没後5年 天才 西澤潤一を偲ぶ
早いもので、恩師 西澤潤一が92歳で他界してから5年が経つ。
今思えば、あと、10年長生きしてほしかった!
🔵 23歳の時、大発明のpinダイオードを発明した! 1951年だ!
----その頃は、パソコンもインターネットもなく、特許は、手書きだった!
----発明するには、その前に研究が必要だから、おそらく21歳の頃には、研究を始めていたに違いない!
----いかに、早熟かがわかる!
🔵 その後、ノーベル賞を超える大発明・発見を少なくても、52出している!
🔵 天才の定義などは、本文に譲るが、西澤潤一は、いまのエンジン(ガソリンエンジンなど)の熱効率についても触れている!
----半分以上を無駄に捨てていると何度も指摘している!
----これは、本当だ!
----いまのガソリンエンジンの熱効率は、41%程度だ!
🔵 西澤潤一は、いまの偏差値偏重教育に繰り返し警鐘を鳴らした!
----80000字以上を費やして著書の中で指摘している!
----これは、その通りだ!
----ワシが、40年以上をかけて検証した!
----その結果、東大の正しい偏差値は、
63.730〜70.492
であることを突き止めた!
🔵 西澤潤一は、絵画、陶器、音楽、哲学、著作、書画、高野長英研究、グラスゴー大学研究、東北の偉人研究、など極めて広い分野をカバーした!
🔵 弟子や後継者を育てた!
----一番の愛弟子は、スタンフォード大学教授などを務めたT.N.氏だ!
----彼は、スパコンのパイプライン方式の提案や量子コンピューターなどノーベル賞級の研究を行なっている
----ノーベル賞候補と言われる!
🔵 なお、ワシは、外様の弟子の一人だ!
----5470兆円の世界マーケットを有するシンラタービン(Shinla Turbine)の発明者だ!
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是非、以前書いたブログを読んでほしい!
(c)harbeman231020
Deep thinking yields imagination
ワシが尊敬してやまないある人物を紹介する----恩師 西澤 潤一だ!
これは、いまから約16年前に書いたものである。「です、ます調」になっている。
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きょうは、東北大学110年の長い歴史の中で、最も独創人間である人物を紹介します。
ハービマン独自の計算ですと、2000万人に一人です。ですから、いま生きている日本人では、たった6人しかいないという逸材です。いま流行りの偏差値にすると、
171.638です!
(なお、アインシュタインは、187.575です。)
世の中には、いわゆる秀才と呼ばれる“人種”がいます。高校時代を思い起こしてください。私が通いました高校も一応は進学校でした。同級生の70%は、旧七帝大、早・慶、東工大・一橋大に入りました。しかし、どうでしょう。多少できるなと思うのは、その5%くらいではないでしょうか?
ですから、秀才は、普通の高校生の1000人にひとりくらいかもしれません。
もう一つの指標を紹介します。
私が勤めていた大学で、あるとき、某T大学(東京にある旧帝大)のS教授を招いて学生に講義をお願いしました。講義が終了し、夕食をともにした折、たまたま学生の能力の話になりました。そこで、私が、「S先生、ご自身から見て、某T大には、世の中に出て使えそうだと思われる学生は何人にひとりですか」と訊ねました。すると、即座に「20人にひとりです」との答えが返ってきました。私は、正直驚きました。私の大学では50人にひとりくらいと思っていたからです。
これからすると、世の中で使える人間は、5000人にひとりくらいですね!
