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支え合いVS独立

最近中国人の女の子と価値観の激論を交わした。議論は並行戦だったけど楽しかった。
恋バナや家族の話、キャリアの話から最終的に人のあり方についての議論になった。

彼女は人は支え合って生きる生き物だと主張した。だから海外に興味あるけど、最終的なキャリアは両親のいる母国で築きたいと言った。両親もそれを心から望んでいると。

一方、僕は人間は皆まず日本の足で立って生きるべき派。だから家族はもちろん大切だけど、家族のそれぞれがまず自分の人生を主体的に生きなければいけないし、それに家族の他の人が口出しするのはナンセンスという価値観がある。この価値観が家族の中で共有できていてよかったとも思った。だから家族の意向がキャリアに影響を及ぼすという話が感覚的にうまく理解できなかった。

他の家族のあり方に難癖をつけることは決してないけれど、時折僕にはすごく距離の近い家族が依存関係に見えてしまう。
彼女は「相互依存の何が悪いの?それも支え合いの一部じゃないの?」って言ってたけど、僕は相互依存は他責思考を生むし、またその他責思考が相互依存を深めると考えてる。気持ちのいい健やかな関係性には見えない。

「でも社会だって、みんなが役割分担して支え合って生きてるじゃない?あなたは一人で本当に生きていけると思ってるの?」って言われたけど、その指摘もいまいちピンとこなかった。役割分担と相互依存の違いをうまく説明する英語力がなかったし、日本語でも感覚的にならず論理的に完全に説明できる自信はないかもしれない。

でも少なくとも僕はパートナーとの相互依存を決して望まない。「一人でも生きていけるけど二人だともっと楽しいよね、じゃあ一緒にいよう」って感じの考え方がいい。
それにパートナーのために妥協したという考え方も持ちたくないし相手に持って欲しくもない。
もちろん完全なパートナーはいないから、すり合わせと妥協は必要だけど、それはあくまで自分が相手と一緒に生きていきたいという、自分の欲求を満たすためにすることでありたい。
常に自責の視点を失いたくない。
お互いが勝手に相手に期待して、相手のために妥協してという視点での関係は美しくないと感じる。
でも自責の視点を持ちすぎると精神的に負荷がかかりすぎるから、たまには他責に逃げたっていいかもしれない。
でも二人にとっての苦しい時間の中では、ネガティブな気持ちや責任を押し付け合うのではなく、励まし合って、手を取り合って、一緒に壁を乗り越えていきたい。

というわけで議論は最後まで並行線だったけど、やっぱり人と話すのは楽しい。
皆全く違う考えとか行動原理で生きてて、そんな人間たちが異国で偶然出会って価値観をぶつけあっているという状況自体がもう面白い。
きっと受け入れ難い違いにもこれからたくさん直面してたくさん悩むことになるだろうけど、可能な限り違いを楽しむ姿勢で生きていきたいと思った。

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