人をお金として見るフィルターを持ち合わせていない件
流れを活字にするととんでもないことになりそうなので割愛するけど、「お金じゃんw」と言われる場面があって「(...人間( ᐕ)𓈒𓂂?)」となった。
目の前にいる人は人間でしかなくて、その向こう側のお金を見る という感覚を、私は持ち合わせていない。
「使えねぇな」って言う人いるじゃないですか。人に対して。
今までそんな言葉を聞く度に、人は物じゃないのになって思ってたし、たとえ先輩であれ尊敬枠からは外してた、外れてた。
お金そのものに価値は感じない。
ぽんっとそこにあっても価値のないもの。
お金を受け取るときに嬉しく感じる要因は、ただただ「その人が働いてる時間までもを自分に捧げてくれている」感覚がとても尊く感じるから。私を必要としてくれているんだって感じられるから。
(その人が働いて得る報酬がとうもろこしなら、とうもろこしを分けてくれたら尊く感じると思う。)
車や時計、キャバクラ通いなど、お金のかかる趣味を持っていない。
いつか壊れてしまうからと物欲もなくて、服を買うのも難しくて一苦労だし、集めているものもないし、月会費100円の某FCに入っている以外にオタ活的なこともしていない。
余裕があった場合の使い途は、田舎の父に多めに仕送りできるなーくらいで。
あなたはお金じゃないし、私は人をお金として見ることはない。というお話し。
「女性から必要とされたい」って感情が強いの、なんでかなーと考えてたら思い当たることがあったので、言語化が難しいけど書きたいなと思ってる。ぼんやりと。