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都市の機能はどこまでコモンズにできる?

シェアビレッジの関係者がコモンズの再発明について探索する、雑談的なコーナー。今回は、『WIRED』日本版の雑誌「NEW NEIGHBORHOOD」特集にも関わっていた、都市デザイナーの内田友紀さんと丑田が交わした都市とコモンズの話を中心にお届けします。

都市の構造が変わっていこうとしている

丑田:WIREDの「NEW NEIGHBORHOOD」特集、読んだよ!マンズィーニさん(※)への取材はどうだった?

※ミラノ工科大学名誉教授。サーヴィスデザインとサステイナブルデザインの世界的リーダーとして知られている。ソーシャルイノヴェイションと持続可能性のためのデザインの国際ネットワークDESIS創始者。著書に『日々の政治 ソーシャルイノベーションをもたらすデザイン文化』など。近接性をテーマとした『Liveable Proximity』を刊行予定。

内田:マンズィーニさんは以前から影響を受けてきた人だったから、すごく緊張した。取材では、日々の行動から起きる社会への影響から、都市像の変化まで、一気につなげて話してくださったよ。

丑田:彼が見ている未来はどういう姿だった?

内田:彼が最近刊行した「Liverble Proximity」にもテーマとして書かれている、都市の近接性や、パリのアンヌ・イダルゴ市長も掲げている“ 15-Minute City=誰もが徒歩圏内で必要な機能にアクセスできる街”のコンセプトをもとに話が進行したよ。マンズィーニさんの話を聞いて、いま都市の構造が大きく変わる可能性がある背景を、改めて理解した。

スチュアート・ブランドが提示した「ペースレイヤリング」のモデルってみたことあるかな?私たちの社会を構成している要素が多層的に表現されていて(自然、文化、政治、インフラ、商業、ファッションなど)、それぞれのレイヤーの変化のスピードや影響などが表されているもの。このモデルになぞらえると、商業/産業で起きている変化が、レイヤーを超えて、とうとう都市インフラや政治に影響を及ぼしはじめたということだと思った。

丑田:15-Minute Cityのようなコンセプトは、ウォーカブルシティとかもそうだけど長く議論されてきていることだものね。「いま、改めて」ってどういうことなんだろう?

内田:ちょっと遡ると、産業革命以降は、各機能を集約して効率化するというのが都市が向かう大きな流れだった。工場地帯、買い物をする場所、住宅街、、って分かれていることが多いよね。だけど今は様々なテクノロジーやネットワークの発達により、理論上は分散が可能になってきた。働く人を1カ所に集めなくても仕事が成り立つようになってきているし、デジタルファブリケーションによるものづくりなんかもそうだよね。遠隔医療やリモート教育も、だんだん現実のものになってきている。

一部の分野だけで機能が分散できるだけではまちへのインパクトは小さいのだけど、広域で、様々な産業やサービスが分散可能になってくると、移動の距離が縮まってくる。車を使わない生活にもリアリティが生まれる。それらが積み重なると、とうとう都市構造が変わる可能性がある、ということなんだよね。

丑田:それが具体になって現れたのが、イダルゴ市長の宣言なのかな?

内田:そうそう。まだ実現できるかは未知なことも含めて、世界各地の都市計画家が見守っているそうだよ。それに、今回政策に掲げる前から少しずつ実績を積み重ね、市民が新しい都市のイメージにも徐々に慣れていって、ようやく今の市長が15-Minute Cityの構想を掲げても大きな違和感がなく受け入れられるようになったそうなの。

例えば、車レーンの数を減らして自転車レーンに変えていったりなど、前市長の時代から、環境やインクルーシブな観点の取り組みを積極的に推進し、行政と市民との対話を重ねてきている。結果、徐々に、経済的にマイナスの影響はなく、市民の生活は良くなると理解されていった。

20年くらいかけて積み上げてきた結果、ついにパリで15-Minute Cityという名の、デジタルと現実世界が融合した近接性を実現する、ハイブリッドな都市構造の実現を掲げられたということみたい。


草の根運動を広げるための制度設計

丑田:なるほどなぁ、たくさんの人の不安が信頼に変わって行くための、長い蓄積の結果がいまなんだなあ。マンズィーニさんは著書「日々の政治」のなかで、小さな行動の積み重ねで社会が変わることの可能性や難しさも説いていると思うんだけど、一部から都市を変えていくことのボトルネックは何なんだろう。

内田:うっしーのいう「一部から都市を変える」っていうのは、活動が局所的にとどまらず、多くの人が関わって日常になり、場所を超えて広がるということだと思う。草の根から始まった面白い変化が広がってみんなのものになるかどうかは、制度やルールと適切なタイミングで出会えるかどうかにかかっている、というのが彼の考えだったよ。

例えばスローフード運動は、ファストフード化する社会に対抗する理念をもとに、イタリアから生まれた活動。個人のモチベーションだけで活動を継続するのは難しかったけれど、あるタイミングで、スローフードの認証や制度化する動きがあって、世界中に広まっていったものなんだよね。

丑田:イタリアのボローニャ市で、市と市民が協力してコモンズの管理をしようとしているのも似た話かも。条例にして、民主化していくことで、廃れた公民館や公園なども住民が参加できる余白が生まれる。

内田:彼がシェアビレッジをどう感じるかも気になって話してみたよ。

丑田:お、どんな反応だった?

