名古屋ぐらし完結と□□□「00:00:00」
今日、1年半過ごした名古屋での生活が終わった。あっという間のように見せかけてしっかり1年半過ごしたぞ!という気持ちでいっぱいである。仕事もかなり忙しかった。やってもやっても引き継ぎが終わらないもんで、もう脳に保存してある記憶をデータ化してUSBとかで受け渡しできんかと思うぐらいには忙しかった。
複雑な事情があって名古屋に来ることになったのだけど、1年半というリミットつきということもあり長い旅行のような気分で来たし、実際本州の真ん中にあることをいいことに色んなところに足を伸ばしたりもした。もちろん、愛知も観光客気分で1年半遊びつくした。愛知出身の同僚よりもいろんなところに行っていたと思う。
愛知の在住者でありながら、魂はやはり福岡県民だと思っているので、そのどっちつかずなノマド感も楽しんでいたのだけれども、なんとなくこの名古屋で生活する期間はモラトリアムのようでもあり、拘束期間のようにも感じていた。この日々はどういう位置づけなのだろう、と。仕事の付き合いも一過性のものだろうしなぁ、と。
日曜、引越しの準備を抜け出して最後の音楽ライブを観に東別院のメ〜テレ本社屋に行った。桜こそ咲いてはいるがおよそ春めいた気候とは程遠い寒さだったのだが、トリで出てきた□□□のライブは名古屋で最後に観るに相応しいとても素敵なパーティだった。その中でも最後にプレイされた「00:00:00」がとても素晴らしかった。
演奏開始時間である19:55の時報の音に合わせて始まったこの曲は否応なしに進む時の流れを実感させられる。素晴らしい音楽だろうと、魔法のような体験だろうと、時間は進み、そして終わっていくという事実。一秒の瞬間から一世紀にかけて《僕も君ももういないそれでも繋がって》という一節を描き出す、諸行無常の歌なのだ。
この曲を聴いている間、1年半の出来事や見てきた景色がグルグル頭を周り続けた。診察した患者さんたちの様々な表情や、ライブ会場でよく見かける青年や、よく行くメシ屋の味とか。この人生の一瞬がこの地に確かにあったと想いじんとした。《みんなみんな重なり合って 不思議な音楽が今聴こえた気がした》とはこのことかな、と。
とんでもなく時間がかかった引っ越しも終え、今しがた博多の街に降りたった。やはり1年半離れていたからか、地下鉄に乗っていてもどこか今までとは気分が違う。この福岡の街もまた、新しく捉え直すようにもなるんじゃないか。1年半ぶりの福岡ぐらし、楽しみながら、またいい一瞬をたくさん重ねていきたいなと静かに想っている。