1分でもいいから出てきた衝動に従って動いてみる。
これのほんと氣持ちいいことよ。朝の出勤支度時間に散歩ができるなんて思ってもみなかった。なんなら、もうできなくなったなと思っていた。
けど、できた。朝日がわたしをそこに向かわせてくれた。
まだ霜がおりる季節。田んぼの雪溶け水の氷が、陽を浴びてパチパチと溶けていく音がした。草たちについた霜の結晶が美しくて、はぁ😍となる。その姿にちょっとだけカメラを向けて、家路へ戻る。
鳥たちの声が耳に入ってきて、そうだ!外へ出たらこうして(自然音の中で)瞑想できるじゃん!と思い出した。数日前に、瞑想する環境さえも望んでいなかった、というか無意識に今の環境に甘んじていたことに氣付いたんだ。
望みを出すから望んでいることが叶うのではなくて、望みを出すことで無意識に生み出してしまっている抵抗を外すんだ。
そう。ほんと無意識に抵抗してしまうことをゲームで設定してしまっている。
無意識に生み出した抵抗に氣付いて、それを手放していくゲームだ。
エイブラハムは、あえて望みを出す必要はないと言っている。けど、この3次元世界で望む世界を現実創造してきた人たちは、口をそろえて、望みをだせば叶うと言う。このズレはなんなんだ?とずっと思ってきた。
エイブラハムは、あえて望まんでも、コントラストが起きたら、その時点で願望のロケットは放たれとるよ。だから、けど、抵抗がなくなれば、すべて叶うんだといことも言っている。