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お金についてぶっちゃけトークしたら現代の共助の形が見えてきた【暮らしのポートフォリオ】

こんにちは!
暮らしのポートフォリオシリーズ。今回はお仕事とお金について話してみました。

気になっていてもなかなか話しづらいテーマから、現代社会における共助についてまで、いろいろお話しています!


今回お話するメンバー

丑田:シェアビレッジ代表。五城目でネオ集落「森山ビレッジ」を建設中。
akapos:立川で会社員をしながらラッパーとして音楽活動をしている。
清田:フリーランスとして沼津や東京などでバイオリンを弾いている。
澤:フリーランス。以前は島根県の隠岐の島で活動していた。
鈴木:秋田県の大学3年生。


報酬は関係値と経済圏で決まる


清田:業務委託を受ける時や、バイオリンの演奏を依頼される時に「いくらでお願いできますか?」って聞かれるといつも悩むんです。

皆さんどうやって金額を決めているのか気になっています。


丑田:日本人ってあんまりお金の話をしたがらないから、あえてストレートに語ってみるのは面白そうですね。

澤:隠岐にいたときは隠岐と島根の仕事が本業、他が副業みたいなイメージでやっていました。

相手との距離感によって報酬は違って、完全ボランティアの時もあるし、飲み会でごちそうしてもらったり、お互いに仕事をしあって相殺するなんてこともありました。

もちろんお金で処理したほうがいいケースもあるし、あえてお金を介さない方がいい時もある。

お金をいただくにしても、相場は経済圏で全く違う。隠岐と島根でも違うし、島根と東京でも違う。相手との関係性でも変わってきます。

akapos:俺は今まで正社員として働いてきて、Share Villageと本業で固定のお仕事があったので、それ以外の仕事にはお金に関してそんなにシビアじゃなかったです。

あまりにも関係の薄い人からの重い仕事だったら断ったこともありますけど、基本的に知り合いからの仕事は言い値ですね。


丑田:僕も澤さんに似ていて、五城目町内のお仕事とか、小学校での授業とか、共助の一環みたいなのだとあちらの言い値でやらせてもらうことが多いです。

だから、この仕事はこの額ではやりませんっていう基準は特にないですね。

ただ、ご縁が近くない人で、コミュニケーションが微妙だなと思う時はお断りすることもあります。

行政とかからお金をもらって調査とかフィールドワークに来る人たちが、ヒアリングに協力してくれた地域の人にお金を払わないってこと、地方では結構あるあるなんです。

そういうのはちゃんと断るようにしてます。


akapos:俺もしっかり線引きをしてやっていきたいです。

音楽をやるときはやっぱりちゃんとお金をいただいてやりたい。


澤:相手との関係値を決める上で、自分自身も人格を使い分けるっていうのは大事だと思います。

例えば、akaposとしてやるときはちゃんとお金をいただいて、赤坂健太名義でやるときはボランティアでもいいみたいな。

僕も失敗することもありますけどね。知り合いのツテだから無料で受けてみたら、どんどん仕事が増えていったこととかあるし。


都会でも田舎のような経済圏は作れるか


丑田:秋田に暮らしはじめてから出会った釣り仲間がいるんですが、その人は「毎月いくら稼がなきゃ」っていう感覚があんまりないんです。

家は持ち家だし、魚や山菜をとって食べる知識と技術があるから食住の心配はない。

知り合いが大変なときは1か月くらい自分の仕事を入れずに手伝っても、暮らしていけるからまあいいか、みたいな。そういう暮らしって東京だと難しいけど、田舎で術を持っている人はこういう感覚になるんだな。

そしてそういう人ほどちゃんと稼いでもいます。

akapos:俺はShare Villageと関わるようになったタイミングから、生活のできあがり方とか感じ方が変わりました。

例えばこの前、歯科衛生士の友達から仕事を頼まれたんです。WordからExcelにデータを移行するだけの簡単な作業だったんですが、パソコンが得意な人がいなかったみたいで。

