2019年12月21日の渋家
寒いのだが玄関のドアは開け放されている。
インターホンを一応押してみると、何やら反応があったような物音はするのだが、誰も出てこない。外から帰宅した住人の方がどうぞ、と言ってくれるのでお邪魔する。
玄関に靴がたくさん。男物のスニーカーが多い。ざっと数十足。話を聞かせてもらうお礼にと食べものとワインを用意してきたが、こんなに人がいてはとても足りないと怖気づく。
四年前に一度だけ来たことがあるはずなのだが、道順も室内も記憶がおぼろで、本当に同じところにきたのか自信が持てない。よく引っ越すと聞くし、この前は家がなくなったと言ってたし…。
玄関の目の前の階段を上がると二階が居間。窓際の暗がりで男性が二人ビートボックスの練習をしている。
今回対応してくださったのは十三代目代表の齊藤広野(こうや)さんと渋家居住歴一年強の増嶋涼平さん。(以後敬称略。ビートボックスの練習をしていた人たちとは別人。)
その日たまたまローテーブルを囲んでいた他の住人の方やゲストの方も交えてお話しを伺った。
渋家(シブハウス)は2008年に齋藤恵汰のコンセプチュアルアートとして始まった。「家を借りる」というアート。美術作品として家を借りる、ということらしい。
それは事前知識として知っていたけれど、現在は齋藤恵汰本人や最初期のメンバーは渋家に住んでいない。アーティスト本人ではない、全然別の、それぞれの生活と人生がある人たちが、アートとして暮らすというのはどういう感覚なのだろう。
渋家の三箇条
1.ルールを作らない
2.多数決をしない
3.陰口を言わない
まずは基本的な方針の説明から。これはツイッターで見たことがある。
この三箇条に加えて、毎月22日はパーティー、月初に会議をする、ということが決まっている。(決まっていてかつ守られている)
代表を一人定めているけれど、合議制を旨としといて、指導関係はない。
ルールはない、多数決もない、上下指導関係もない、となると、とにかくひたすら話し合って納得するまで互いを説得するしかない。
代表歴一年、会議進行歴二年の齊藤広野による会議進行のコツは以下のとおり。
・きちんと元の話に立ち戻る
・ある程度仮説を作って進める
・論破しない
・同じ意見です、を許さない
一つの意見に対して、ポイントはたいてい四つくらいに分けることができるので、そこを分けて、この部分にはすごく賛成、この部分にはそうでもない、とか言い合うことが大切
・感情を出させる
トラブルの解決には感情面での解決と理性(物理)の解決の両方が必要。切り分けて、そのうちの解決しやすい方から先に解決する。通常は物理的な解決の方が簡単だからそこから始めるけど、それだけで終わらせない。感情は感情で後から処理する。
すごくよくないですか? 見習いたい。
特に「感情をないがしろにしない」という点に個人的には大変感銘を受け共鳴する。
渋家は命名にあたって、中島らものヘルハウスを一つの参照としている。
遵法精神はあるのでドラッグは流行っていないようだけど、個室が一切なく寝室は一つしかなく、男女20人が雑魚寝で暮らしているというのはなかなか中島らも的雰囲気がある。(ドラッグはないが酒壜はいっぱいある)
そもそも共同生活そのものがヒッピーカルチャーを起源としているんですよ、齊藤広野はそう説明してくれたけれど、20〜27歳の人々がそんな歴史意識を持って生活していることに少々驚いてしまった、と言っては失礼だろうか。
歴史意識は渋谷という都市にも及ぶ。
渋家には地下室があって、音響防音設備を備えたクラブ空間として「クヌギ」と名付けられているのだが、この空間の存在を、そして渋家にメンバーとして住んでいるDJやミュージシャンの存在を、彼らは渋谷系から連綿と繋がる音楽の文脈として捉えている。「渋谷だからDJがいるんですよ」と。
