめたのですが、やはりキモい同士が集まると、様々な問題や軋轢が生じ、結局2年で解散ということになったわけです。



僕が出て行く1番の理由は、「ルームシェアってやっぱりダルいなぁ」と思ったからです。


芸人ルームシェアへの憧れと面白い先輩と住んだら楽しそうだなという軽はずみな気持ちで、僕はルームシェアに参加しました。

たしかに、楽しい瞬間はたくさんありましたし、バキバキ童貞でバズったぐんぴぃさん、レンタルぶさいくでバズった篠原さんのおかげでABEMA TVの番組にも5人揃って出させてもらいました。

色々な先輩とも出会うことが出来ました。目まぐるしく、刺激的な毎日を過ごすことが出来ましたが、生活環境としては、やはりダルいことの連続でした。  



住みはじめた当時、僕はリビングに布団を置いて、リビング生活を送っていました。5人で3LDKに住むのでそうなるのも仕方ないのと僕が割とどこでも寝れるタイプなのでそんなに抵抗もなく、リビング生活を受け入れました。


ルームシェア生活がはじまってみると、毎晩のようにお酒を一緒に飲んだり、騒いだりして想像していた楽しいルームシェア生活でした。


しかし、その生活が続くと1番割を食うのはリビングにいる僕でした。 


言ってしまえば、常に誰かが横で騒いでたりするので、はじめこそ楽しかったのですが、それが毎晩続くとストレスになっていき、極め付けは、深夜から朝方にかけての篠原さんのウイイレ(サッカーのゲーム)でした。

僕はいつ終わるかわからないウイイレのBGMを永遠に聴かされる所為で、睡眠を奪われていきました。


そして、ルームシェア生活がはじまり3ヶ月くらい経過した頃に、コロナウイルスの世界的な流行がはじまり、基本、全員家にいるという生活がはじまりました。


僕は、バイトの職業柄、全て休みになったのですが、給料補償はあったので、働かずに生活することが出来ました。


この時期に関しては、予定もくそもなかったので、みんなでリビングで騒ごうが篠原さんがウイイレをやろうが関係なく、ストレスなく気ままに過ごせましたし、みんなでマリオカートをやりまくって遊べたのは、ルームシェアをやってて良かったと思った瞬間でした。


夏になり、僕が寝てるリビングにはクーラーがなく、このまま夏を過ごしたら死んでしまうと思い、古川さんの部屋に移り住むことになりました。

ルームシェアをはじめる際に、断固として1人部屋を譲らなかった古川さんが、僕を引き受けてくれたのです。古川さんと住んでる中で唯一、優しさを感じた場面だったかもしれません。


リビングの呪縛から解放されたのも束の間、古川さんと一緒の部屋で寝ることによって、人にあまり心を開かない古川さんが僕にいたずらを仕掛けてくるようになりました。

寝ている僕に自分の靴下を嗅がせるといった、兄弟間で行うような小さなイタズラを連日するようになったのです。それがまた新たなストレスを生み出していきました。


そんなルームシェア生活を過ごしていく中、僕に彼女が出来ました。

それによって、彼女の家に僕は通うようになり、家に帰らない日が増えていきました。そして、いつしかルームシェアの家に帰りたくないと思うようにもなりました。


それは彼女が出来たことによって、僕の自我が芽生えたのだと思います。

今まであまり自我を持っていなかった僕は、この無茶苦茶なルームシェアの生活に少なからずストレスは感じてはいたものの、そこまで抵抗を感じていなかったのです。

それが自我が芽生えたことにより、5人のキモでの共同生活に拒否反応を起こしてしまうようになったのです。


そこからは、帰ったり帰らなかったりといった生活を過ごし、気がついたら、部屋の更新まであと半年となっていました。

そこで、5人で集まり、部屋の更新をどうするかの話し合いになったのです。

まず、住み続けるか、出て行くかの2択で各々の意見を言うことになり、僕は出て行く旨を伝えました。

そしたら、篠原さん、ぐんぴぃさんも出て行く意向を示し、割とあっさりと解散が決まったわけです。


それから、出て行くまでのカウントダウンがはじまりました。はじめは、出て行ける解放感があったのですが、出て行く日にちが近づくにつれ寂しい気持ちの方が大きいことに気づきました。


散々、ダルかっただのなんだの不満みたいなことを述べてきましたが、やはり寂しいのです。


木田さんと夜散歩に行ったり、篠原さんが夜な夜なゲームをやっていたり、古川さんが僕の寝ている横でもやしを炒めていたり、ぐんぴぃさんがラーメン二郎を食べて臭くして帰ってきたりと今まで日常にあったことが全てなくなってしまうと思うと、寂しい気持ちでいっぱいになりました。


そして、とうとう終わりを迎えました。


最後に『キモシェアハウス最終章』というライブを開催しました。おかげさまでたくさんのお客さんにお越し頂きました。


ライブの序盤は、皆僕と同じように寂しい気持ちが勝ってしまい、割と穏やかにライブが進んでいきましたが、気が付いたら皆で喧嘩をしていました。
そしてライブは、最悪な形で幕を閉じました。


ライブをやったことで後腐れなく、皆別れることが出来ました。



キモシェアハウスは解散しました。
僕はキモシェアハウスの一員という肩書きはなくなったので、しっかり舎弟ならたとして認知されるように頑張っていきます。

またいつか、良い形で5人で集まれたらと思います。

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