自分にできることをしたのです。それがイエス様の目的のための行動です!
今日の聖書箇所
Scripture:
マルコの福音書 14章3~9節(2017新改訳聖書)
さて、イエスがベタニアで、ツァラアトに冒された人シモンの家におられたときのことである。食事をしておられると、ある女の人が、純粋で非常に高価なナルド油の入った小さな壺を持って来て、その壺を割り、イエスの頭に注いだ。
すると、何人かの者が憤慨して互いに言った。「何のために、香油をこんなに無駄にしたのか。
この香油なら、三百デナリ以上に売れて、貧しい人たちに施しができたのに。」そして、彼女を厳しく責めた。
すると、イエスは言われた。「彼女を、するままにさせておきなさい。なぜ困らせるのですか。わたしのために、良いことをしてくれたのです。
貧しい人々は、いつもあなたがたと一緒にいます。あなたがたは望むとき、いつでも彼らに良いことをしてあげられます。しかし、わたしは、いつもあなたがたと一緒にいるわけではありません。
彼女は、自分にできることをしたのです。埋葬に備えて、わたしのからだに、前もって香油を塗ってくれました。
まことに、あなたがたに言います。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられるところでは、この人がしたことも、この人の記念として語られます。」
Observation:
今日は8節の「彼女は、自分にできることをしたのです。埋葬に備えて、わたしのからだに、前もって香油を塗ってくれました。」という箇所を選びました。
その前後関係がわかるように聖書を選びました。ここで大切なことは、目的です。この香油の意味するところはイエス様の埋葬のための準備でした。
そしてこの香油は女の人のものだと思われるのです。それを外野の人たちは責めるのです。貧しい人たちに施しができたのにと・・・
教会の中でも、一般の中でも同じようなことが言われるのではないでしょうか?
目的を知らずに責める人たちです。責めるということはジャッジしていることです。それも感情的になっているのです。
さて、ここで本当に言いたいことは「彼女は、自分にできることをしたのです。埋葬に備えて、わたしのからだに、前もって香油を塗ってくれました。」
「自分にできることをしたのです。」ということです。
自分にできることが明確なのか?
自分がイエス様のためにできることは何か?
神様の御心のために、何をしたらいいのかが問われているようです。そして、周りからの責めは関係なく、神様の前にすべきことをしていきましょう。
Application:
自分にできることをしていくことは大切なことです。神様は私を召してくださいました。ここが私の譲ることのできない原点です。そして、神様はこのような無学なものに時間をかけて育ててくださいました。ただ、イエス様の十字架の憐れみによるのです。
行動コミュニケーション学(BCS)が生まれて、10年以上経ちますし、その前の心理学の学び、その他の学びも含めれると40年以上の歳月が経っています。
神様に示されているのは、リーダー育成であり、その実行をしていくことになります。
祈りましょう(Prayer):
天のお父様、あなたの尊い御名を賛美します。自分にできることをしていくことを改めて教えてくださり感謝します。今まで色々と責められることがありましたが、大胆にあなたの必要のために歩みゆくことができるように助けてください。今日もシェアリングチャーチ、カフルイユニオンチャーチ、Tree Home churchに教会に属している一人ひとりを祝福してくださることを感謝します。病んでいる一人ひとりを癒してください。日本と世界の政治を祝福してください。終末の時代の中、あなたの愛が輝き、多くの人たちがあなたを信じることができるように助けてください。
今日もあなたの愛と恵みに感謝して、イエス様のお名前でお祈りします。
アーメン!
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ゆめのたね放送局 グリーンチャンネル
月曜日16時から16時30分
毎週月曜日午後4時からゆめのたね放送局グリーンチャンネルをお聞きください。
次回は「行動コミュニケーション学」についてです!
パーソナリティは篠田です。
https://www.yumenotane.jp/list/02028
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