【オープンビレッジ③】この衰退期の日本の片隅で/村づくりの秘伝ゼミ
今回のnoteでは、Learning Villageオープンビレッジの第3回、半田(シェアビレッジ・キュレーター)と石坂さん(ギルドハウス久米島・代表)がゲスト登壇した回のハイライトをまとめました!アーカイブ視聴の代わりにご覧ください!
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共同編集をし続けながら歩んでいくラーニングビレッジ
澤:10月にラーニングビレッジの体験期間がスタートし、12月からは本格始動します。
この体験期間はもちろん、体験が終わってからも、ラーニングビレッジは出来上がったものをお届けするのではなく、共同編集を続ける場でありたいと思っています。
共同編集を続けるとは、お互いのいまを共有し、進めるところは進め、直すところは直しながら、一緒に前に進んでいくということ。そのプロセスを共に楽しむということ。そんな関係性を育んでいきたいと思っています。
この衰退期の日本の片隅で
石坂さん(以下石坂):こんにちは。久米島で活動している石坂です。
先日、手探りながら初回のゼミが終わりました。
みんなで分からない問いについて、ああだこうだ言いながら、わからないね、なんて言いあう時間がとても尊く感じました。
仕事とか子育てとか、やらなきゃいけないことに日々追われていると、答えのない問いについて考える時間ってあまりないですよね、
僕自身そういう問いが好きなので、このゼミに参加している時間は皆さんにとってそんな時間になればいいなと思います。
僕自身は埼玉出身で東京で就職した後、田舎暮らしを始めました。
これからも日本に田舎暮らしという選択肢があり続けるといいなと思っているんですが、「日本は衰退期だから田舎を切り捨てなければいけない」みたいな風潮もあります。
そんな中で田舎に暮らし続けることに、罪悪感というか気持ち悪さというかを抱えている人も多いのかなと思っています。
一方で、田舎で新しい価値を創出しようとしている人もいます。
ただ、僕はそういうベンチャーみたいなことをしなくても田舎に住み続けられる方法を見つけたいなと思って、シェアという方法にたどり着いたんです。
このゼミでは、「シェア」を通じて生活コストを下げて、緩やかに豊かに暮らしていく選択肢を模索していきたいと思います。
都会に住みながら田舎との関係性を模索し続けたい人にも参加していただきたいですし、田舎って足手まといなんじゃないの?って考えの人も加わってくれたら面白くなりそうです。各地でシェアを進めていきたい人ももちろんウェルカムです。
石坂さんが田舎暮らしを始めるまで
石坂:先ほども言ったように、僕は埼玉で生まれて港区の会社で働いていました。
週5週6は毎日終電で帰る日々。精神的に負荷がかかる毎日で、六本木の夜の街に繰り出してお酒でうさを晴らすなんてこともしていましたが、やっぱりお金がかかる。
給料はよかったんですが、お金を稼ぐための仕事でストレスをためて、それを発散するためにお金を使う、無限ループみたいに感じてしまって、そこから抜け出したいと感じたんです。
そんな時、澤さんもいらっしゃった隠岐に住んでいた友達が、都会が辛いんだったらこっちに来ないかと誘ってくれました。
島に行ってみると、島の暮らしが性に合って、生き返っていくような気がしました。
島について最初のころは、都会暮らしに失敗した都落ちのような気分。
この島で働く意味を見つけないとと焦っていました。
東京では評価軸が仕事だけだったのでそう感じてしまっていたんですが、島では仕事があまりできない人でもその人しかできないポジションがあったりする。
それに気づいたとき、「居場所感」を持てたんです。
生きてていいんだな。って。
これが僕の原体験で、都会にいる人にも生きてていいんだな、いるだけでいいんだな、って感じられる場所をもってほしいと思うようになりました。
そして、この感覚を味わい続けられる日本で、世界でいてほしいなと思ったんです。
現在の久米島での暮らし
石坂:その後隠岐を離れて今暮らしている久米島に移住し、合同会社PLUCKを立ち上げました。
那覇から飛行機で30分、船で3‐4時間くらい。人口は7000人ちょっと。車で2時間くらいで回れる島です。美しい自然も残っています。
久米島が面白いと感じている理由は、「持続可能な島」になるポテンシャルがあるから。太陽光パネルを導入していたり、海洋深層水の温度差発電という技術を開発していたりします。
前町長は将来的にエネルギー自給率を100%にすることを掲げていました。
一方で歴史的には、冷戦のころに冷害の影響で米が来れなくなったときにサトウキビ畑がたくさんできたんですが、その影響で赤土の流出が起きて固有種の蛍が減ってきてしまっているというような問題もあります。
こんな魅力と課題を併せ持つ久米島で、僕は「複業ギルド」という活動をしています。
