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【ショート小説】りんごが好きな君へ


 「何もない、か」
  葵とは一か月ぶりに会えるのに、冷蔵庫を見れば気の利いたものが何も入っていなかった。
 時計を見れば短針は十一時を指そうとしている。
 葵が来るのは今から二時間後。彼女の笑顔が自然と目に浮かんだ。
 「そうだ、今のうちにあいつが好きなものを買ってきてやろうか」
 そう思うや否や、手は既にエコバッグを掴んでいた。 
 マンションを出て駅前のスーパーへと向かう。
 目的地の看板が目に見えたところで、目玉商品のポップが目に入った。
 ——りんご
 フルーツの中で葵が一番好きな赤い果実。りんごを頬張る葵の顔が自然と脳裏に映し出される。
 パスタやワイン、明日の朝食のパンなど買い足すうちに、すぐに買い物カゴはいっぱいになってしまった。
   会計を済ませ、エコバッグに買った商品を入れながら、改めてその多さに苦笑した。
 俺はいつも葵に弱い。ついつい、あいつの好きなものばかりを買い込んでしまう。
 時計を見れば昼の十二時を少し回ったところだった。店を出て帰路を急ぐ。
 家に着くや否や、早速アロマを焚いた。香りは、ヒノキを選んだ。自然の香りで葵にリラックスしてもらう為だ。夕飯の下ごしらえは後でいいとして。

——ピンポーン

 インターホンが部屋に鳴り響く。普段なら煩わしいだけの音が、今は軽快なリズムに聞こえるから不思議だ。
 ドアに向かい、ドアノブに手をかける。
 そしてゆっくりとドアを開けた。
 「久しぶり! 」
 「おう」
   「なに、『おう』って。そんなに私には興味がないのかな」
    「そんなことないよ。相変わらず、明美は元気だよな」
      部屋に促し、そっとドアを閉めた。
 はい、と明美の手から紙袋を受け取る。その中には小さな段ボール箱が入っていた。
 ゆっくりと箱を取り出し、慎重にガムテープを剥がす。
 中の梱包もゆっくりと取っていく。
 自分の手が、震えていた。
 そしてやっと会えた。

  ——葵に

 葵は、紺の制服に身を包んで、艶のある黒髪をカチューシャで止めていた。
 そのつぶらな瞳と久しぶりの再会。
 「もう、ネットで探すの大変だったんだから。超レアなんでしょ。報酬料ちょうだいよ」
   後ろ背に妹の声が聞こえたが、それを無視して、台所に向かった。
 さあ、りんごを切ろう。
 小さく、小さく。 
 もっと小さく。
 りんごが好きな君へ。

あとがき:
「りんごが好きな君へ」を最後まで読んで頂きましてありがとうございました。
見方によっては、歪んだ愛、純粋な愛、遊び心のある愛、いろいろですね。 

「あなたのイマジネーションこそ何にも勝る真実」

                  しゃろん;




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