さきほどの、秀才群の5人にひとりというのが、私たちプロの評価とみていいかもしれません。
なお、このS教授とは、ある学会で知り合ったのです。私が、以前紹介しました、ある計算方法(BFM:Boundary Fixing Method)をその学会で発表しました。しかし、誰も関心がなく、質問もありませんでした。
ところが、そのセッションが終わった休憩時間に、S教授(その当時は助教授でした)が、やってきて「あなたの方法は素晴らしい」というのです。たったひとり、わかった奴がいたのでした。それが、後に某T大教授となったSさんでした。
さて、この辺の不毛なつまらない論議は、このくらいにして本題に入りましょう。
私が、きょうの主役の西澤 潤一(敬称略)を意識しだしたのは、1975年ころからです。
もう、そのころからマスコミ等にひっきりなしに登場し有名でした。
主な業績は、
■PINダイオード
■静電誘導トランジスタ
■静電誘導サイリスタ
■アバランシェフォトダイオード
■半導体レーザー
■発光ダイオード
■光ファイバー
■テラヘルツ波発生の提案
■テラヘルツ波による癌診断
(このほか、ノーベル賞を超える業績が、52あります。)
などです。(ただし、私は専門が違いますので正確には価値がわかりませんが・・・)
現在、NTTなどの光通信に使われている光ファイバーを含む光通信3要素の発明(いまインターネット・電話などに使われている光通信システム)やいま街でみかけるひときわ明るい交通信号機の赤と緑の発光ダイオードも彼の発明です。(なお、青は中村修二らの発明です)また、21世紀の直流大電力送電などの使われるSIサイリスタなども大発明でしょう。
そのため、“ミスター半導体“、あるいは、”光通信の父“、"独創の雄ら"などと呼ばれています。
おそらく、西澤の発明が実用化された商品だけでも、優に500兆円の世界マーケットを開拓したように思います。
それらの功績に対し、日本からは、文化勲章を受章しています。また、米国の電気・通信分野の世界わ最大の学会(IEEE)からエジソンメダルを受賞し、さらに2002年には、なんと、ニシザワメダル(Nishizawa Medal)が創設されています。
また、日本のノーベル賞候補として3年間国から推挙されています。ただ、未だ、ノーベル賞には輝いていません!(ハービマンのコメント:ノーベル賞には、工学はないのです。また、日本人は大抵日本語で論文を書く習慣があること、それに日本は宣伝が下手であるためノーベル賞受賞者が極端に少ないのです。)
まあ、ノーベル賞100個分くらいの価値があるでしょう!
因(ちな)みに、エジソンもテスラもノーベル賞にありついていません。
この3人は、ノーベル賞を遥かに凌駕(りょうが)した人物といえるのではないでしょうか? 上には上があるのです。
(追記) ノーベル賞については、毎年、ノーベル賞のシーズンになると、西澤潤一のライバルたちがスウェーデンに押しかけて西澤潤一だけにはノーベル賞をやるなと反対運動を繰り広げたという信頼できる情報が残っています。
日本のイジメ体質は、ノーベル賞にも顕れているのです。
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私は、この人物に異常な関心をもちました。
「なぜ、このような人物が生まれたのだろうか? 1100件も特許申請したのはなぜなのだろうか? それより一体どんな人物なのだろうか?」といった素朴な疑問からでした。ハービマンの好奇心を掻き立てる格好のターゲットでした。
それからは、徹底的な情報収集を行いました。
著書、解説・総説、新聞記事、テレビ出演記録、そのほか、ありとあらゆる情報です。違反歴・犯罪歴(もちろん、ありませんでしたが・・・)などもです。
その量たるや、2メートルくらいもあるでしょうか?
しかし、直接会う機会は長いことありませんでした。なにせ、雲の上のひとでしたから・・・
思わぬところから転機が訪れました。
私は、友人の紹介で、仙台にある料亭に通っていましたが、その料亭の女将(おかみ)とも懇意になり、偶然、私が西澤 潤一の研究家ということを話したのです。
ところが、その料亭には、当の西澤 潤一が以前から通っていたのでした。
女将は、あるとき、西澤に「ご存知でしたか、先生を研究している教授が工学部にいます」とばらしてしまったのです。
そして、ある学内の集まりのときに、挨拶にいって「Sでございます」と頭をさげましたら、「なんだお前か! 俺を研究しているという奴は!」と初めて、私を"認知"してくれたのです。嬉しい思いで一杯でした。やっとのことで、私を覚えてくれたのです。15年もかかったでしょうか。
それ以来、ときどき呼ばれるようになりました。
西澤が東北大学総長をしているときにも2回呼ばれました。
あるとき、秘書室から「総長がお呼びです」と電話がありました。夕刻5時にきなさいというので、5時に行くと、なんと40人くらいが行列をつくって待っているのです。世界的に有名でしたので人気も高く、面会するのは難しかったのです。
そして、愈々私の番がきました。「どんな用事なのだろう!」と不安一杯で総長室に入るといきなり、「どははー! おれはなぁ、いま直流送電で中国政府に招かれているんだ」と始まって、延々と30分ばかり講義です。こちらは、「さて何の用事で呼ばれたのだろう?」ともじもじしていると、また、世間話が続きます。40分ほどすると、秘書さんがきて、「次の来客がいます」と告げました。それで、追い出されるように部屋をあとにしました。
結局、なんで呼ばれたのか、いまでもわかりません。
いまでは、数々の栄誉を手にしている西澤ですが、若いときは、とんでもない苦労をしたといいます。
若いときから俊秀でしたから、世の中にない超独創技術を学会等に発表したのですが、例によって“イジメ”の日本社会の一面が登場します。
あるとき、石英ガラスで光ファイバーの原理となる論文を発表したときです。あるボス教授が、自分のメガネをはずして、西澤教授の助教授(当時)に「この眼鏡を通しただけでも、光はこれだけ暗くなる。ガラスを通して通信しようなんて、まったく具体性のない話だ」といったといいます。
でも、どうでしょう。いまでは、なんキロメートルどころか、日本中、世界中、西澤が発明したひかり通信のネットワークが出来上がっているのです。
ばかな教授はどこにでもいるのですね!
