親権者と本人の間に入れるか?1
「神がかり」で精神病院隔離で入っていると、病院の先生以外に相談できる人間がいないことが辛かった。
もう20年も前の話で、いち体験談としても読者の一人にでも生きる勇気を与えられたらなと思います。
ー 24歳の時、アメリカ滞在中にシャーマンと出会い名前をもらった私。
日本の社会にはあまりに馴染みがないシャーマンという言葉は、両親からも先生からも拒絶を受けました。で、当時の私はもがき苦しんでいたわけですが当人がどう弁解しても聴く耳をもってはくれない訳で。
神がかりはみなさんも聞いたことが有るのではないでしょうか?現代日本においては見えにくくなっているだけで、ヒトという生物群として当然起きるべきものでして、心の風邪症状とは一線を画しています。
私は3度精神病院隔離に入りましたが、それぞれで症状が違います。
3度目の入院は、頭の中では未来の自分に起きる詰み将棋の次の一手をどこにも指せない。自分の人生の詰み将棋の盤が頭の中にあって、どう打ってもうまく行かないという状態でした。仕事のストレスというより、日常生活がどうにもフィットしない。だけれど眼の前のニンジンを追う馬の如く走り続ける。
そこにいちゃ駄目。もう日常生活が送れなくなってしまい、社会活動停止のため自ら病院に入りました。そもそも病気になってから病院に入るのですから、原因を探るのは当然です。的はずれな病名もたくさんあるのは原因を探っているからですもんね〜「精神分裂をともなう躁うつ病」ってワードヤベーって思うんですけど、実際は肉体と怨念と霊体が3者共存してて、どれかが強く出ちゃってから混乱&錯乱なワケで。始めっからヒトの中に3者います、あなたがしっくり来てないなら後の2者の声なき声に耳を傾けましょうってことなんです。
そこにいるべきではない状態の人をどける(動かす)には、「確かにそうだ」と私(肉体)に理解してもらう必要があります。肉体の安全確保をするために隔離病棟は有用で、ただし出られなくて困っている人もたくさん居ます。親権者が「こいつはおかしい」という場合、先生は黙って従うしかないのですから。神がかり状態は一度では済みません、何度も起きると想定しておいたほうがいいでしょう。
先生は基本、一度完全にあきらめさせることを徹底します。何もしないヒトに戻そうとします。そう、外出先で変なことをされたら親権者の日常生活が破綻してしまうから。痴呆になった親を怒鳴りつける子と同じように子供(親権者)の平穏な暮らしが第一に優先されるべきで、そうやって社会は健常者の心の平安を担保する方向に回っていきます。痴呆の老人を老人ホームに預けるのと同じで、あなたがどう考えようと社会の回転は、健常者の平穏にしか回転しません。当時は先生や親権者をどれだけ恨んだことか。恨みまくったからこその、緩衝策を提示したいと考えています。
シャーマン初心者の頃は「病気じゃない!何が精神病だ!」なんて言い張っていたけれど、社会の回転方向を知れば「はい、そうですね」で済む話なんです。取り扱い説明書が付属している人くらいの感覚で過ごせばいいんです。ここに居るべきではないと自分の中のあと2人が言っている、あなたにとってもっといい選択肢があるからこそ、辛いけれど気づきを得るための経験を積んでいるだけです。
あなた自身が何もしないヒトになれば、先生から親権者に許可がでるでしょう。そうやって限りなく自己存在がゼロに近いところまで周囲を観察して溶け込む能力を身に付けましょう。それは後で社会(という回転)に出たときに役立つスキルです。静寂と無を知り、回転の乗れば理解だけはできますから。
実際のところ、誰もあなたを不幸にしようなんて思っていません。当時は気づけませんでしたが、本当にあなたが観察スキル・行動習慣を身につけるためのよく考えられた環境なんです。