内田:「オンラインと物理環境を融合してコモンズを作っていくことに共感する。気をつけることがあるとすると、クローズドにならないことだと思う」って。コミュニティとして盛り上がる一方で、排他的になってしまうと、次なる封建性のようなものが生まれて、せっかくの理念が崩れてしまう。核を大切にした特定の人々とのコミュニティであっても、時々出入りが自由にするなどして開放性が共存するといいよね。

丑田:一言でコミュニティと言っても、同質性の高いものから、異質なものの集まりまで幅広い。類似するところ、共感するところを感じないと入りにくい一方で、それらは同質性につながりやすく、階層構造化やクラスター化につながってしまう。

一種の同質性で人が集うコミュニティもありだし、異質な人が集まるから持続するというのも人類の英知としてある。どういう種類のコモンズをどんな目的で使うかによっても、コミュニティをつくるオーナーの価値観によっても変わってくるよね。

ただ、出入が一定の頻度でないと排他的になりやすいのは間違いないし、時には他のコミュニティとつながりあったり、当初の意図を手放したりすることで、変わり続けていくこと自体も楽しんでいきたいね。

都市のなかで、身体を思い出す

内田:去年から、西武池袋線の東長崎にあるMIAMIA(マイアマイア)というカフェに通い続けていて、ここがとてもいいんだよね。

丑田:へぇ、どんなカフェ?

内田:ひと言でいうと、「誰もがそこにいることを歓迎されている場所」っていうイメージかなあ。都市にある場所って目的的なところが多く、場所ごとに無言のドレスコードが決まっているような印象があるんだけど、マイアマイアは店主やスタッフのみんなが、近所のおじいさんや子どもやファッション好きの若者まで、みんなに同じテンションで声をかけるんだよね。あらゆる人が集う空間を実現できていて、それが心地良い。

丑田:そういう空間っていいよね。コロナ禍を経て、より一層そう思う。

内田:マンズィーニさんも話していたんだけれど、移動し続けていた人々は、実はどこにも属していなかったんじゃないかって思う。自分もコロナの前は出張続きで、コロナ禍の期間で移動が減ったことで所属のなさを実感したんだよね。

丑田:コロナ前に移動が多かった人は、そういう感じになった人は多そうだよね。

内田:そう思う。マンズィーニさんは「自分たちは身体を忘れていた」って言ってた。

丑田:どういうことだろう?

内田:物理的にどこかの場所に行くと、自分とは違う状況の人に出会うよね。例えば、一人暮らしのおばあさんや車椅子をつかって移動している人など、自分がなにかの目的を達成するために訪れる場所にはない多様性にぶつかる。そこで出会う人たちと会話を重ねると、知識ではわかったつもりになっていたことを超えて、相手への想像力や、ケアする気持ちのようなものが生まれる。

「このケアの態度がすごく大事だけど、これは身体的なコミュニケーションを行わないと生まれない」とマンズィーニさんは言ってたよ。移動を続けていた人たちは、それを忘れてしまっていたんじゃないかって。

丑田:なるほどなぁ。自分が育った場所もそうだったけど、昔の下町ってまち全体がそんな感じだったよね。今は、オープンで寛容度の高いオーナーがいる場が人を惹きつけている。コモンズをどれくらい開放するかの度合いはいろいろありつつ、誰もが気軽にアクセスできる場所の魅力は高い。

一方で、スタンスや意図なく何でもかんでもオープンであればいいというわけでもなくて、自分のペースでいられたり、自然と参加してしまう余白や空気感がにじみ出ていることも大事。実際の村や小さなまちがそうであるように、特性・集団の膜を張りすぎない土壌の上に、予期せぬ出会いや素敵な偶然が幾度も発生して、コミュニティなるものがたくさん生まれていくんだと思う。

都市機能のどこまでコモンズにできるか

丑田:このあいだ、高速バスや夜行バスの運行等を行うウィラーさんと「共有交通」について話して、それが面白かった。

内田:どんな話?

丑田:コミュニティとしての交通が作れないかどうか。100世帯くらいの2km圏内の移動に特化したシェア運転手を持つ、サブスクコミュニティみたいなイメージ。このコミュニティは、移動手段を共有する部分でつながっているので、多様性が生まれやすい。

半径数キロの移動を共有すると、地域の中の子どもや高齢者の移動を最適化していくことで、都市内の出会いも生まれていく。ローカルの交通は行政に任せきれなくなっているなかで、交通インフラをコモンズ化しようとする動きは面白いなって。

内田:すごく面白いね。サブスクにしたのも出控えを防ぐためなんだろうなあ、郊外も農村エリアにも必要とされそう。地域の機能を共同で管理していくっておもしろいね。

丑田:機能分化ばかりが進んでいったり、お金での売買だけになっていくと、共同体感覚は薄まってしまうよね。田舎でも都会でも、暮らしの中にコモンズとかコミュニティがあたりまえに同居しているようにしたい。都市の中にも「村」的なものを育んでいけるかが肝だと思う。

暮らしが多拠点化していく中で、複数の拠点にコモンズを分散して持つこともできるようになってきた。という意味では、都市単体で捉えず、複数のローカルとのつながりや、マルチコミュニティの視点から眺めてみることも大事だよね。


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