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出戻りジャニオタが驚いたこと

中学1年生のとき、同じクラスになったA子に近所の本屋に連れて行かれ、「これが私のすきなグループ」とNEWS(当時8人)を見せられた日から私はジャニオタになった。

当時親が離婚し、思春期でひねくれていた心にジャニーズはすこぶる刺さった。
そこから関ジャニ∞を追いかけ、関西ジャニーズJr.を追いかけ、高1で飽きた。

オタク全盛期に中学生だった私は、父親に家庭内バイトを提案し晩御飯を作っては金をせびっていた。
手書きのバイトカレンダーを冷蔵庫に貼って、弁当作りやご飯作り、掃除など何かと家事をしては稼いでいた。(今思えば健全すぎる寛容な対応、父、神、サンキュー)
お小遣いも増額してもらっていたのに、たまにバイト代の価格交渉、いわゆる賃上げ交渉までしていた。
そのお金でライブに行きまくり、中2の時にはA子と東京まで行って、お台場で当時まだジュニアのキスマイのライブを見たり古のフィルムフェスタに行った。子どもたちだけで奈良から東京まで行くのを許した親もなかなかすごい。

そこまでしてたのに、高校入学後すっと飽きた。

それから約20年経ち、またJのオタクの世界に戻ってきた。
ちなみにこの20年間の間にももクロとハロプロを通ったので、アイドル好きは変わらないっぽい。

2020年3月、コロナのせいで海外ボランティアから緊急帰国した私はとにかく暇だった。
4月はステイホームだったので、無職の私はYouTubeを見まくった。
SnowManの動画もSixTONESの動画もほぼ全部見た、そしてAぇ! groupの佐野晶哉にはまった。

A子は中1から同じ熱量でジャニオタだったので、出戻りした私を歓迎してくれ、10年以上ぶりに情報局に入会した。10年前は往復はがきを送って入会したが、もちろん今はオンラインでできる。時代の流れを感じた。

私がジャニオタに出戻りして一番驚いたことは、向井康二、藤原丈一郎、深澤辰哉が活躍していたことである。

向井康二、彼は奈良出身のジュニアの希望だった。
ムエタイ向井ブラザーズで雑誌に初登場したとき、出身地に奈良県と書いていて、奈良在住の私はそれはとてもとても嬉しかった。
当時も今も、なぜか奈良出身のジュニアは少ないのだ。
しかし、SnowManのホームページを見に行ったら、出身地が大阪になっていた。
ファンレターを書いて奈良出身に変えてくれ!とお願いしようと思ったが、もちろんそんなことは面倒なのでしなかった。
康二、あなたは奈良出身だよね?早く変えてくれないか?

と、ここまで書いてホームページを確認しに行ったところ、奈良県出身に変わっていた!!
誰か手紙出してくれた?ありがとう!!!!

丈一郎、こんなに立派な大人になって嬉しい!!
あんな小さいときから(私の中の丈一郎はエキサイトのパーンで止まっていた)、10年以上も彼は腐らず関西ジュニアを続けていたということに、ただ尊敬。丈一郎を一生応援したい。

ふっか、JJexpress の端っこにいたのに、SnowManで大人気になったんだね(泣)びっくり、嬉しい。

と、彼らの活躍にただただ尊敬なのである。

ライブの申し込みもチケット表示もスマホで完結し、電話をリダイヤルしまくったりライブ落選後に郵便局でなんかの紙を現金に変える必要のない時代。
非常に便利です。

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