暮らしはどこまでコモンズ化できるか?
「コモンズ」についての考えを綴っていくシリーズ。今回は「コモンズ」や「共」という概念を、暮らしの中に取り入れていくには?という問いかけについて考えてみたい。
執筆:丑田俊輔(シェアビレッジ代表)
コモンズについては前の記事もご覧ください。
日本にもともと存在していたコモンズ
まずは自分から!ということで、暮らしている秋田・五城目町の日々から具体的に眺めてみる。
日本の田舎町には、もともと色んな「共」がある。
引っ越してから、町内会の活動や集落のお祭りなどに関わるようになった。茅葺屋根の葺き替えの共同作業も、その典型的なものの一つ。
こうした営みは、都市化・資本主義・少子高齢化といった大きな流れや、時に面倒くささやしがらみを感じたりと、色んな理由が絡まり合って、ここ数十年の間ではどちらかというと縮小気味だった。
だけど、10年前の東日本大震災や、直近では新型コロナウイルスの出現も経て、少しづつその価値は見直されてきているように思う。
五城目ローカルに話を戻すと、まちの中心市街地で520年以上続く五城目朝市も、地域のコモンズ(共有資源)の一つだ。
朝市というコモンズを出店者組合で管理しながら、その上で一人ひとりが自由に商いをしたり、買いに来る人も含めたつながりが生まれていく。
高齢化もあり一昔前と比べると静かになってきているものの、ここ数年は日曜市を「朝市プラス」と題し、狭義の組合メンバー以外にも一定程度ひらかれた市となることで、若い世代も含めた出店も増え、新たな表情を見せている。
(生活市として暮らしに溶け込んできたこと、中心にカリスマがいるわけでもない中空構造、など、世代を越えて続いていくコモンズのヒントがありそう。これはまた別で書きたい)
現代に生まれている新たなコモンズ
現代版として生まれた新たな「共」もある。
前回の記事で書いた、Share Villageのオリジンである「茅葺古民家をコモンズとした共同体」も、住まい方の多様化やテクノロジーの進化が起きたからこそ生まれたコミュニティの形だ。
また、五城目町のまちなかには、「ただのあそび場」という、「地域のコモンズとしての遊び場」がある。
商店街の遊休不動産を遊ばせよう!という掛け声のもと、地域のたくさんの親子とともにDIY。誰もがただでこれる、ただの場所、が誕生した。
それ自体では利益を生み出さなくとも、つながりの資本が豊かになったり、まちを歩く人が増えたりすることで、結果的にお金がめぐったり、賑わいがうまれていくこともある。(こうした場を地域でシェアすることで、これからの住宅には、子供部屋がなくてもいい!なんてこともあるかもしれない)
皆で持ち寄って育む場や、消費者と生産者の壁を越える機会は、他にも色々ある。
まちの農家さんの田んぼオーナー制度(コミュニティ)に参加して、自分たちが食べるものをつくることに少しだけ関わるようになったり。
コロナの中で廃業した温泉を、地域の常連を中心にお金と体と知恵を持ち寄って共同運営しようという動きがはじまっていたり。
まちの森林資源とデジタル建築技術を活かした住宅群を皆でつくり、多様な住まい方が育まれていく小さな村(ネオ集落!)をつくろうと企み中だったり。
小難しく考えすぎず、暮らしの中で巡り合ったものや、何よりも楽しさを起点に、「共」の領域がじわじわ増えていっている感じだ。
コモンズの視点を社会にインストールする
「公(Public)」でも「私(Private)」でもない「共(Common)」という目線から考えてみる癖をつけてみるのも面白い。
例えば、地域の交通。一般的には、公共交通(行政)か自家用車(個人)か、となるけれど、コモンとしての交通ってあり得るだろうか?そう考えると、地域のいくつかの世帯で車と運転手をシェアする「共有交通」といった概念も発想できる。実際、バス事業を手掛けるWILLERさんや、厚真町のMEETSさんが実証実験をはじめている。
例えば、食堂。最近まちにできたPocoPoco Kitchenでは、料理やお惣菜は、円でなくポコポコで引き換える。ポコポコは、畑仕事を手伝ったり、食材ハンティングしてきたりと、コミュニティやお店に参加するともらえたりする。お金でも買えるけれど、ポコポコの方がずっとお得だったりする。
そんなことを考えたり試行錯誤していくと、まだまだ色んなことができそうだ。もちろん、自分が住んでいる(住民票がある)まち以外のコミュニティに参加するのもあり。
暮らしをコモニングしよう!
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