渋谷の駅前再開発について。バスケットボールストリートという名前が定着せず消えつつあることについて。ハロウィンの大騒ぎとそれに苦言を呈する商店会長について。渋谷という街についての話題は広がり、また戻る。
自分たちが渋谷にいることにきちんと意味を見出そうと、自分たちなりの解釈で捉え直している。
渋家の住人は20人前後。これは家賃や光熱費から自ずと算出される人数だ。毎月約80万円は支払いが必要なので、ひとり4万円で20人。
荷物を置かないという条件で月2万円で半分住むという選択肢があるため、少々前後するが大体20人。
毎月数人出て行くので、維持するためには毎月新しいメンバーを数人獲得する必要がある。
そのための魅力として、自分たちにあるものはやはり「カルチャー」だと齊藤広野は言う。
毎月テーマのあるパーティーをすること。住人それぞれが自分の作品を発表すること。
「カルチャー」に関して、彼らには矜持がある。
面白いことをやっていきたい。家賃や生活費を抑えるためだけに共同生活をしているわけじゃない。単に経済的に都合がよいというだけではなく、自分たちのカルチャーに魅力を感じる人に来てほしい。
新しく住む人をどのように選ぶんですか?
そう尋ねると、vibesですね、と即答された。
「そもそも本当はシェアハウスって呼ばれたくない」
この一言に彼らのスタンスが凝縮されている。生活がメインで一緒にいるわけではなく、創造・制作のために集まっている。だから掃除当番もゴミ捨て当番も決まった個人用の布団も要らない。部屋が汚くても大した問題じゃない。
生活の快適さよりも、彼らは創作のためのインスピレーションを大切にする。音楽で忙しいから掃除できない。絵が忙しいから洗い物できない。渋家ではこれが許される。
居間の姿見の前に座っておもむろに化粧を始め、仕事に行ってくるねーとでかけていく住人がいる。
その場にいるみんながいってらっしゃーいと声をかける。帰ってきた住人にはおかえりーと。家っぽい。
そこに突然「こんばんはー」と女性が入ってくる。七代目代表だった菅井早苗さん。
しばらくするとまた別の女性がカツカレーを手にやってくる。こちらは去年まで住んでいたというIさん。
二日前に初めて来て服を借りたから、それを返すために再訪したという男性もいる。
住んでいない人にも開かれた空間だと実感する。
さりげなく酒壜を片付ける人。突然始まるクイズ大会。気がついたら大乱闘スマッシュブラザーズに熱中している人たち。片やスマブラ集団のすぐそばでソファーに寝転んで本を読んでいる人。
住んでいる人がいて、住んでいない人もいる。ゲームに参加したりしなかったりする。なんというか、妙に居心地のよい空間がそこにあった。
最後に、生活がアート作品にされているのはどんな感覚ですか、と数人にきいてみた。
あまり意識しないという人もいれば、自分も作品を残さないと、とプレッシャーを感じるという人もいる。
増嶋涼平は、住人によってはアートとしての渋家のコンセプトを知らないまま住む人もいると言う。でもせっかく住むなら知ってほしい、調べてほしい、と彼は続けた。メンバーとして一緒にやっていくなら、他のシェアハウスでは代替不可能なものを渋家に感じてくれる人がいい、と。
あとがき
非常に失礼な話なのだけど、今回の訪問の率直な感想は、予想よりずっとまじめで驚いた、です。20代前半の人が多いと聞いていたのもあって、あれもこれも全部アートですウェーイ!(つまり何も伝わってこない)みたいなのを想像していたが、全然そんなことない。歴史の中の自分たちの位置付け、渋家のこれまでの十数年間を踏まえて、すごくまじめに話してくれた。何度も大小様々なメディアに取材されてブラッシュアップされている部分もあるのだろうけれど、理路整然と説明してくれる手際のよさに頭が下がる。失礼な想定で行って本当に申し訳ありません。
早瀬麻梨