院長先生からお金を渡されたけど、本当に簡単な作業だったので断ったら無料で歯のクリーニングをしてくれた。

パソコンが苦手な人からしたら「ありがとう」だし、こちらもこんな機会がないとなかなか歯医者なんて行かないから「ありがとう」。

東京でも、そうやって生活が成り立ったら面白いですよね。


「健全な負債感」と「恩送り」

丑田:東京でも、ローカルさが色濃く残る神田の人たちのコミュニティ意識は強いなあと思います。

神田祭はとにかく全力で盛り上がるし、その後も関わった人たちのお疲れ会を近くのお店でひらいてくれたり。

お金の関係というより、恩を贈り合う関係。同時に、受けた恩はいつかお返ししようという「健全な負債感」がある。その粋さのセンスも大事。

akapos:恩送りの関係が合う合わないはあると思いますけどね。俺はその負債感があまり好きじゃないんです。

お金で先に清算しちゃった方がスムーズな関係もあるんじゃないかと思います。

丑田:純粋な贈与と返礼って似てるようで違うよね。

家族だったら子育てや家事に対する返礼は期待しないけど、外の人に対してはもらった分以上を返さないとってなる。

そのやり取りが火種を生んでいったりもする。

家族的な見返りを求めないコミュニケーションの範囲ってどこまでなんだろう。

akapos:自分が見返りを期待しない人って数人思い浮かんだんですけど、それも結局は以前仲良くしてくれたからっていうのがありますよね。

鈴木:私はまだ学生なので金銭的な見返りを求めることってバイトくらいしかないんですけど、そういえば見返りとかお返しの文化って中学生くらいの時に始まったなって今思い出しました。

教科書とかジャージとか借りたときに、今まで普通に返してたのに、小さいお菓子をつけて返してくれる子が現れて、それが子どもながらに初めての見返りだったのかなって。

友達関係を穏便にするためにお返しをするって意味では金銭的な贈与と返礼の大元ってそういうものなのかなと思いました。


若い世代の共助はお金を払うことでスムーズになる?



丑田:確かに昔は子ども同士で勝手に遊ぶ約束をして、仲良い友達の家だったら勝手に上がり込んでゲームして・・・って普通にありましたよね。

でも今って、友達の家に遊びに行くにも親が手土産を持たせたり。

部活の送迎をやってもらうのも結構気を遣うから、友達の親同士でも頼りあうのが難しくなってるのかもしれない。

結局は関係性によるんだね。近所の人だと気兼ねなくやるし、関係性の遠い人だとお菓子を持たせるとか。

アズママっていう子育てシェアの会社があって、お金を介さずに昔ながらの共助を実現させようとしたんだけど、今のママたちはそれだと負債感が溜まっていっちゃうみたいなんです。見返りを求められてるんじゃないかって気持ちになっちゃうから。

いろいろ実験した結果、500円のワンコインで設定したら結構うまくいった。

高すぎるのもダメだけど、タダだと逆に気負いしちゃう子育て世代に、ワンコインのサービスが受けたんです。


akapos:例えば友達と出かける時に自分が車出したとして、缶コーヒーおごってくれるくらいが一番心地いいんです。

関係性が離れていくと、ご飯ごちそうになったり手土産をもらったりってなっていくと思うけど、あんまりやられるとちょっと重い。

若い世代にはそれが気楽なんだと思います。

丑田:あえて少額のお金をとることで、見返りを期待しない対等で心地よい関係になるというのは、Share Villageとしても大事な学びにしていきたいですね。


なかなか人とすることのない「お金」の話ですが、経済や共助を語る上では欠かせない話でもあります。

みんなで知恵やお金を持ち寄って作る、共助型・参加型コミュニティに興味のある方は、シェアビレッジで自分に合うコミュニティが見つかるかもしれません!



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