【食育】"生き物"と"食べ物"の間
食育の大本命は、生き物と食べ物の境界線(間)に触れること
じゃないかなぁ〜?なんて考えてます。
ここで言う生き物っていうのは、動物も植物も含まれてて
もちろん、ペットや友人としての生き物と、生きる糧として口にする生き物は別もの。
生きる糧として生き物を食べるというのは、エネルギー摂取であり、その生き物を自分の中に取り込むことで、その過程はざっくりこんなステップで進んでいく。
生き物が食べ物になっていくステップ
話をメインの食育に戻します。
ステップ1〜5のどこを体験しても、知識を得ても食育だと思う。
それがお肉だろうが魚だろうが野菜だろうが。
ここでは触れていないけど、フードロス問題や流通に触れるのも食育だと思う。
ただ、1から2を連続的に体験することが最も本質に近付けるんじゃないかなぁ〜と思う。
1の段階で、その生き物には命が宿っていて、まさに生きている。
2の段階に移ると命は断たれ食べ物になる。
これって、すごく当たり前の話をしていて、大人はもちろん小学生でも知識として知っている。
でも、知っているかどうかは重要ではなくて、腹に落ちていることが重要なんだと思う。
そのプロセスを経験し、
目に焼き付いている。
手に感触が残っている。。
その温度が蘇ってくる。。。
その匂いが鼻腔に残っている。。。。
1から2を連続的に体験すると、食べ物が生き物であること。命を頂いているということを、"頭"と"体"の両方で理解できる。
情報として、知識として、知っているというレベルではなくって、、。
"理解できる"というのは理屈じゃなくて、やっぱり体験に由来すると思うんだよね。
自らの意思で生き物の命を絶ち、生きる糧として食べる経験をして初めて理解できる。そこから意識が変わってくる。
「いただきます」と「ご馳走様」を口にする意味と重みが変わってくる。
自然と感謝が生まれる。
逆にその体験をした結果、思考や感情が感謝に向かわず、"かわいそう"という想いに飲み込まれてしまうと本質から離れてしまう。
そうならないように、なるべく若いうちに、心が安定している時に体験するのが良いと思う。
先ずはキチンと区別する。
動物も植物も同じ生き物として捉える。
ペットや友人としての生き物と、生きる糧として口にする生き物は区別する。役割も求めるものも違うのだから。
そうすれば、動物愛護やアニマルウェルフェアの解釈もズレてこないと思う。
改めて食育っていうのは、本人の心の状態と、どのようにステップしていくかをキチンと設計することが大事なんじゃないかなぁーと思う。
どのプロセスを、どのような環境で、どのような情報と一緒に体験するのか?
細心の注意を払って緻密に設計しなければ、意図しない方向に歩みを進めてしまうかもしれない。それはとても恐ろしいなって思う。
何を伝えるか?を考える以上に、何が伝わるか?何が伝わったか?に心を割いて設計すべきかな?と。
この辺りを整理してアウトプットできる状態にしたいと思う。
農業、畜産を学んだものとして、BBQ研究家として取り組んで行きたい。
意見を貰えたら嬉しいです!
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