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人生をゲームにする100の方法(18):伏線に気づく

かつて、人生をゲームにする方法のひとつとして「自分のフィールドを見つける」を挙げたことがあった。が、なかなか自分のフィールドが見つからない、のめりこめるものが見つからない……ということが往々にしてある。

そんなときは、「人生に張り巡らせた伏線に気づく」能力を高めることが大事になる。人間の「こことここはつながっているに違いない!」と勘違いする能力は凄まじいもので、見ようによってはすべてが「伏線」になる。たとえば、かつて自分がハマっていたゲームの特徴から、将来自分がやるべき仕事を見出すーーこれも立派な「伏線回収」だ。

そもそも私たちは、物語における「伏線」というものに興奮するおかしな動物である。自分に得意なものがないと思っていると、なかなか「自分のフィールド」を見つけることは難しいかもしれない。だが、過去にハマっていたものを掘り起こすことで、「これからハマれるもの」を見出すことは十分に可能だ。

ここまで書いてみて、「この手法ってよく自己啓発とかセミナーでやっていることじゃね?」と思われたかもしれないが、まさしくそうである。自分探しや仕事の意識付けに関するセミナーで行われていることの多くは、「人生の伏線回収能力」を高めるエクササイズだと言える。

伏線回収能力が高ければ高いほど、自分の人生に「意味」が見えてきて、色鮮やかになる。また、「伏線にないこと」はやらないようになるので、人生が単純化し、より1つのゲームらしくなっていく。そういう意味で、人生のゲーム化においては、「伏線」を回収する能力が極めて重要だということがわかる。

ただ、注意すべきことがある。人間という存在はゲームそのものというよりも、ゲーム機に近い。一生のうちにいくつものゲームができるし、なんならそのゲームそのものをデベロッパとして作り出すことができるからだ。もちろん1つのゲームに傾注することもできるが、そのことがバランスを崩すことに繋がるようならやめたほうがいい。

たとえば陰謀論。あれは「伏線を回収する能力」が、ある意味強すぎるが故に起こる。何事からも(自分の望んでいる結論に至る)伏線に思えてきてしまい、すべてをその文脈で回収してしまう。そこに欠けているのは、他の結論への想像力、自分を俯瞰する客観性、少しばかりのユーモアである。

「伏線」を見出し、回収するーーそれはまごうことなきスキルであり、スキルということは高めることができる。思考実験的にいえば、演繹法、帰納法、仮説思考みたいなアプローチが考えられるだろう。

演繹的な伏線回収は、すでに存在する「物語」を補強する意味合いで用いられる。「いま働いている仕事は、過去のこういう伏線を回収しているので意味があるし、自分に向いている」というように。

帰納的な伏線回収とは、過去の出来事を並べていき、そこから一つの共通項を見出すというやり方を意味する。こちらは逆に、いま確固たる「物語」を生きていない場合に効果的であろう。意味を並べていって、そこから物語を立ち上げるという手法は、それ自体がゲーム的なおもしろみを含んでいる。

仮説思考的な伏線回収は、過去の素材から「仮説」を構築し、それに正しさを感じるかどうかを他の素材から確かめるという行為になる……と思うが、アブダプションをちゃんと理解していないので間違っているかもしれない。

いずれにせよ、伏線回収のルートはいくつもあり、そして伏線は読み取り方次第なので、何度でも「読み替え」が可能である。伏線を拾っていくことで、自身の「物語」を強化しつつ、それが立ち行かなくなったら別の物語に「読み替え」ていくことで、楽しい人生ゲーム生活を送ってみてほしい(何様なのか)。

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