悲しい思い出話・後悔
最近、私の中でどうしても許せないと思う出来事がありました。
何故そこまで憤慨したかというと
私の義理の叔母の人生が関わってくる???のです←語彙力orz
私の義理の叔母は4年前に49歳という若さで亡くなってしまいました。
12年間の闘病の末でした。
12年間の間に
子宮がん→脳梗塞(1回目)→乳がん(がん再発、全身に転移)→脳梗塞(2回目、3回目)
という、↑どれもこれも非常重い病気ばかりにかかってしまい、
最終的な死因は「がんの全身転移」でした。
↑最初?のがん発症→脳梗塞(1回目)あたりはまだ予後もそこまで酷くなく、
叔母とも家族・親族の集まりの時にも会い、
普通に接していました。
だけど、がん再発以降は坂を転がるようにみるみる予後も悪い状態に
最終的にはホスピス通いになってしまいました。
私は今でも後悔してるのは、
がん再発以降は、叔母とは一度も会えなかったこと。
私自身もちょっと前の日記で書いたように
自殺未遂を繰り返して…という大変な時期と重なってた
…というのは、今になってはもう「言い訳」にしかならないな、と。
見ていられなかった、話を聞くだけで辛すぎたんです。
親から叔母の病状を聞く度に。
大人になって、私自身も少し落ち着いた頃でも、自分のメンタルが一瞬グラっとブレるくらい。
お通夜・お葬式に行けたのは本当によかった。
最期の最期に叔母の姿を見れて本当によかった。
叔母のご両親が、叔母の骨を拾う姿は一生頭から離れません。
あんな光景、もう言葉が見つからない。
ただただ思い出す度に涙が出てしばらく止まらん。
私は自殺未遂を繰り返した頃から
「死」「死生観」というものに関してものすごく考えるようになりました。
だからこそ、叔母が生きてる間にもう一度会えばよかった、と尚更後悔しています。
「生きてる」って当たり前じゃないんだよなぁ。
それがどんな状況・状態であっても。
だからと言って「生き地獄」という言葉があるように、
命があるとはいえ、ここまで絶望的な状況・状態がずっと続くようやったら…と考えてしまうシーンも多々あります。
叔母のように。
でもね、
ただただその人の死を悲しむだけではなく
『その人が生きている間に何を残してくれたのか』
を一番考えるようになりました。
…なんだかまとまりの無い内容になってしまいました。