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ヒップホップとコミュニティの関係性

はじめに

『ヒップホップとコミュニティの関係性』なんてタイトルだと、とてもアカデミックな内容に違いなさそうですが、かなりライトにわかりやすく皆さんにお伝えしていこうと思っています。
(めちゃくちゃヒップホップが好きな方は物足りなく感じるかもしれませんが、記事の趣旨の性質上あえて説明を端折っている箇所もあります。悪しからず。。。)

まず、私キュレーター赤坂ですが、akaposという名義でラッパーもしています。
つい先日、配信リリースデビューをしました!ちなみに、ShareVillageの村ラジオ(現在は配信停止中)のジングルというかメインテーマも作ってたりします。
(しれっと告知。興味があれば聴いてみてください)

そもそもヒップホップって?

「ラッパーやってるんです〜」なんて自己紹介をすると、「チュクチュク(スクラッチの擬音)やってるの?」とか「DJなんだ!」とかって言われることがしばしば。
DJは、いわゆるターンテーブルを使って、レコードをミックスしたりスクラッチしたりして音を「演奏」する人のことを指して、最近テレビでよくみるCreepyNutsのDJ松永さんがDJの世界大会で優勝したことも有名です。
ラッパーはその「演奏」に合わせて、ラップという歌唱法で歌っていく人のことを指して、同じくCreepyNutsでいうところのR指定さん。

「ラッパーってあまり知られていないんだな〜」なんて思いながら、こんな説明をしたりします。
近年ではポップソングをはじめ、アイドルソングにもラップが用いられるようになってきましたが、ヒップホップソング自体が日本のトップチャートを席巻することはほとんどないと思います。
「ヒップホップが日本で浸透していくことに限界がある」とマツコ会議で前述のCreepyNutsのDJ松永さんが発言をし号泣をしていたことが話題になっていましたが、元来ヒップホップにミソジニーの側面を伴ってきた歴史を持つことを指していたりします。

本旨とは逸れるのでここではあまり触れません。
かなりマニアックな内容ですが、ヒップホップとミソジニーについてはこちらの考察も参考になります。

ヒップホップとは、ヒップホップミュージックだけでなく、ヒップホップダンス、ヒップホップファッションなど、ニューヨークを起点に広まったカルチャーです。
なぜラッパーとして活動していこうと決めたかは後述しますが、ラップやDJ(ミックスやスクラッチ)はヒップホップミュージックを構成する要素の一つです。
よく言われるのは「ヒップホップとは、文化であり、歴史であり、思想である」と。

ヒップホップの超重鎮がいうには〜とか、歴史を紐解いて〜とか、哲学的なエッセンスからは離れて、ヒップホップをシェアビレッジらしくコモンズやコミュニティと結びつけて考えてみます。

ローカルコミュニティとヒップホップ

ちょっと前にキュレーターの澤さんとお話しして「ストリートで遊ぶことからはじまるコモンズ論」としてnoteでアップしました。

ここで語っているのが、コモンズっていわゆるコミュニティの源になるような古民家とか里山とか不動産に限らず、ここがコモンズだと思えばコモンズだよね〜ということ。
特にストリートで遊ぶことって、コモンズが限定的じゃない。

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▲たしか大学生の時。いまの拠点の立川で友人とよくスケボーに乗っていた(若い・・・)

実際に、ラッパーとして活動を始めようって思ったきっかけの一つだったりもするんですが、自分の部屋で曲を作っていて友達と集まって一緒にリリック作ったりしているこの感じが、まさにコモンズに集ってる感じでいいな〜と。

元々まったく絵も描けないし、楽器も弾いたことなかったりとクリエイティブな家系でもなく、自分自身が「作品をつくる」ことに対して興味もなかったんですが、去年ごろからおうち時間を充実させようと思った時に、ふと「PCをつかって音楽制作とかならできるかも!」と思い立って始めた曲作り。

はじめは遊びでビート(曲の原液のようなもの)を作って、そこにリリック(歌詞)を乗っけてラップごっこをしていましたが、そこから収録をしてみて、友達に聞いてもらってブラッシュアップしたり、友達にもリリックを作ってもらって実際に歌ってもらったり・・・

