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キーパーソンとしての役割

別々の老健入所中の両親。

父は在宅介護ができなくなったのをきっかけに老健へ入所しました。
母は独居生活ができなくなり、一旦専門病院へ入院。
先生のおかげで不安定だった母も穏やかな母になり、退院先をどうするかということに。
すぐに一般の老健は難しいかもしれないとのことで併設の認知症専門老健へ入所することになりました。

在宅生活の時から母は私に対してはよくある近くの家族の扱いで。
何もしてくれないってご近所さんに広めたり。
ものを取っていくって話したり。
でも、買い出しをしたり、迷子になって警察から呼ばれて迎えに行くのはいつも私の役割でした。
文句は言われるけど、感謝はされない。
本人も悪気もないし、辛いんだろけどこっちもなかなか辛い期間でした。

施設入所してからの母は穏やかで、今は私と父の話をいつも施設のスタッフさんにしているようです。(内容はちょっとおかしなこともありますが)
面会に行っても「にじいろちゃん?きてくれたの?」って。思い出してくれるほどになりました。もうお薬も飲んでないそうです。

一方、父の入院生活も落ち着いてきて、退院先をどうしようかという話が出るようになりました。母と一緒に生活したいという思いを叶えるためには父の食事の問題がありました。
コロナの入院から食事が一切出来なくなりました。STさんにリハビリもしてもらっていたようですが、お楽しみもできないくらい。

父は以前から「痛い思いはもうしたくない」と言っていました。
でも、母との生活をするためには生活の場所を病院ではなく施設で探さないといけない。施設に入所するには点滴は外さないといけない。
経口摂取ができないなら、選択肢は・・・胃瘻
となると、父の希望とはずれてしまう。
父は言語障害もあったけれど、理解はしっかりできている人だったので上記を説明して相談。答えは即答でした。
「母と一緒に生活できるように頑張る」
それって、胃瘻を作るってこと、手術するってことだよって説明しても
「わかった、頑張る」って。
体調不良の延期もありましたが、無事胃瘻造設も成功し胃瘻での食事が始まったのが12月中旬でした。

母の施設には父と一緒に生活して欲しいので、父の施設が決まったらそこに相談してほしい。多分、以前父がいた老健に戻ることになると思う。
父の病院にはまずは以前の施設に聞いてもらいたい。母も相談したいことを伝えて置いてほしい。

とお願いしつつ、以前いた老健の相談員さんに別件で相談した時に両親のことお願いしました。気さくに対応してくれる相談員さんだったので、(以前の両親のこともよく知ってる人だったので)とりあえず、両親とも検討できることを事前に確認だけはしておきました。

1月中旬。
胃瘻も問題なく、父も穏やかに過ごせていたので、そろそろ具体的に施設に相談しますね。という話がDrからありMSWさんと話をしました。
施設からも早かったら今月中に受け入れできますとお返事ももらえました。

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