そんなこんなで、若いときは批判が集中して、指導教官の渡辺 寧教授(のちの静岡大学学長)は、西澤の論文を5年間も封印して発表させなかったといいます。
日本の学会は、また、保守的ですから、これほどの業績をあげた人物を会長にしないのです。最高は、電子通信学会副会長です。やはり、ばかな国(?)なのです。
でも、世界は、わかっているのでしょう! 現在は、国際工学アカデミーという世界組織の会長を務めています。
また、東京都知事の石原 慎太郎から請われて首都大学東京の学長です!
天才の定義など、もちろん、あるわけはないのですが、敢えて、ハービマン流の定義を許していただけるなら、天才とは、
「一世紀以上の時代を飛び越えて予知・予測能力がある人物」となりましょうか。 また、同時に、音楽、絵画、哲学、芸術、文化などに多彩な才能を示す人物です。ですから、秀才などの出現頻度ではなく、100万人あるいは、1000万人にひとりくらいでるか、でないかという人物です。
(追記)いまでは、天才の定義は、
①業績が100年後も遺る、
②10以上の分野で業績を遺す、
③専門以外の分野で異彩を放つ、音楽・絵画・芸術・美術・スポーツ・哲学・著作・環境活動など。
となっています。
では、西澤 潤一が天才か、どうか判断してみましょう!(本人に知れたら怒られますが・・・内緒にしておいてください)
まず、これまで発明した技術・製品ですが、これらが21世紀にどれくらい長く使われるかを探れば、時代を超越した業績かどうかがわかります。
たとえば、21世紀は、地球温暖化などの環境の世紀といわれています。
エネルギー変換効率を飛躍的に高めたり、電力消費を極限まで抑える技術・商品としては、発光ダイオード(LED)があります。信号機をみてください。まぶしいくらい明るいのがありますね!あれです! LEDは、照明にも使われだしましたから、あと50年くらいはもつかもしれません。
(追記)なお、信号機に使われているLEDの波長帯には、青は含まれていないのです。赤、緑、橙は、1960年代に、ホロニアク、クラフォードおよび西澤潤一により開発されたものです。
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それから、SIサイリスタです。これなどは、まさに21世紀の申し子でしょう! 直流送電や将来の主流である電気自動車などに欠かせないものです。これも、ひょっとすると、100年くらいは使われるのではと思います。
最後に、光ファイバーですが、これなど、まだ始まったばかりですから、電線が100年以上使われ続けているように、100年はもつでしょう!