マイクや鍵盤など機材を家に買っていたので友達と集まって、お遊びヒップホップをやっているうちに、「こんな感じにヒップホップという好きなもので集って遊べる関係って素敵だな」と思うように。

実はヒップホップの起源ってニューヨークのブロンクス区という地域で廃墟ビルの一室に集まって音楽をつくって遊んでいたところからだそう(諸説あるみたいですが)

ストリートとかヒップホップって、ネガティブなイメージがもたれることも多かったりもしますが、彼ら(僕も含めて)は、ヒップホップミュージックという好きなことをきっかけに、いかにコスパよく遊び倒せるかってことを実践しているだけなんです。

ビートさえあれば、そこにリリックを乗せる。
いいストリートがあれば、そこでスケボーをする。

明確なルールや入場制限のないコモンズ。そこに人が集まればコミュニティ。

ヒップホップからローカルコミュニティが生まれてくる
ローカルコミュニティからヒップホップが生まれてくる

そんなことを自分自身がラッパー/コミュニティビルダーとして実現してみたいな〜なんて思っています。

ヒップホップもコミュニティも自己実現のツールである

さて、冒頭に記した「ヒップホップソング自体が日本のトップチャートを席巻することはほとんどないと思います。」という話。
ミソジニーの側面を伴ってきた歴史と記しましたが、ヒップホップソングってただ韻を踏んで、いわゆる早口にラップを歌ってるだけじゃなくて、内なる思いを《あまり脚色せずに、ストレートに》発信しているんです。もちろん特有のメタファーもあります。

まさにヒップホップであることは自己実現そのものなのではないか
そして、例えば、マズローの欲求5段階説では、コミュニティに属することと自己実現が非常に距離が近いものと解されています。

ヒップホップミュージックという媒体を使って、ストレートに自己発信を行う。
だからこそ、過激な表現が生まれてしまうし、それによって他者に誤解を与えることももちろんある。

自分自身も曲をリリースするにあたって、誰もがそこにアクセスできる状況(実際に僕の曲はApple MusicSpotifyで聞くことができます)にすることで、歌詞の意味が一人歩きすることや発信に対する責任が伴うことがボトルネックに感じてしまう時期もありました。
(売れてもいないのに何言ってんだという感じですが笑)

かつて「自分の声の重みを知れ」なんて歌ったラッパーもいましたが、娯楽の範囲、つまり自らのコミュニティの範囲で内なる思いを発信することと、社会的欲求の先にある音楽という表現との間には、やはり境界がなくてはならないのかもしれません。

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▲奇跡的にあった一枚。「自分の声の重みを知れ」という歌詞が出てくる『公開処刑/キングギドラ』を昔カラオケで友人が歌っていたときの写真。めちゃくちゃストレートなメッセージが目立ちます。

ちょっと寄り道してしまいましたが、「韻を踏んでいるとかっこいい」という制約を除けば、自身の内なる思いを発信することができるのがヒップホップ
そこに同調してさらに奏でていく。はたまた思いがぶつかって喧嘩になることもある。
でも、そういうコミュニケーションこそが、よりよい関係性を構築してくれて、やがて愛すべきコミュニティへと発展していく
自己実現という点においてもコミュニティとの親和性があるな〜ということを感じます。

まだまだ僕も一人のアーティストとして活動を始めたばかり。
日々さまざまなヒップホップのシーンやコミュニティでの出来事を通して、考え方もアップデートされていくんだと思っています。

ちなみに・・・
ちょうどこの記事の執筆中。高校の先輩から「お前の曲聞いたよ」という電話があり、PV撮影がまだなんだという話をしていたら「PV撮影クルーをつくって撮ってやるよ!」という話に。
まさにヒップホップからローカルコミュニティの原石が生まれつつあるのを実感しています。

これからも、さまざまな角度からコミュニティのあり方やコモンズとはなんなのか、ということを発信していければと思います!

それではまた!

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