見出し画像

危機の下で誰かと一緒に暮らすこと(ブログリレー)

こんにちは。早瀬麻梨です。
シェアハウスに住んでいないのに内田勉さん主催のブログリレー「#新型コロナ時代のシェアハウス」に参加することになりました。

https://d-t-v.com/pages/blogrelay-covid19

この記事は23日目となります。


一応冒頭で名乗ったんですが誰も私のことなど知らないと思うので自己紹介をします。
昨年末からzine「シェアハウスカルチャー」と題して、あちこちのシェアハウスを取材してまとめる企画を始めました。

といっても、渋家(4th house)、フロントライン東京、中野小屋、と取材と記事の公開を続けてきたところで、
3月にモテアマス三軒茶屋さんを取材した後だんだん新型コロナウィルス感染症などというよくわからない事態が悪化して、自分自身の生活に混乱している間に、結局今までモテアマスさんの記事を公開できていません。
カズキタ主任にはお忙しい中いろいろ聞かせていただいたのに本当に申し訳ありません。
この場をお借りして謝罪させていただきます。
取材記も練り直しまとめ直して近日中に公開させていただきます!

こうしてこの記事は謝罪で始まるわけですが、当初一つの目標?締切?としていた2020年5月の文学フリマ東京は当然中止になってしまったし、なんかこのままzine「シェアハウスカルチャー」は消滅してしまうかも…と思っていたところブログリレーにお誘いいただいて、少しずつエネルギーを取り戻しつつあるところです。

しかしブログリレーのテーマは「新型コロナ時代のシェアハウス」なのに早瀬自身はシェアハウスに住んでいない。
いったい何が書けるというのでしょう。


書けることから書いてみましょう。
たとえば、人間同士の接触がこれほど制限・忌避された4〜5月、一緒に住んでいる人がいて自宅で存分に接触・コミュニケーションできるというのはとてもよいこと、ありがたいことだなと感じました。(早瀬は配偶者と二人暮らしです)
これが一人暮らしだったらと思うとぞっとするので、シェアハウスでも、旧来的な意味での家族と暮らすのでも、とにかく家に一人じゃないというのは重要なことだと思います。

このブログリレーの10日目に門司港ヤネウラのさとうみくるさんが、東日本大震災の後、一人暮らしをやめてシェアハウス生活を始めたと書かれていますが、すごくよくわかる。
あの時も、いつ余震がくるか電気が止まるかわからないから遠出するなと言われていた。満足に外出して友達に会えないとき、誰かと一緒に暮らしているというのは非常に心強いのです。


しかしオフィスワークが在宅勤務になると、シェアハウスは過酷なんじゃないかなとも思いました。
中野小屋の平田さんがTwitterで写真付きで発信されていたご自身の在宅勤務環境とか、なかなかすごいなって。(あれはシェアハウスだからではなく平田さんご自身の内装の趣味の問題ですが)
でもブログリレーの2日目にEngineMakerのときさばさんが書かれていましたが、作業部屋とかがあるところだとなんとかなるみたい。
というか、普通に家族で暮らしていて小さい子どもがいる同僚の方がずっと大変そうだったので、在宅勤務環境にシェアハウスかどうかはあまり関係ないようです。


目下最大のトピック衛生についてはどうでしょう。
zine「シェアハウスカルチャー」の取材は実際に訪問するということを大切にしているので、4月以降は完全休止、一切行なっていません。
シェアハウスというのは性質上、住人以外の外部の人の交流を大切にしているところが多いですが、そういうところも今回の騒ぎでは飲み会やイベント、パーティーをオンラインにするなど、感染リスクが上がるような形の交流は制限したところが多いよう。

さて外部訪問者を一般家庭並みに制限した場合、それでもシェアハウスは感染リスクが高いか、と言えばそんなことはないと思います。
いや、一緒に暮らしてる人数が多ければ多いほどリスクが上がるのはたぶん確かなんだけど、それ血縁のある大家族、三世帯同居とかの人にも言いますか、っていう。

シェアハウスにも大小いろいろありますが、20人とか住んでるところはそんなに多くなくて、5人以上9人未満というところが多数派ではないかという印象があります。(統計とれないけど)
で、その人数って、血縁者が一緒に住んでる家庭にだってあり得るよねって。
それぞれ仕事や用事があって最低限外出しなければいけなくて、別々に感染源を持ち帰ってきて移し合う可能性があって、そのリスクは人数分だけ確かに上がるとは思うけれど、でもそれは純粋に人数の問題であって、シェアハウスだからじゃない。
血縁や婚姻関係のある家族なら一緒に住んでよくて、他人だからだめなんてことは絶対ない。

感染症のリスクという意味では、人間は全員それぞれ一人で暮らすのが理想でしょう。
でもそれは、一部の孤独に強い人を除いて、多くの人にとっては精神衛生にあまりよくないのではないか。
特に、気軽に外出して友人と会って食事をするようなことができないとき、一人暮らしはメンタルにくる。
それよりは複数人で暮らした方が、感染症リスクは多少上がっても、結果的にはよいと思うのです。
10人より8人のほうが、8人より5人のほうが、5人より2人のほうが感染リスクは低いけれど、それは誰と誰が一緒に暮らしていても同じ。
家族でも、他人同士のシェアハウスでも同じことです。


あとね、コロナ騒ぎの間、在宅勤務しながら、ずっと家にいながら、考えていたのは、家庭内に居場所がない人たちのことでした。
親に虐待されている子ども、配偶者にDVを受けている人、みんな大丈夫かな、すごく辛いだろうなって。
そこまで凄惨な状況でなくても、普段顔を合わせる時間が短いまま上手くいっていた夫婦が、ずっと顔を突き合わせていることに耐えかねてコロナ離婚、などという話もよく聞きます。

シェアハウスにもトラブルはたくさんあるようですが、究極的にはみんな他人で解散可能だからか、一緒に暮らしていてもあまり陰惨な事態になるとは聞きません。
あれ、精神衛生によくて、在宅勤務にも衛生にも問題なくて、陰惨な密室暴力が発生しにくいなら、シェアハウスめっちゃよいのでは。


現在早瀬はたまたま配偶者との二人暮らしがよい感じなのでシェアハウス生活する気はないのですが、一人暮らしや合わない家族との同居よりはシェアハウス生活はずっとよいだろうなと思っています。
それが単なる代替品(8日目のホリィ・センさんの記事を参照)にすぎないのか、それ以上にポジティブな価値を持つのかまではまだわかりませんが、とにかく少なくとも新型コロナのような状況において、シェアハウス生活は伝統的家族と同じ程度にはよいのではないかな、などと考えているのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?