そうしますと、天才の定義の最初の“一世紀以上に亘る予知・予測能力”に当て嵌(は)まります。
次は、天才の第2要件です。
「天才は、音楽、絵画、哲学、芸術、文化などに多彩な才能を示す」です。
西澤は、音楽、絵画、陶器、歴史、文化などに異常といえる、それもプロはだし(玄人はだし)の才能を示しています。
たとえば、絵画です。印象派のモネ(Claude Monet, 1840~1926)が大好きなようです。とくに「睡蓮(すいれん)」が好きで、エピソードがあります。
1971年、パリのモルマッタン美術館を訪ねたとき、モネの「すいれん」を見て驚いたようです。逆さまに飾ってあるのを発見したのです。帰りに名刺にその旨を書き受付嬢に渡したといいます。後日、このエピソードを「ル・モンド」紙が報道したといいます。
そのほか、セザンヌ、ルノワール、ルオー作品などにも造詣が深いことがわかります。NHKの日曜美術館には、なんども出演するくらいです。
絵だけではありません。音楽にも造詣がふかく、レコードも2000枚(22年前いまは何枚あるか知りません)以上あるというのです。
バッハのカンタータ4番と140番、あるいは、マタイ受難曲をよく聴くようです。その後、フランドル音楽といって、オランダとベルギーとフランスの国境あたり発祥の音楽に関心を示しています。
自分が発明したトランジスタを使って組み立てたステレオを聴けるのは、西澤とショックレー(William Bradford Shockley, 1910~1989: 米国の物理学者でバーディーン、ブラタンとトランジスタを発明ノーベル賞を受賞)だけだといっています。
また、陶器にも凝っています。
西澤は、1983年、半導体分野のノーベル賞といわれるジャック・モートン賞を日本人として始めて受賞しています。
また、文化勲章を1989年に受章しました。
その文化勲章を受章したときのエピソードがあります。
仙台の料亭の女将、総勢20人くらいが盛岡の大学(西澤が学長を務めていました)を訪ねてお祝いの花束を贈呈したというのですから、モテルのです。
これも天才の要件でしょうか?
西澤は、著書も多く、また多くの講演をこなすなど、時代の寵児として活躍しています。歴史上の人物にも詳しく、高野長英研究でも知られています。
その全貌をお伝えするには、このブログでは到底カバーできません。
興味のある読者は、たとえば、著書(Amazon.comで西澤と入力して検索してみてください)をご覧ください。
最後に、西澤 潤一の独創能力の9条件を示しておきます。
1.気力 2.体力
3.知力 4.独創力
5.集中力 6.決断力
7.指導力 8.夢、ロマン、理想、志
9.運
です。能力の中に、ロマンや運も入れるところが面白いですね!
頭には、「つよい頭」と「はやい頭」があると常日頃言っています。
つよい頭とは、多様な意見をよく練って体系化している頭のことで、一旦頭に入ると連想が働き忘れない頭だそうです。天才には、圧倒的にこのつよい頭の主が多いといいます。はやい頭は、いわゆる学校秀才タイプで、試験には強いがすぐ忘れるタイプといいます。
こうしてみてきますと、最初に挙げた、天才の二つの条件を、奇しくも満たしていると思いませんか!
そうです。 西澤 潤一は天才です。
ハービマンは、独創研究を遂行する上で、この人物から最も多大な影響を受けました。
81歳の西澤は、いまも超多忙な活躍を続けています。
お父上は、104歳まで長生きされたといいます。
西澤は、120歳まで生きるのではというひとがいました。
「これからもご指導ください! 人類のためそして地球のため長生きをされますように! ありがとうございました」
やはり、ひとの能力は無限大です。人間万歳!
PS: 西澤潤一は、2018年10月21日に他界された。92歳でした。
謹んでご冥福をお祈りします。
(c)harbeman231020
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(c)harbeman231020
Deep thinking yields imagination
PS(後日談):
たまたま、いま(2007年)上野の東京都美術館で「フィラデルフィア美術館展」が開かれていたので訪れ、西澤 潤一がこよなく愛しているモネの絵をみてきました。
とくに感動したという「エトルタの岩」を探しましたが、同じ題名の絵はありませんでしたが、エトルタを描いた絵はありました。
今回の展示では、モネの絵は、7点だけでしたが、なかでも、「アンティーブの朝」(1888年)と「ル・アーブルの港」(1874年)は、新しい発見でした。
また、アメリカ独立の中心地のフィラデルフィアだけあって、アメリカ人画家の絵もありました。
なかでも、メアリー・カサット(Mary Cassatt, 1844~1926)の
「アレグサンダー・カサットとその息子とロバート・カサットの肖像」という作品は、親子の愛情が感じられ感動ものでした。
ドロティア・タニング(Dorothea Tanning,1910~1936)のシュルレアリズム作品「誕生日」にも感銘を受けました。