人生初の留年

為せば成る為さねば成らぬ何事も
為さぬは人の成らぬなりけり

こんな格言がある。上杉鷹山が世に残したとされる言葉があり、我が父の座右の銘でもある。
僕は大学に入ってから何も為していない。

小学生のとき、僕は出来が良い方だった。テストは90点を下回ったことがなかったし、中学受験は100点満点中合格点を約30点上回り、割と良い方の中高一貫校に入学した。その後も部活動では中学の時に東日本3位、高校時に全国8位の好成績で、進んだ大学も親戚がそれなりに自慢できるくらいだと思う。
でもこの18年間、自慢でも皮肉でもなんでもなく本当に努力をしてこなかった。
部活は好きだったから人より長い時間、家に帰ってからも土日もそれに向き合うことができたから時間かけた分上手くいっただけで、そしてなにより他の人よりセンスがあったのだと思う。でも地味な練習は嫌いで実戦形式ばかりやっていたので地道な努力をしていた奴には勝てなかった。
勉強も中高それなりにできる方ではあったが、得意教科は小学校の頃から地続きの内容である国語と数学だけである。地味なことは嫌いだから暗記は後回しで世界史に苦しめられたし、中学校から始まる英語は最初から最後まで苦手科目だった。
好きなこと、成功体験があったことに対してしか努力できない、時間をかけられない悪癖を18年間通して作ってしまったのだ。
大学でも部活動を続けたが2回生になった瞬間辞めてしまった。どんな競技でも大学の部活動はレベルが高い。「好きだから」「センスがあるから」で勝てるレベルではなくて面白くなくなって逃げてしまった。「好きでセンスがあって努力してる人」が勝つ世界で、中高のガキの大会で全国8位とか東日本3位とかはスタートラインレベルで、なにより僕の出場する地域は様々な世代の全国1位が集まる全国トップレベルの大学がある。
勝つことのほうが多かった部活動で、負けることの方が多くなってしまった。抜けて当たり前だった予選で自分の名前が消えることばかりになってしまった。段々、悔しいよりつまらないという気持ちのほうが大きくなっていき、僕は逃げた。
そしてタイトルに人生初の留年と書いてあるほどに、僕は大量の落単をしている。
授業に行けないのだ。なぜ行けないのか、面倒だからだ。僕は好きなこと、成功体験があったことに対してしか努力できない、時間をかけられない悪癖を18年間通して作ってしまったのだ。大学の授業にこれっぽっちも興味が無いのだ。誰もが当たり前に踏み出せる1歩が、踏み出せなくなってしまった。ただどうしようもなく怠惰なのだ。

普通の人からしたら意味が分からないと思う。僕は割となんでも人並みくらいにはできる方だと思うし、友達もいる。未だに中高の友達と電話したりゲームしたりするし、大学にも飯や麻雀、ライブや旅行に誘ってくれる友達がいる。それなのに、なんで授業に行き課題を提出する、こんな簡単なことができないのか。自分でもよく分からない。
最近風邪にかかった。(ご自慢の怠惰で)病院に行かなかったせいで2週間ほど長引いた。ものすごく辛かった、〇ぬかと思った。でも〇ねたら楽だなと人生で初めて考えてしまった。この先まともな人生を歩める気がしないから、今〇んだら親も悲しんでくれるだろうなと思った。留年したら親も友達も自分に失望するだろう、留年したらまともに就職できないだろう、そうなる前に〇ねたらどんなに良いだろうかと思ってしまった。

そこまで考えても、僕は面倒な1歩を踏み出してほんの少し頑張るということをしようと考えられない。まあ、こういう奴はこういう奴らしい生き方があるんじゃないかと、とんでもない馬鹿の楽観視をして毎日を無駄にしている。
年が明けるまでには免許くらい取ろうかな。

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