島にかかわりのある人60人くらいのコミュニティで、島内の仕事を島の中で回すために、ワーカーさんたちにお仕事をふる役割をしています。
シェアに関しては、いらないものを上げたりもらったりできるページの運営もしていて、久米島をシェアの島にするプロジェクトを進めているところです。
人口減少社会の日本で、お金持ちじゃないと田舎に住み続けられない社会になってしまうことを危惧していて。
今は久米島までの交通手段も電気代とかも安く生活できているけれど、都市のスポンジ化現象で、都市機能はスカスカになっていってしまうという話もあるなかで、この生活を維持していけるのだろうかという疑問があります。
貨幣経済だけでなく、自給経済、贈与経済の中でなら暮らしていけるのではないかという仮説を持っていたんですが、それぞれ問題点もあります。
そんな中で田舎暮らしの価値を高めていくために、シェアをしておくことがやはり大切だと思っています。
ラーニングビレッジでともに考えていきたいのは、
手に入るお金が減っても、公共インフラが老朽化しても、田舎で生きていくためには?
という問いです。
シェアって何だろう
澤:話を聞きながら思い出したんですが、6年前くらいにホームレス支援にかかわっていたことがあり、いまでも尊敬する、あるホームレスの方と知り合いました。
その方は財布の中に1000円ない日もある。500円ない日もある。それなのに、会うとにかっと笑いながら「缶コーヒー飲むか?」と聞き、おごってくれるんです。マックをおごってくれたこともありました。
それまで、シェアってお金持ちがするものだと思ってたんです。でもその方はそうじゃなかった。自分の常識が崩れ落ちた出会いでした。
石坂さんは「シェア」という言葉をどうとらえてますか?
石坂:僕は人には3種類いると思っているんです。
もらうより多くあげたいGiver、あげるより多くもらいたいTaker、とんとんにしたいMatcher。
経済的に富んでる人があげられるというのは「Giverだからもうかる」という可能性と、「富める人にはMatcherが多い」という可能性があるなとおもっています。
フランクルの「夜と霧」の中で、ユダヤ人の収容所で人から物を奪おうとする人もいれば、隣の人になけなしのパンを分ける人もいると書かれています。
極限状態でも、人にシェアできる人もいるんです。
持たざるものなのに持てる人にもあげられる人ってかっこいいですよね。
僕はそこまで解脱できていなくて、「僕だけおごってるな」とかおもっちゃうこともあります(笑)
澤:最後に、石坂さんが「このシーン好きなんだよな」っていうシーンを一つ教えてください。
日常の好きなシーンでもいいし、こんなシーンを作りたいっていうのでも。
石坂:僕、バーベキューが好きなんですが、みんなでワイワイしたいときはコンロに炭だけ起こしておいて、Facebookで「みんな遊びに来て」って投稿するんです。
そうするとみんなそれぞれ食品とかお酒とか紙皿とかをもってやってきてくれる。生産者さんが自分のところのものを持ってきてくれたり。
みんながそれぞれ自分が出せるものを持ち寄ってみんなが貢献しようとしてる時間がハッピーだなと思います。
村づくりの秘伝ゼミ
半田:五城目の隣町が地元で、Uターンで秋田に帰ってきました。
解体直前の古民家を「村」に見立て再生し、地域内外の人とコミュニティを作っていくシェアビレッジプロジェクトが自分の原体験。
シェアビレッジの今までと苦悩
半田:「年貢を納めて村民になろう」をキャッチフレーズに、シェアビレッジプロジェクトは始まりました。
まだ関係人口という言葉が生まれる前の話で、移住者未満観光客以上の人たちを、古民家を中心にどんどんふやしていこうと頑張っていました。
寄合とか里帰りとか一揆とか助太刀とか、ワードにもこだわって、田舎暮らしをゲーム的に楽しく体験できる工夫をしていたりもしました。
自分がコミュニティを運営する中で、当時は参考にできるコミュニティ論みたいなものに出会うことができなくて。同じような目線で語り合える仲間との出会いも乏しく、結構孤独も感じていました。
地域の人と外の人を混ぜることの大変さや田舎の原風景をコモンズとして再生させていくことなどを同じ目線で共有できる関係性が広がらない中で、これを誰かとシェアして知見にできないかと考えてきました。
だからこそ、ゼミを開く
半田:今回作る、村づくりの秘伝ゼミでは、「いいコミュニティで何だろう」という問いを、ゲストを呼んでその人が経験してきた楽しいことや大変なことを引き出していきます。
理想のコミュニティって人によると思います。
だからこそ、そこを丁寧に深ぼって、パターン化していきたいと思っています。
とはいうものの、攻略本を作る気はありません。
こうしたらいいんじゃないかな。くらいの「コンパス」を作りたい。
澤:一回目の感触はいかがでしたか?
半田:うちのゼミは隔週で開催予定で、月の初回はゲストを呼んでトークを、二回目はそのポイントを抜き出して持ち寄り、集約させていくっていうことをする予定です。
先日は千葉のちんたら村からゲストをお迎えしたんですが、一回目の感触としては、自分の場回しに集中しすぎず、みんなでその場を楽しむ雰囲気ができたのがすごくよかったなと思っています。
澤:先ほどコンパスを示していくっていう言葉があったんですが、そのうえでのキーワードって何かあったりしますか?
半田:まだまだこれから定まっていく部分なんですが、1つ指し示せるとしたら、コミュニティビルディングの技法、オーナーの振る舞いのパターン、コアメンバーに必要な役回り、フェーズごとにコミュニティに必要なもの、変化のサインなど。技法的な部分と、中心人物とメンバーのメンタリティなどにも触れていきます
小さくいることの価値
澤:聞いていて思ったのは、コミュニティは変わっていくものという考えが大前提にあるなと。そこに納得感と安心感を持つことがマストになってきそうですね。
半田:茅葺古民家は、小さく始まった時は成長していくことがみんなにとっての喜びだったんです。でも成長するにつれて、喜びを分かち合うような関係性から、サービス提供者と消費者、みたいな構造に変わっていったような印象があって。
コミュニティの適度なサイズ感や、レイヤーごとのコミュニケーションの取り方なども、ゼミの中で探求していけるといいなと思います。
石坂:ビジネス寄りで言うと会員が増えてバズるのってうれしいと思うんです。
その気持ちがあると、ほかの古民家で同じことをしてみようって考えになってもおかしくないと思うんですが、そうならなかったのはなぜなんですか?
みんながコミュニティの成長を喜び合えることの方が重要だったということですか?
半田:そうですね。一番はコミュニティのメンバーが楽しめることでした。
メンバーたちも、秋田とか、この古民家とか、思っている対象は違うにせよ、シェアビレッジにかかわることで場がよくなることを楽しんでいることが理想だったんです。
でもだんだん、その場を楽しむというよりもっといいサービスを提供することを求められるようになったと感じました。
やってる自分たちが楽しめなくなってきたと感じたのがちょうどコロナ直前。
そこを乗り越えればもしかしたらビジネスとして多拠点のサービスに切り替えて、一気に上がっていけたかもしれません。
でも自分たちはその方向に燃えなくて。
自分たちが楽しめる方向に軌道修正したというか、もともと大事にしていた方向へ戻っていった結果今の形になったという感じです。
石坂:もう一つ気になるのが、シェアビレッジのコミュニティ最高だな、作りたい未来をつくれてるな、と思った瞬間っていつだったんですか?
半田:1つ思いついたのは、地域のお祭りをシェアビレッジのコミュニティと地元の集落のコミュニティとで一緒に作れたことですかね。
茅葺古民家から出て、地域で面白いことをできていると感じられた瞬間でした。その場の全員が楽しんでいた。
澤:今、「小さいコミュニティに価値を見出したということですか」という質問をいただきました。
僕の感覚としては大きさの問題ではないけれど、小さくないとできないことがあった、というイメージかと思ったんですが半田さんどうですか?
半田:そうですね。
大きいコミュニティを作るには、それ用の技法があると思うんです。
会社経営、組織作りに近いような。
でもシェアビレッジの技法はそうじゃなくて、顔の見える範囲でやっていくことに価値を感じました。
ずっと同じ人ではなくて新陳代謝はあるけれど、ずっとそのやり方でやってきたのがシェアビレッジという感じです。
関連リンク集
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プレスリリースはこちらhttps://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000012.000064677.html
各ゼミの紹介はこちら
https://note.com/sharevillage/n/n7e28b0ddfe10